第2話

 熱を出して魘されていたわたくしは、夢を見ました。

 お城よりも高い建物が立ち並ぶ風景と、馬が引いていないのに走るいろんな色の動くもの、たくさんの窓がついている馬車よりも早いものなど、とにかくその景色に圧倒されました。

 けれどわたくしは、どういうわけかその全ての名前を知っていました。ビルと車と電車。他にもバスや自転車が走っております。

 それは、わたくしの前世の記憶だと思ったのです。夢でしたが、とても懐かしいと感じましたから。


 前世のわたくしは、田中 里沙と呼ばれておりました。父と二人暮らしで、隣に住む三つ上の幼馴染が好きだったのです。

 母は里沙が小さいときに亡くなったのではないかと思います。仏壇があり、そこに母の写真が飾られておりましたから。

 そのまま父と二人暮らしをすると考えておりました。けれど、前世のわたくしが小学校に入ったころ、父は母子家庭だった幼馴染の母上と結婚したのです。

 その時はまだ幼馴染に対する気持ちは育っておらず、わたくし自身は母を写真でしか見たことがないのでその存在を知らなかったわたくしは、素直に喜びました。母と同時に兄ができると。

 けれど小学校を卒業して中学に入ったころ、兄がとても可愛らしい女の子と一緒に歩いているのを見て、胸が痛みました。漫画や小説を読んでいたのでなんとなくわかっていたのですが、わたくしはいつの間にか兄に恋していたのです。

 それがとても苦しかった。

 そしてそれは兄も同じだったのです。

 高校生になり、どうせ玉砕するだろうし、玉砕してさっぱりしたかったのです。そのつもりで兄に告白したところ、兄も同じだと返事をいただきました。

 わたくしはそれがとても嬉しかった。けれど、それは世間が許しません。


 だからこそ、その想いを断ち切るために、たった一度だけ過ちを犯しました。わたくしは、初めてを兄に捧げたのです。


 捧げる前はそれだけで嬉しいだろうと思っていたのです。けれど、いざ抱かれてしまうと余計に苦しくなってしまったのです。

 こんなにもお互いに好きなのに、〝戸籍〟という法が邪魔をして、結婚できないと……。

 お互いに苦しくて、けれど世間の目もわたくしたちの常識からも婚姻することも叶わなくて……。来世では必ず一緒になろうと約束をし、お互いの恋心を封印したのです。

 その翌月に、兄は家を出ました。大学に通っていた兄ですが、実家からだとその大学まで遠かったのです。それもあり、兄は大学の近くにあったアパートを借りて、一人暮らしを始めました。

 きっと、兄もわたくしを忘れるための行動だったのではないでしょうか。一緒に家にいるとどうしても顔を合わすことになりますし、せっかく気持ちを封印したのに蓋が開いてしまっては、意味がありませんから。

 それから八年後、兄は大学時代に出会った同期の女性と婚姻しました。わたくしはとても仲睦まじい様子を見るのがつらくて、友人に勧められて始めた疑似恋愛ができるものに嵌っていったのです。

 それは恋愛シミュレーションゲーム……いわゆる乙女ゲームです。

 その中のひとつに、メインとなる全員を攻略し、隠れキャラも攻略して全部のスチルを集めるほど熱を入れ込んだゲームがありました。聞き覚えがあるなあ……とよく聞きますと、なんとその隠れキャラの声は、兄が担当していたのです。

 まさか、兄が声優の仕事をしていると思っていなかったのですが、わたくしがそのゲームに嵌ったのは、きっと兄が出演していたからだと思っております。

 

 兄が声優をしていると知ると、兄が出ているアニメやゲームを調べました。アニメはそのほとんどを見ましたし、ゲームはわたくしでもできるものをいたしました。

 兄もわたくしにバレてからはイベントのチケットをくださるようになり、楽屋に呼んでくださって一緒にいた声優さんを紹介してくださったこともありました。

 その中のお一人がよく兄と一緒にいたことから、言葉をたくさん交わしました。その途中でわたくしを好きになってくださり、わたくしも気になっておりましたので、お付き合いを始めましたの。

 そして三年間お付き合いをして結婚しようという話が出た直後、わたくしは体調を崩しました。

 普段とは違う、胸に違和感を感じて病院で診察していただくと、乳がんだと言われて衝撃を受けました。

 ただ、先生からはきちんと治療すれば治ると言われました。もちろん、若いこともあるから、あちこちに転移して死ぬ可能性もあるとも言われました。

 そいうったこともあり、お付き合いしていた彼にはわたくしの病名をきちんと話し、わたくしからお別れを言い出しました。わたくしの最期に付き合う必要もない、完治するまで待たせるわけにもいきませんし、迷惑はかけられないからと。

 説得して、渋々ではありましたが、彼は頷いてくださいました。その数年後に彼が別の方と結婚なさったのは、とても嬉しいことです。

 きっとわたくしが死んだとしても、その女性がいれば大丈夫だからと。


 そこからは、わたくし一人で治療を頑張りました。両親にも兄夫婦にも病名を告げ、頑張るからと宣言しました。一人で頑張るつもりが両親も兄夫婦も応援してくれて、わたくしの支えとなってくださいました。

 そんなわたくしの密やかな心の支えは、兄が隠れキャラをしていたゲームや他のゲーム、出演していたアニメです。そして、結局は蓋をしきれなかった、兄への想いです。

 他にも乙女ゲームをやりましたが、ストーリーやキャラ、世界設定など、そのゲームが一番わたくしの好みにあっていたのです。

 続編やファンブック、ファンディスクも出されるほどの人気があるゲームとなり、わたくしはそのすべてを買い、何度もやりこみました。

 兄にサインをしてもらったこともありますし、シナリオをいただいたこともあります。

 告げるつもりのない、秘めやかなわたくしの恋――。結ばれることはないけれど、兄に対する想いだけで病気に立ち向かい、頑張りました。けれどわたくしの頑張りと治療の甲斐もなく、わたくしは元気になる前にこの世を去ったのです。


 物語にあるような、神様に会うというイベントなどもなく、そのまま転生したようでした。

 けれど、きっとなにかあると、この時のわたくしは考えていましたの。まあ、結局はなにもありませんでしたが。


 二日間熱に魘されて、ジークリットと田中 里沙の記憶が融合しました。記憶の一部は前世のわたくしですが、そのほとんどがジークリットとして過ごしてきたものです。

 これならば、わたくしが奇妙な行動をしなければ大丈夫だろうという確信がありました。物語の中には、前世を思い出したが故に、今世のことを綺麗さっぱり忘れて行動なさる方が少なからずいましたから。

 子爵家といえど、貴族令嬢に生まれたのです。十歳までとはいえ、厳しく躾られた貴族令嬢として育ったのです。

 前世の知識はのちのち役に立つのですから、それを覚えておいて、もっと大きくなってから――大人になってから、周囲に怪しまれない程度に知識を出せばいいと考えましたの。ヴィン様の領地が発展するような知識がきっとあるはずだから、と。

 その前に今世の勉強を頑張るようにしないといけません。それはヴィン様ともお約束しましたから、一緒に卒業したいと思います。


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