第6話 愉快な人々

 SF研究会の部室はサークル棟の隅っこにある。


 僕はすっかり意気消沈した香坂を連れてSF研究会部室へやってきていた。シオンはもちろん僕のアパートでお留守番だ。『カフェオレを要求するー!』と留守番に条件を出してきたので『今日は帰ってこれないから明日になるよ?』と言ったら若干なりショックを受けていた。


 どんだけ好きなんだ、カフェオレ。と思いながら僕は部室のドアを開いた。


 ちなみに、零細同好会であるSF研究会が如何にしてサークル棟の一室の居住権を獲得したのか、ということは追及してはいけない。謎のままのほうがいいことも世の中には存在するのである。


「おっす! 桐やん! りんたろー!」


 部室に一歩踏み込むと、元気な声が出迎えてくれた。向かって右手に鎮座ましますソファに座っているサークルメンバー、渡会小夏(わたらいこなつ)が、クマのヌイグルミに泥棒ひげを書く手を止め、快活な笑顔をこちらに向ける。ぴんと掲げた腕につられて、小柄な体がぴょんと浮いた。


「うぃ~す……」

「こんにちは。渡会さん」


 ……桐やんというあだ名は既にある程度拡散しているのだろうか。別に広まったところでどうということはないけど。


 渡会さんの隣では、同じくサークルメンバーの柳原彩夢(やなぎはらあやめ)が黙々と小説を読んでいた。深窓の令嬢、といった形容がぴったりの美人で、じっと本に目を落とす様は、雑然とした部室の中でさえ絵になる。隣に眼帯がチャームポイントなパンダのヌイグルミがなければ、の話だけれど。


「おう、来たか」


 漫画の原稿にペンを走らせながら、サークルメンバーの加瀬鉄郎(かせてつろう)が僕らに声をかけた。鉄郎は部室の中央に置かれたテーブルに向かい、フレームレスメガネをの位置を直しながら背景を下書きしている。


 筋肉質でがっちりした体格で、ペンを持って机に向かうよりも胴着を着て拳を振るう方が断然似合っている彼だが、原稿を捌く様子は手慣れていて違和感が薄い。


「用意、出来てるぞ」


 普段はSF小説や漫画、ファッション雑誌、お菓子などが広げられている中央テーブルはすっかり綺麗にされてアシスタントの作業場となっていた。二つ用意された無人のパイプ椅子は、僕と香坂が座ることを義務付けられた指定席だ。僕はテーブルの向こうに目をやった。


 入り口の真正面の壁にくっつけられた作業机で、カリカリ、というかガリガリと音を立てて作業する音無ちひろ(おとなしちひろ)、通称姉御の後ろ姿が目に入る。

 ぼさぼさの髪、Tシャツにジーンズというラフな格好、床に落ちている多数の栄養ドリンクとペットボトル、空になったコンビニ弁当。


 なんというか、世界が違った。


 僕は女子二人が座るソファに目を戻す。柳原さんは相変わらず物静かに本を読んでいて、渡会さんは楽しそうにオリジナルブランドのヌイグルミを製作(ラクガキともいう)していた。香坂が二人の様子を恨めしそうに見ているのは、たぶん蛇足の類の情報だろう。


 普通に考えれば、明らかに人手を欲しがっている姉御が、手近に転がっている戦力のはずの度会さんと柳原さんを雇用しないのはおかしい。


 だけど、それにはきちんとした理由があった。


『おっちょこちょい×不器用=どうしようもねぇ』の法則を発見し、学習した姉御が『決して手伝おうとしないように』という指示を二人に出しているのだ。


 おっちょこちょい=渡会さん


 不器用=柳原さん


 どうしようもねぇ=とてもお見せできない惨状


 という記号が当てはまる。


 むぉんむぉん(姉御の出す負のオーラを文字で表わすと大体こんな感じ)という怨念のようなものを振りまいている姉御がぴたりと手を止めた。香坂の肩がびくっと跳ねる。


 いつまでも席に着かない僕たちに業を煮やしたのか、姉御は首を回し、突っ立っている僕らを睨みつけた。メガネの奥の、隈に彩られた眼が「はよ座れや」という彼女の心の声を雄弁に物語っていた。

 姉御の眼光に射抜かれた香坂は、ぴしっと敬礼をして即座に席に着く。僕も空いているもう一つのパイプ椅子を引いた。


 一部カバーが破れ、クッション材がこんにちはしている椅子に腰掛けようと膝を曲げたときだ。


「ぬっ!?」


 渡会さんが珍妙な声を出した。びっくりしたときや感情が昂ったときに渡会さんが不思議な音声を発するのはまあよくある出来事である。別段驚くことではない。僕だけでなく、他のメンバーも一様にスルーしている。


 しかし、次の一言に限っては、流石に聞き流すことは出来なかった。


「どうしたのキミ? どこから来たの~?」


 小さな子供に語りかける口調だった。心当たりがあり過ぎた僕は、ソファから立ち上がって部室入り口に向かう渡会さんの視線を追う。


 生意気そうな子供の目と、僕の目がかち合った。


「やあ、お兄さん。来ちゃったよ」


 にやり。閉じたドアの前で、ツナギを着たお子様が悪戯っぽく笑った。

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