第6話 無理するなって

 グラウンドのあちらこちらから士気を高めようとする声やプレーの指示をする声が飛び交っている。

 バッティングゲージに入った剣都はスパイクでバッターボックスの土を削り、足場を整えていた。

「おい、お前!」

 バッティングゲージの後ろから、先輩部員の一人が怒気を含んだ声で剣都に声をかけてきた。

「はい?」

 その声に反応し、先輩部員の方に振り返った剣都は、困惑の表情を浮かべていた。

「お前一年だろ。誰に許可を得てゲージに入ってんだよ」

 怒り口調で言う先輩部員には有無を言わせない雰囲気が漂っている。

「私が許可したんですが、何か問題でも?」

 タイミングを見計らったように先輩部員の後ろから監督が近づいて来た。だが、先輩部員はまだそのことに気が付いていない。

「問題も何も入ったばかりの一年にいきなりフリーバッティングをさせるなんて、そんなことがあっていいわけが……。か、監督!」

 先輩部員は後ろに振り返り、声の主が監督だったことに気が付くと、後ろにひっくり返りそうなほどの勢いで驚いていた。

「何か問題でも?」

 監督がスンとした顔で先輩部員に問いかける。

「い、いえ」

 先輩部員は言葉を失って固まっていた。

「いいぞ、黒田。打て」

 監督は何も言わない先輩部員から剣都へと視線を移した。

「はい」

 監督に声をかけられた剣都がはきっとした声で返事をする。

「しかし、何故なんです、監督。まだ入って間もない一年にいきなりフリーバッティングをさせるなんて聞いたことないですよ!?」

 先輩部員が思い切った様子で監督に訊いた。

「あいつは特別だ」

 監督はゲージにいる剣都に目を向けたまま、きっぱりと言った。

「何故です!」

 監督の答えに納得がいかなかった先輩部員は再び食い入るように訊いた。

 その瞬間、鋭く、澄んだ金属音がグラウンドに響き渡った。

「え?」

 監督に迫っていた先輩部員がその音に反応する。

 その音を合図に、剣都はマシンから出てくるボールを鋭い金属音を響かせながら、次々と外野へと、更にはその先へと飛ばした。

 港東高校の野球部員たちは練習の手を止め、剣都のバッティングに見入っていた。

「説明が必要か?」

 監督は側で唖然とした表情で剣都を見ている先輩部員に改めて訊いた。

「い、いえ。す、すみませんでした!」

 先輩部員はそう言って頭を下げると、逃げるようにその場を後にした。

 フリーバッティングを終え、ゲージを出た剣都はヘルメットを脱ぐと空を見上げた。

(さっさと上がって来よ、大智。じゃないとおいて行くからな)


「お願いしまーす。お願いしまーす……」

 朝の登校時間、大智と大森は校門周辺で部員募集のチラシを手分けして配っていた。

「どうだ、大森?」

 チラシを配り始めてからしばらく経った頃、大智が大森の許に来て訊いた。

「全然受け取ってもらえん」

 大森は首を横に振りながら答えた。

「厳しいってことはわかっといたけど、まさかここまでとはな」

 大智はそう言うとガクッとうなだれた。

 チラシを配り始めてから今日で三日目。思うような成果は出ていなかった。

「おはよう」

 話をしている二人の許に愛莉がやってきた。

「おぉ、愛莉か。おはよう」

 大智が暗く細々とした声で言う。

「どうしたの? そんな暗い顔して」

 愛莉はうなだれている大智の顔を横から覗いた。

「あんまり思うようにいっていなくてな」

 大智はうなだれたまま答えた。

「もしかして、デザインが悪かった?」

 愛莉が急に不安そうな顔になる。

「いやいや、愛莉が考えてくれたデザインは全く問題ないよ。寧ろチラシ自体は好評と言っていいくらい。俺も大森も凄く気に入っているしな」

「じゃあ何で……」

 愛莉は顔をより一層不安そうにした。

「それ以前の問題なんだよ。チラシを渡そうとしてもほとんど受け取ってくれん」

「そうそう。見向きもしてくれない」

 大森が大智に賛同する。

「そっか……」

 愛莉は俯きながら呟いた。

「ねぇ……」

 俯いていた愛莉が顔を上げる。

 愛莉は二人の顔を交互に一度見た。

「私も手伝う」

「え!?」

 大智が驚きの声を上げる。

「いや、いいよ。愛莉、こういうの苦手だろ?」

 大智は慌てるようにして、愛莉の申し出を断った。

「そうだけど。でも、二人が頑張っているのを黙って見てなんていられないから……」

 愛莉は視線を地面に落としていた。

「愛莉……」

「愛莉ちゃん……」

 大智と大森がそれぞれ愛莉の名を呟く。

 大智は一つため息を吐いてから口を開いた。

「わかったよ。じゃあ明日八時から一緒にお願いできるか?」

「うん」

 大智の言葉を聞いた愛莉は顔を上げて、一度頷いた。

「でも無理はしなくていいからな。もし、やっぱり無理だと思ったらいつでも言ってくれればいいから」

 大智は心配そうな顔で愛莉を見ている。

「大丈夫。私、頑張るから」

 愛莉は心配そうに見つめる大智の目に対して真っすぐな瞳で見つめ返した。


 翌日。

 三人は約束通り、朝、八時から校門周辺でチラシ配りを始めた。

 チラシを配り始めてから数分。大智は愛莉のことが気になって仕方がなく、ことあるごとに愛莉の様子を確認していた。

 愛莉はチラシを配ろうと試みてはいるものの、なかなかチラシを渡すまでには至っていなかった。勇気を出して歩く人の前にチラシを出してはみるものの、大智が見ていた限りでは、愛莉のチラシを受け取ってくれた者は誰一人としていなかった。

 それからまた数分が経って、愛莉の様子を見かねた大智はチラシを配る手を止めて、愛莉の許へと向かった。

「愛莉、もういいよ。無理するなって」

 大智は愛莉の許に着くと、開口一番で愛莉にそう告げた。

「大智……。ごめん。私……」

 大智が声をかけると、すぐに愛莉の目から涙が零れ落ちた。

 通行中の何人かはその様子を見て、こそこそと話をしている。

「ばっ、ここで泣くなって」

 周りに見られていることに気がついた大智は、慌てて愛莉を人目のつかない場所に連れて行った。

「ごめん、大智……」

 愛莉は移動している間に落ち着きを取り戻していた。

「だから無理するなって言ったろ?」

 大智は困り顔を浮かべていた。

 愛莉は大智の顔は見ずに、下を向いたまま、黙り込んでいた。

「人には得意不得意があるんだから無理することねぇのに」

「でも!」

 大智の言葉を聞いて、愛莉はバッと顔を上げる。

「気持ちだけで十分だよ。いや、ポスターとチラシのデザインをしてくれたんだ。それだけでも十分なくらいだよ」

 大智は愛莉に優しく微笑んだ。

 大智の微笑みを見た愛莉はまた黙って俯いた。

「じゃあ俺はもうちょっと配ってくるから」

 大智は愛莉にそう告げると、校門前に戻って行った。

 大智の背中を見送る愛莉はギュッと唇を噛みしめていた。

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