第52話 もう一度
投球練習を終え、ふーっと息を吐く。
二回戦に先発する一年生投手の岩田は、胸に手を当てて、自身を落ち着けるように、深呼吸をしていた。
そこへキャッチャーの大森がやって来る。
「緊張してるのか?」
「あ、えぇ。少しだけ」
「公式戦初先発だもんな。無理もねぇわな。けど、あんまり気負うなよ。ミーティングで言ってた通り、大した打線じゃねぇんだ。お前が普段通りのピッチングさえすれば、そう簡単には打たれやしねぇよ。とにかく任された三回をしっかり抑えることだけ考えろよ」
「はい。三回、全力でねじ伏せにいきます」
「こらこら、力が入っとる。力を抜け、力を」
大森が冷汗を垂らしながらツッコむ。
「いつも言うとるけど、お前のストレートが低めに決まれば、そう簡単には打たれんよ。んで、その為には?」
「肩の力を抜いて、しっかりと腕を振って投げること」
「そっ。わかってんじゃねぇか。左右のコースは多少甘くなってもいいから、しっかり腕振って低めに投げて来い」
大森は岩田にそう告げ、自身のポジションへと戻って行った。
キィーンと金属音が鳴って、白球が外野の間を抜けて行く。
スコアボードの一回の表には4の文字が記された。
一回の表、瀬川の攻撃。四連続四球の後、五番のタイムリー二塁打で四点が入った。
そして、なおもノーアウト二塁のピンチ。
「監督、流石にこれ以上は……」
紅寧が藤原に言う。
「ううむ……」
藤原は険しい表情でグラウンドを見つめている。
「監督!」
「仕方ない、一先ず春野と交代だ。岩田はレフトで一度休ませる」
藤原はそう言うと、伝令を遣って、レフトの大智とピッチャーの岩田の交代を告げた。
「すみません……」
マウンドに集まった内野手と大智に、岩田は今にも泣きそうな顔で謝った。
「気にすんな。まだ一回だ。一点ずつ返していけばいい。それよりも切り替えろ。ベンチに下げないってことは、もう一度マウンドに上がる可能性があるってことだぞ」
大森が岩田の肩をポンポンと叩いて励ます。
「えっ……。でも……」
「監督はこの試合、出来れば一年の二人に投げ抜いて欲しいんだろ。多分、二回はまたお前をマウンドに上げるぞ。だから、この回はレフトでしっかり気持ち切り替えとけよ」
「でも、また俺がマウンドに上がって、これ以上点を取られたら……」
「おいおい、そんな弱気でどうするよ。まぁ、確かにこれ以上は失点したくないけども」
「その時は俺がいる」
大智がレフトからやって来て、微笑みながら言った。
「後ろには俺がおるし、必ず逆転してやる。だから安心しろ。この回は俺に任せて、次の回からはまた頼むぞ」
「大智さん……」
岩田は唇を噛みしめる。
「はい。すみませんがこの回はお願いします」
岩田は頭を下げて、大智にボールを渡した。
「おう!」
大智は岩田からボールを受け取ると、ギュッと握り締めた。
「岩田にはあぁ言ったけど大丈夫か? 投球練習、あんましてないだろ?」
マウンドからの解散後、大森だけが残って、大智と話をしている。
「大丈夫だよ。てか、あんだけ大見栄切っといて、やっぱりダメでしたとか格好つかねぇだろ」
「まぁな」
「こっから三人、いきなりトップギアで行くぜ」
「OK。ま、この空気も換えときたいしな。それでだ。おそらく、六番は送ってくる。こっからは打力が落ちるからな。相手としてはどうにかランナーを三塁に置いて、ラッキーでもいいからもう一点欲しいところだろ。一塁は埋めてもいいから、六番には厳しいところを攻めて行くぞ」
「わかった」
「頼むぜ、エース」
大森は大智の胸をグラブで叩いた。
キンッと短い金属音と共に、ボールがホーム上空に上がって行く。
落ちて来たボールは大森のミットに収まった。
大森はボールを大智に返すと、人差し指を立てて、一を表現し、大智に向けた。
先頭の六番バッターを大智はバント失敗のキャッチャーフライに抑えた。瀬川の六番バッターは大智のストレートに押され、ボールをバットの上っ面に当てていた。
続く七番も、送りバントを試みたが、二度のファールボールで追い込まれた後、空振りの三振。
八番は大智の前になすすべなく三振を記した。
「ナイスピッチ!」
ベンチに戻って来た大智に、皆から賛辞が送られた。
チームメイトに囲まれる大智の許に、少し遅れて、岩田がレフトの守備から帰ってきた。
「大智さん。ありがとうございました」
「気にすんな。それより、次の回から頼むぜ」
「はい」
岩田はそう言うと、監督である藤原の前へ立った。
「ん? どうした、岩田」
「お願いします。次の回、もう一度、マウンドに上がらせてください。必ず抑えてみせます」
岩田は藤原に向けて、深々と頭を下げた。
「当然だ。この試合は春野を休ませるつもりだったんだ、初回で降板されちゃ、こっちが困るからな。次の回、切り替えて、しっかり頼むぞ」
「はい!」
「お前らも。一年がこんだけ責任感じてんだ。初回、一点でも援護してやれよ」
藤原がそう告げると、ナインからは気合のこもった返事が返って来た。
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