第8話 火事
『だから離れがなくなって、皆内心ほっとしてるんじゃないでしょうか』
『でも、放火の疑いもあるんでしょう?私としては落ち着けないわ』
子と共に住み込みで働く彼方母はとても不安そうに呟いた。
もし離れの火災が放火だとしたら、放火犯はまだ捕まっていない事になる。
『疑いっていっても、司朗さんと茜さんが簡単な事情聴取を受けたらしいですけど、あれは念のためじゃないですかね。確か、司朗さんが夜遅くまで敦也さんとお酒を飲んで、茜さんが火事に一番に気付いたそうですから』
司朗も加々美家では古株の使用人の男で、大酒飲みだ。
敦也は火災直前に彼と飲み、そしていざ火災が発生しても酔いや眠気で起きる事はなく、そのまま火に巻き込まれた。
それを茜が発見し通報した。確かにどちらも事情聴取をする必要がありそうだが、この家では貴重な男手なのだから忙しいだけで、誰もが疑っている訳ではない。
『余計な話はしないように』
そこへ厳しく注意の声が入る。年齢を感じさせるがしっかりした声は孝子のものだった。
『妙な噂をしてはいけませんよ、美佳さん。千葉さん、お嬢様の食事の支度はまだでしょう』
『あっ、はい。ただいま』
『量は少なめでお願いします。最近のお嬢様は全てお召し上がりになるものの、どうも箸の進みが遅いようですから』
彼方は重要な情報を得た気がした。そう言えば千秋は食事を誰かととる事はない。
彼女だけは自室で、そこに孝子が食事を持っていく。
いつも彼女は一人だけで精進料理のような特別メニューを食べているらしい。
しかし彼女の食欲がないというのは初めて聞く話だ。
食事を残さない主義らしいから無理に食べているのかもしれないが、それでも顔色は悪くはなかった。
『お嬢様、食欲がないなんてやっぱりショックだったんでしょうか……』
『色々あった離れで火災が発生し、婚約者まで亡くされたのです。神経の細いお嬢様にはおつらい事でしょう』
千秋の神経が細いというのは彼方には同意できなかった。千秋は確かに見た目は弱々しいが、しなやかな強さを持っている気がする。傷付いているかもしれないが、それで伏せるような事はない。
『……何にせよ、彼方君の存在により明るく振る舞っておられるのでしょう。空元気だとしてもお嬢様には良い傾向です』
盗み聞き中に誉められて、彼方は照れくさくも申し訳ない気分になった。
そして誇らしくもなる。千秋の役に立てているのかもしれない。
『彼方君、可愛いですよねー。結婚とか言い出すのがいかにも小学生ってかんじで』
しかし美佳の誉め言葉には不機嫌になる。彼女には彼方が『いかにも幼い男の子』だとしか思われていないのだろう。
『結婚、ですか。敦也さんがこうなってしまった以上真剣に考えねばならない事ですね』
『あれ、孝子さんはてっきり本気にしてないと思ってたのに』
『お嬢様の婿になりたいという事ならば歓迎します。しかし……恐らく彼方君から離れるでしょうね』
孝子は結婚には反対をしていないが、結局は彼方を信用していなかった。彼方から離れるであろう理由。それも秘密のせいなのだろう。
つまり孝子は今、秘密の話題を出している。
『やはり新たにお嬢様の婚約者を探した方がいいですね。お嬢様には必ずや能力を継ぐ子を残してもらわねばなりません。最悪の場合、血の繋がった子供だけても……』
冗談とは思えない切羽詰まった言葉を聞いて、彼方はその場を立ち去った。
せっかくの秘密を探る機会であるはずなのに、その話は聞きたくはなかった。
能力を継いだ子がいればいいだなんて、千秋を金稼ぎの道具としてしか見ていない証拠だ。孝子は千秋によく気を配っているようだが、結局はその能力が大事という事らしい。
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