第8話 弱小野球部の者です

「おはよう。俺たちも手伝うよ」

 朝、八時より少し前に登校し、チラシを配る準備をしていた大智の許にキャプテンの小林がやってきた。その後ろには他の四人の先輩部員もいた。

「先輩! おはようございます。でも……」

 小林からの突然の申し出に、大智は困り顔を浮かべていた。

「任せておけって言った手前、手伝ってもらうのは恥ずかしいかもしれないけどさ。俺たちだって出来ることはやりたいんだ。だから、良かったら俺たちにも手伝わせてもらえないかな?」

 小林は真っすぐな目を大智に向けている。

 小林の後ろにいる四人の先輩たちも真剣な目を大智に向けていた。

「先輩……」

 大智はそう呟くと、自身の鞄に手を突っ込み、中からチラシの束を取り出した。

「じゃあ、すみませんけど、お願いします」

 大智は頭を下げながら、小林にチラシの束を渡した。

「うん」

 小林が大智からチラシの束を受け取る。

 チラシの束を受け取った小林は後ろにいる他の四人にもチラシを渡した。

 チラシを受け取った先輩たちは校門の前へと向かって行った。

「どうしたんだ、先輩たち?」

 大智と先輩たちが話していることに気が付いた大森が大智の許へとやって来た。

「手伝いに来てくれたんだ」

「え? もしかして、気を遣わせてしもうたかな?」

 大森はそう言って申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「いや。俺らが独りよがりになってたんだよ。本当は先輩たちだって試合に出る為に野球部を何とかしたいって思いはあったんだ。けど、あの時俺らが任せてくれって啖呵を切ってしまたばかりに、今まで気を遣ってくれてたんだよ」

