第15話「楽しかったはずの思い出」
15話「楽しかったはずの思い出」
玲と会ったのは、あの日以来初めてだった。
突然、別れを告げられ、部屋を追い出されたあの日。
椋に会うことになったあの日。
「どうして、こんなところに………。」
「………花霞に会いに来た。」
「そんな、だって……今更………。」
「少しだけ話がしたいんだ。」
「……………わかった………。」
玲はあの頃の何ら変わってはいなかった。
気だるげな話し方と、横目でちらりと人を見る癖。そして、よく髪型を気にして頭を触っている。
花霞の前を歩く彼は、恋人だった頃の玲だった。
「おまえ、今どこに住んでるんだ?まだ、友達のところ?」
玲が話し始めたのは、駅から程近い人気の無い公園だった。小さな公園で、遊具も少ない。たった1つのベンチに座り、花霞と玲は話をした。
「ううん。もう家で暮らしてるよ。」
「………早いな。何でそんな金あるんだよ。」
「それは………。」
玲に自分が結婚したことを話そうか、花霞は迷っていた。元恋人が別れてすぐに結婚したなんて聞いて、いい思いをするはずがなかった。
黙り込んでしまった花霞を見て、玲は「何だよ。ったく………。」と、舌打ちをした。
彼が何故自分に会いに来たのかわからなかったけれど、花霞は早く彼から離れたかった。
「ねぇ、玲。話って何?」
「あぁ………。あのさ、お前にあげたネックレスとか指輪とかあるだろ。あれ、返してくれよ。」
「え………。」
花霞は、彼のあまりの言葉に唖然としてしまった。そして、玲が自分に会いに来た理由を咄嗟に理解した。
玲は、自分からお金や金目の物を貰っていこうとしているのだ、と。
「………玲から貰ったプレゼントは、私が玲から受け取ったキャリーケースの中に入っていなかったよ。部屋にあると思うから、それはあなたが使ってくれていいよ。」
「おい!嘘つくなよ。俺の部屋にはそんな物なかったぞ!」
「…………そんな事言っても………あの日アクセサリーはつけてなかったから、部屋にあったはずだよ。」
「だから、嘘つくなよ!」
「嘘なんかつてないよ!」
理不尽に怒鳴られてしまい、花霞も思わずカッとして大きな声を出してしまう。
玲の前ではそんな態度を出したことがほとんどなかったため、彼は驚いた様子だった。
「………一緒に住んでいる彼女が居るんでしょ?持っていないか聞いてみたら?」
「…………。」
「これで話しは終わりなら帰るね。じゃあ………。」
花霞がベンチから立ち上がろうとした時だった。
玲が花霞の左手を強く掴んのだ。
「えっ………。」
「じゃあ、今つけてるおまえの指輪くれよっ!おまえにやった物返してくれないなら、それでいいからよっ!」
「ちょっと、やめて………それは、だめっ!」
玲は強い力で花霞の手を引き寄せて、左手の指輪を見つめた。花霞は必死に抵抗するけれど、相手は大人の男だ。敵うはずもなかった。
指輪に手をかけた瞬間、玲はある事に気づいたようで、パタリと動きを止めた。
「左の薬指って………。おまえ、これ………。」
「……………。」
「………結婚したのか?」
「……………。」
花霞は返事出来ずに、彼に手を取られたまま視線を逸らした。
答えはしなくても、それがわかりやすい肯定だと伝わる態度だっただろう。
唖然とした様子だった玲は、突然「ハッハハハハハっ!!」と笑った。そして、花霞を抑え込み、薬指からキラキラと光る結婚指輪を取り上げた。
「玲ッ!ダメ………それだけはやめてよ!」
「………何言ってんだよ。浮気してたって事だろ?」
「な、何を………。」
玲から出た言葉は、花霞が予想をもしていないものだった。
彼は何を言っているのだろうか。
浮気………。私が浮気をしていた?それは玲の事ではないか。
けれど、ショックから声も出なかった。
確かに、別れる前は彼との関係は冷めきっていたかもしれない。けれど、付き合い始めの頃は、とても優しくはにかみながら、頭を撫でてくれたり、手を繋いでくれたのは、玲だった。
