第17話 それができるのが一番の才能だろ

 時は抽選会の翌日に遡る。

「大兄~!」

 夕方、ランニングに出かけようとしていた大智の許に紅寧がやって来て、後ろから抱き着く。

「うぉ!」

 大智は突然のことに驚いて、声を上げていた。

「あ、紅寧?」

 背中に顔をくっ付けている紅寧に大智が声をかける。

 大智に名前を呼ばれた紅寧は顔を上げると大智の顔を見てニコッと笑みを浮かべていた。

「大兄、久しぶり」

「久しぶり。元気にしてたか?」

 大智は優しく微笑みながら紅寧に声をかけた。

「うん。元気だよ」

 紅寧が笑顔で言う。

 しかし、紅寧は急に表情を変える。

「でも、大兄に会えなくて寂しかったんだから」

 紅寧は言葉の通り、寂しそうな顔をしている。

「すまん、すまん。高校入ってから何だかんだ忙しくてな」

 大智は困った表情を浮かべ、頭を掻いた。

「あ、そういえば夏大はどうなった?」

 困った大智はわざとらしく話を変えた。

 だが、紅寧はそのことは気にする様子はなく、大智に夏の大会の結果を訊かれると、いたずらっ子のような顔を大智に向けた。

「聞きたい?」

「その顔は良かったな」

 大智もニヤリとした顔を浮かべながら紅寧に訊いた。

 そんな大智の顔を見た紅寧は得意げな表情に変わり、へへっと笑っていた。

 そして、嬉しそうに話を始めた。

「県大会出場、決めたよ!」

 紅寧は満面の笑みで大智にVサインを送った。

「おぉ! そうか! 良かったな。俺らの後でプレッシャーとかもあったろうに。みんな良く頑張ったんだろうな」

 後輩の県大会出場の報告を聞いた大智は本当に嬉しそうな顔をしていた。

「うん。去年の秋は悔しい思いをしたからね。夏は必ず借りを返すんだって張り切ってたし。みんな本当に良く頑張ったんだよ」

 紅寧は本当に嬉しそうにこれまでのことを話した。

「そっか。ほんま、良かったな」

 大智はもう一度紅寧に微笑みかけた。

 大智の笑顔を見た紅寧は少しだけ頬を赤らめて照れるように笑っていた。

「あ~、ちきしょ~。俺も負けとられんな。よっしゃ~。俺も頑張ろ!」

 大智は一人でそう言いながら、自身を奮い立たせる。

 その顔は溢れんばかりのやる気に満ちていた。

「剣兄のとことやるんだよね?」

 大智が一人で盛り上がっている横でその様子を静かに見ていた紅寧だったが、突如、かしこまるように大智に訊いた。

 その顔には先ほどまでの嬉しそうな表情はなく、心配そうな表情を浮かべていた。

「あぁ。しかし、びっくりだよな。何もいきなり当たることないのにな」

 大智は紅寧が心配そうな表情をしていることに気が付いて、おどけるような言い方をした。

「大兄?」

 紅寧が少し間を空けてから大智の名を呼ぶ。

「ん? どうした?」

 大智は首を傾げながら、優しい声で愛莉に訊いた。

「良かったら、これ……」

 紅寧はそう言うと持っていた鞄から一冊のノートを取り出し、そっと大智に渡した。

「これは?」

 ノートを受け取った大智は開く前に紅寧に訊いた。

「中、見てみて?」

 紅寧にそう言われた大智は首を傾げながらノートを開いた。

「こ、これは!」

 ノートの一ページ目を見た大智は目を丸くして驚いた。

 そして次々とページを捲っていった。

「こんなものいつの間に?」

 ノートに一通り目を通した大智はすぐさま紅寧に目を向けて訊いた。

「剣兄の試合を見に行った時、データを取ってたの。余計なことだったかもしれないけど……」

 紅寧はそう言うと視線を下に向けた。

「そんなことねぇよ。すっげぇ助かる」

 大智は嬉しそうに言った。

 それを聞いて紅寧の表情も明るくなった。

 だが、大智が急に表情を変える。

 今度は少し怪訝そうな顔つきになって紅寧に訊いた。

「でも何で? これが俺に渡ったら剣都の学校が不利になるんだぞ?」

「剣兄には申し訳ないけど、私は大兄の応援だから。昔からそうだったでしょ?」

「それはまぁ、そうだったけど……」

 大智は戸惑っていた。

「大兄はいつだって挑戦者だった。例え相手がどんなに強大でも、何度でもその相手に向かって行っていた。今回だってそう。あえて人数も揃わないような学校に行って、何とか人数を揃えて、強大な相手にも臆することなく立ち向かおうとしてる。私はそんな大兄が大好きだし、大兄の力になりたいの」

 紅寧は真っすぐな目を大智に向けていた。

「紅寧……」

 紅寧の真っすぐな目を見ながら大智が呟く。

「わかったよ。これはありがたくもらっとく。ありがとうな」

 大智はこの日一番の優しい笑顔を紅寧に向けた。

 大智の優しい笑みを見た紅寧はほっぺを赤くしながら微笑んでいた。


「しかし、凄いな。港東の打者の得意コースから苦手な球種、打席での特徴までびっしりだ」

 大智が紅寧からノートを受け取った経緯を話している間もノートにくぎ付けになっていた大森がノートから顔を上げて言った。

「あぁ。ほんと頭が下がるよ。そこまでできる奴はそういやしない。ほんと紅寧の野球に対する取り組み方は俺も尊敬する」

 大智がしみじみと言う。

「ま、これはそれだけじゃないだろうけどな」

 大森が横目で大智を見ながらぼそりと呟いた。

「ん? 何か言ったか?」

「んにゃあ、何も」

 大森はとぼけるように大智から顔を背ける。

「でも剣都のデータはないんだな」

 大森がノートをパラパラと読み返しながら訊く。

「そこは多分俺に気を遣ったんだろ。俺と剣都との勝負には手を出しちゃいけないってことがわかってるんだよ、紅寧は」

「ま、剣都のことはお前が一番良くわかってるだろうしな」

「中学卒業までは、な」

 大智はそう言うと窓の外に目を向けた。

「けど今の剣都のことは何も知らねぇ。高校に入ってから四か月。あいつが進化してないはずがないからな」

 大智はそう言い終えると大森の方に向き直った。

「それだったら大智だってそうだろ?」

 大森がニッと笑みを浮かべる。それを見て大智も口元を綻ばせた。

「まぁな。でも四か月野球だけのことを考えてたやつと、部員集めに奔走してたやつじゃ、その差は明らかだろ? しかもその相手が天才黒田剣都なら尚更な」

 真剣な表情でそう話す大智だったがその顔はどこか嬉しそうでもあった。

「大丈夫。才能ならお前も負けてねぇよ」

「バカ言え。あいつと俺とじゃ才能の差は明らかだろ。俺はただ剣都に勝ちたくって必死こいてやってるだけだよ」

 大智が語気を少し強めて言う。

 それを聞いた大森はふーっと一つ息を吐いた。

(バーカ。それができるのが一番の才能だろ)

 大森は呆れた顔で大智を見つめながら心の中でそう呟いていた。

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