 大智は校門前でチラシを配り始めている先輩たちを見つめていた。

「そっか。申し訳ないことをしちゃってたんだな、俺たち」

 大森も大智に続いて校門前にいる先輩たちに視線を向けた。

「なぁ、大森?」

 大智が先輩たちに視線を向けたまま、大森に声をかける。

「うん?」

 大森は大智の方に視線を向けた。

「絶対に人揃えて、試合やろうぜ」

 先輩たちを見つめていた大智は大森の方へ顔を向けると、真剣な眼差しで大森を見つめた。

「あぁ、勿論だよ」

 大森も真剣な眼差しを大智に送り返した。


 ある日の放課後。

 大森のキャッチャーミットから乾いた革を叩く音が鳴り、グラウンドに広がって行く。

「ナイスボール」

 ボールを捕った大森はブルペンのマウンドで投球練習を行っている大智に声をかけた。

 大森からの返球を受け取った大智は大森のミット目がけて次々とボールを投げ込んだ。

「ひえ~」

 二人の様子を見ていた五人の先輩たちは唖然としたまま固まっていた。

 順調に投げ込みをしていた大智だったが、突然、何かに気が付いた様子を浮かべた。

 大智は大森からの返球を受け取ると校舎の方に視線をやった。

「どうしたんだ? 大智」

 次の球を受けようと待っていた大森がマスクを外しながら大智に声をかける。

「すまん。ちょっと行って来る」

 大智はそう言うと、グラブをブルペンのマウンドに置き、ダッシュで校舎の方へと向かって行った。

「行ってくるってどこへ?」

 大森は走り去って行く大智に届くように大きな声で叫んだ。

 だが、その声は大智には届いていなかった。いや、届いていたのかもしれないが、大智から反応が返って来ることはなかった。


「ねぇ、ねぇ、秋山ちゃん。バスケ部のマネージャーになってよ」

 バスケのユニフォームを着た一人の男子生徒が顔をニヤつかせながら愛莉に言い寄っている。

「ごめんなさい。私、バスケのことはあんまりよくわからないから」

 愛莉はそう返事をして、その男子から遠ざかろうと試みた。

 しかし、バスケのユニフォームを着た男子は遠ざかろうとする愛莉の進路を妨害した。

「大丈夫、大丈夫。俺が秋山ちゃんをバスケ好きにさせてあげるからさ。天才プレイヤーであるこの俺。難波一輝様がね」

 難波と名乗る男は相も変わらず顔をニヤニヤとさせながら、愛莉に言い寄った。

「本当にごめんなさい。私、野球が好きなの」

 愛莉は難波に頭を下げて言った。

「野球? でも秋山ちゃん野球部のマネージャーをしてるわけじゃないんでしょ? だったらいいじゃん!」

「それは……」

 愛莉が声をこもらせて呟く。

「あんな活動をしているのかどうかもわからない弱小野球部なんて放っておいてさ。ね? ね?」

 難波は愛莉の顔に自身の顔を近づけながら愛莉に言い寄った。

「その辺にしとけよ」

 練習の手を止め、愛莉の許にやって来た大智はそう言いながら難波の襟の後ろ側を掴むと、難波の顔を愛莉から離すように後ろへと引っ張った。

「ぐえ~」

 襟の前側が首に引っかかった難波が苦しそうな声を上げる。

 大智はその声を聞いて難波の服の襟を離した。

 大智が襟を離すと、難波はゲホッ、ゲホッと咳込んでいた。

「だ、誰だ!」

 咳が止まった難波は後ろに振り返り、大智と目が合うと、大智を睨みつけた。

「ただの弱小野球部の者です」

 大智は睨みつけてくる難波の目を無視するようにそっぽを向いていた。

「大智!」

 愛莉は嬉しさと安堵が入り混じった声で大智の名を呼ぶと大智の許へと駆け寄った。

「大丈夫か、愛莉」

「うん」

「チッ。何だよ、お前。邪魔するなよな」

 難波が改めて大智を睨みつける。

「いやいや。セクハラで訴えられそうなところを助けてやったんだから逆に感謝して欲しいくらいですがね」

 大智は難波を見ることなく、そっぽを向いていた。

「何だと~!」

 難波は怒りに満ちた顔で大智を睨みつけた。

「何だよ」

 大智が初めて難波に目を向ける。

 大智は難波と目が合うと、負けじと難波を睨みつけた。

「おい。この俺を誰だと思ってんだ! 泣く子も黙る天才プレイヤーの難波様だぞ」

「へ~。見たまんまの名前なんだな」

「は?」

 難波が険しい表情のまま首を傾げる。

「なぁ?」

 大智は側にいる愛莉に同意を求めた。

 愛莉も何のことかわかっていないようで、大智に訊かれても黙ったままだった。

 三人の間にしばしの間、沈黙が流れる。

「いや、ナンじゃねぇよ! ナ・ン・!」

 沈黙を破るように難波が声を荒げて言った。

「おい、難波。何やってる。休憩終わってるぞ」

 近くに見えている体育館の方から難波が声をかけられた。

「あ、は~い。すぐに戻ります」

 難波は声色を変えてその声の主に返事をした。

 難波は返事をし終わると、チッと舌打ちをしながら大智と愛莉の方に直った。だが、大智には目をくれることはなく、愛莉だけに視線を向けて話を始めた。

「ま、とりあえず一回でいいからさ、見に来てみてよ。んじゃあ、よろしくね」

 難波は格好つけながらそう言い残すと、体育館へと向かって行った。

「何だ、あいつ」

 去って行く難波の後ろ姿を大智は険しい表情で見つめていた。

「それにしても随分と愛莉に対して馴れ馴れしかったけど、知り合いか?」

「知り合いというか、クラスが同じなの。でも、べつにそんなに話したことがあるってわけじゃないんだけど……」

 愛莉の顔には明らかに困惑の表情が浮かんでいた。

「たくっ。しょうがねぇやつだな。ナンパの野郎は」

 大智が真面目な顔をして難波の名前を間違える。

「ナン・ね」

 愛莉は苦笑を浮かべながら大智にツッコんだ。

「あ!」

 突然、愛莉が何かを思い出したように声を上げる。

「どうした?」

「そういえば、クラスで自己紹介した時、難波君、小学生の頃は野球してたって言ってたような……」

 愛莉はその時のことを懸命に思い出そうとしていた。

「本当か!?」

 大智が食い気味に愛莉に訊く。

「う、うん。あんな感じの人だから印象には残ってるし、多分、間違いないと思う」

 愛莉は大智の勢いに気圧され、体を引き気味にしながら答えた。

「そうとわかれば……」

 大智は難波が去って行った体育館の方に目を向けた。

「野球部に誘うの?」

 愛莉が訊く。

 だが大智はすぐには返事をせず、愛莉を見つめると、そのまま固まってしまった。

 そして、少しすると、今度は手を顎に当てて、う~んと考え込んだ。

「とりあえず、部活やってるところを見てみたら?」

 愛莉にそう言われた大智は愛莉の方を見ると、考えるを止めた。

「それもそうだな」

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