仕事で上手くいかない時は、夜遅くまで話を聞いて慰めてくれたし、花霞が作った料理を「うまい!」と言って何回もおかわりをしてくれた。初めての誕生日プレゼントは1日をかけていろんな店を周り、悩んで決めてくれた。
そんな彼だから、3年も一緒に居れたと思っていた。
別れ方は最悪だったかもしれない。
けれど、花霞にとっては自分が愛した1人の男性であり、特別な存在だった。
別れてしまったとしても、楽しかった思い出だけは忘れたくない。そう思っていたはずだった。
それなのに………最後の最後にしてもいない事で怒鳴られている。
玲が浮気をして、自分を捨てたというのに………。
花霞は、涙が出てきて止まらなかった。
あぁ、どうして大切な人のまま別れさせてくれなかったんだろうか。
家を追い出されて、お金を取られても、玲と別れたのが辛くて泣いていた。けれど、それを忘れさせてくれた人のおかげで、今は笑っていられる。
もし、彼と出会わなければ、花霞はまだ終わってしまった恋に涙していたかもしれない。
それぐらいに切ない失恋だった。
それで終わらせてくれた方がよかった………。
花霞は、涙を流しながらジッと目の前の彼を見た。
「浮気したのはあなたじゃない!私はそんな酷いことしない!………人のせいにしないで。」
「何、言い訳言ってんだ?別れてから2ヶ月ですぐに恋人作って結婚までするなんてありえないじゃないか!」
「でも、私はそうだった。彼と出会ったのは、あなたと別れてその日だから。」
「嘘ついてんじゃねーよっ!!」
「…………っっ!!」
玲に力いっぱい体を押され、花霞は地面に転んでしまう。
まるで、あの日のように花霞は地面の上に膝や足をつけて座り込んでしまった。
「ん?これ……ダイヤついてるのか?すげー………。」
玲は呑気にそんな事を言いながら、公園内にある街頭の光りに指輪をかざしている。
花霞は、立ち上がって「返して!」と手を伸ばすが、玲は簡単には返してくれなかった。
「………リングの後ろにも何か彫ってるのか?」
「………名前よ。彼の名前があるだけよ。」
「………ryo、ね……。」
玲は彫ってあった名前を見つけて、そう呟いた。
花霞と椋の結婚指輪の裏にはお互いの名前が彫ってあった。それは、椋のアイディアで「自分の名前より、花霞ちゃんの名前を見た方が嬉しいし、俺の名前を花霞ちゃんが見てくれるから。」と言って、店にお願いしていたようだった。
「one sinって………ハイブランドの指輪なんなしてんのかよ。玉の輿狙いか。」
「っっ!違うっ!………お願い、それだけはやめて………。」
切なく声を上げる花霞を、玲はあの日と同じような冷たい目で見た。
花霞自身には全く興味を持っていない。そんな表情だった。
花霞は、玲を見上げてそう言い続けるけれど、その後の彼はまるで花霞の言葉を聞いていないようだった。
手の中にある指輪を睨むように見つめた後、玲はギュッとそれを握りしめた。
「…………こんな名前入りなんて売れないんだよっ!」
そう怒鳴ると、玲はその指輪を暗闇の公園へと力強く投げた。
「やっ…………。」
「ほんと、おまえって使えない奴だな。俺から別れて正解だったわ。」
呆然と指輪が投げられた方向を見つめる花霞にそんな言葉を怒鳴り付けて、玲はドスドスと足音をならしながら公園から出ていった。
ポトリポトリ…………。
涙の粒が溢れ、花霞と頬を濡らした。
そう思っていたけれど、それは次々と夜空から降り続けた。
花霞はよろよろと立ち上がり、彼が指輪を投げた方向へと歩いた。
けれど、そこは街頭の光が届かない暗闇が広がっていた。
次々に雨水は花霞に落ちる。
少しずつ雨足は強くなっている。
「指輪………椋さんの指輪を見つけないと。」
花霞は、涙と雨でぐちゃぐちゃになった顔のまましゃがみこみ、手や足を泥まみれにしながら、必死に指輪を探し続けた。
何だか少し前にもこんな事があった。
それを思い出してしまい、花霞は更に大粒の温かい涙が瞳から溢れ出たのだった。
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