第357話 空にある異質

 どこまでも静けさに支配された『棺』は言いようのない異質さを感じさせる空間であった。どこかに『なにか』が潜んでいるように思えてならない空気。それは気のせいなのか、それとも『棺』の内部に五感では感知しづらいなにかが仕込まれているのかはわからなかった。


 どちらであったにせよ、この場所が敵の本拠地であることに変わりない。一瞬たりとも気を抜くわけにはいかなかった。気を抜いたその瞬間、なにかに足もとを掬われるかもしれないのだから。


「とりあえず前に進んでみたけれど、どこに行こうか?」


 侵入した地点からずっと一本道が続いている。いまのところ迷うような構造にはなっていないが、規模を考えると、当てもなく進んで目的の場所に辿り着けるとは思えなかった。長引けば長引くほどこちらが不利になる状況であることは変わっていないのだ。少しでも早く終わらせられる手段を取るべきであるが――


 多くの場面でこちらの案内をしてくれたアースラはもういない。彼は、自分たちがここに侵入をするために、残されたわずかな命を使いつくしてしまったのだから。ここからは、自分でなんとかするしかない。


「…………」


 足を止め、あたりに敵の姿がないことを確認したのちに、目をつむって感覚を研ぎ澄まして、目指すべき場所がどこにあるのかを探知してみる。


 それはすぐに見つかった。『棺』の中枢部分――竜たちの本体が補完されている場所だ。具体的な距離までは不明だが、ここからは結構離れている。位置的には恐らく、中心に近い部分――外からもっとも遠いところ。それにもかかわらず、すぐに見つけられたのは、それが隠しきれないほど大きな力を持っているからだろう。


 どの方向にあるかはわかったが、そこにどうやって辿り着けるかまではわからなかった。規模を考えれば、中心部分まで一本道で行けるはずもない。アースラの助けがない以上、手探りで進んでいくしかなかった。


 大都市を一つ崩壊させて空へと浮かび上がった『棺』はとてつもなく巨大だ。外に近い部分から中心まで相当の距離がある。であれば、そこに辿り着くまで一切敵に遭遇しないということはあり得ないだろう。敵は間違いなく、こちらが侵入を果たしたことを知っているのだから。


 自分が歩く足音だけが響き渡る。異様なほどの静けさは、この先にあるはずの不吉を感じさせるものであった。嫌な空気だ。天井も高く、通路幅もかなり広いのに、強い圧迫感があった。そう感じるのは、ここが窓のない締め切られた空間である、という理由だけではないのだろう。ここでは、なにが起こってもおかしくない。そう思わされる『なにか』があった。


 それでもなお、足を止めるわけにはいかなかった。


 ここで退いてしまえば、なにもかもが終わってしまう。竜という極めて強大な存在に自分を含めたすべてが呑み込まれてしまうのだから。


 だだっ広い通路はまだ続いている。ドアや分岐路は未だ見つからず、果てまでこの一本道が続いているように思えるほどだ。風景が一切変化しないせいで、延々と同じ場所を歩いているのではないかと錯覚してしまう。なにしろここは敵の本拠地である。その程度のことがあったとしてもおかしくない。


 竜夫は再び足を止め、感覚を研ぎ澄まして周囲を探知した。強い力が感じられる方向に変わりはない。『棺』が巨大であるせいで、変わっていないように思えるのか、同じ場所を延々とループさせられているのか、どちらなのかは不明だ。どちらであってもおかしくない。ここは敵の本拠地である。相応の防御機能があって然るべきだ。


 竜夫は刃を創り出し、近場の壁を斬りつけた。振るわれた刃によって、壁に傷がつく。


 壁の感触におかしなものはなかった。斬りつけた壁に近づき、そこに目を向けてみる。コンクリートのような素材で造られた壁。そこには、見るからにおかしなものはなにもなかった。


 古典的な手段ではあるが、延々と同じ場所を歩かされているのであれば、いまつけた傷の場所に再び来ることになるだろう。手段として古典的すぎるので確実とは言えないが、なにもしないよりはマシだ。


 竜夫は周囲を確認する。監視カメラのようなものは見当たらなかったが、それに類するものがどこかに仕掛けられていたとしてもおかしくない。なにしろこれだけの規模のものを空に浮かばせる存在なのだ。こちらには探知し得ない方法で、ここを監視する手段があったとしても不思議ではない。もうすでに、こちらは常に監視されていると考えるべきだろう。


 竜夫はなおも広い回廊を進んでいく。


 風景に一切変化がないというのは、存外に負担を強いられるものだ。やはり、人間にとって『わからない』ことを強いられるのはとてつもなく有効である。ただそれだけで精神力が削られていく。


 相変わらず風景に変化はない。時おり壁に目を向けてみるが、先ほどつけた傷を目にすることはなかった。であれば、同じ場所を延々とループしているわけではないはずだが――


 竜夫は再び刃を創り出し、壁に向かって振るった。再び壁に傷がつく。


 傷をつけた壁に手を触れてみる。冷たい無機質な感触が手に広がった。触れた時の感触からして、この壁が幻の類であるとは思えなかったが、根拠はまったくないのであまり信用しないほうがいいだろう。


 アースラがいれば、この場所がどうなっているのかある程度はわかっていたように思えた。だが、彼はもういない。頼ることはできないのだ。ここがどのような場所であったとしても、自分でなんとかしなければならない。


 いまのような状態となり、いままで多くの場面でアースラに助けられていたことを改めて実感する。ここに侵入するために、彼を失ったのは大きな痛手であったことは間違いなかった。


 それでもなお、足を止めるわけにはいかない。もう前に進んですべてを終わらせる以外、生き残る術は残っていないのだ。もう後のない、詰みに等しい状況。ここからすべてをひっくり返さなければならないというのは無謀であるというよりほかになかった。


 しかし、諦めようという思いは微塵もない。そう思いたいだけなのか、自分でも把握していないなんらかの確信があるのか――どちらなのか不明だが、戦意は依然として減退していなかった。


 竜夫はもう一度足を止め、刃を創り出して壁を斬りつけた。壁を斬った時の感触もまったく同じだ。コンクリートのような、冷たく硬い無機質な感触。おかしなものはまったく感じられなかったが――


 もし幻に囚われているのであれば、どうすればそれを突破できるだろうか? その時の対処方法がない状態で進むのはあまりにも危険に思えた。


 幻覚というのは、脳に作用して起こるものである。竜の力によって幻覚を見させられているのであれば、脳に作用し、ありもしないものを見せているそれを排除できればなんとかできるはずであるが――


 竜夫は自身の頭に手を当て、竜の力を流し込んでみた。


 その瞬間、脳を直接つかまれて揺さぶられたかのような衝撃が走った。


 その後に、脳を洗浄されたかのように視界がクリアになる。


 風景に変わりなかった。やはり、同じ場所と延々とループしていたり、幻覚の類を見せられているわけではなかったのだろうか?


 どちらであったとしても、前に進むしかなかった。竜夫は周囲を警戒しつつ、先へと進んでいく。


「力技ではあるが、そこを脱したというわけか。できれば戦いなどしたくなかったが、そうもいかんか」


 しばらく進んだところで現れたのは、白髪の大柄の男。


「我々が放った多くの敵を討ち倒し、ここまで辿り着いたのだからそのくらい当然というわけか。いやはや、物事というのはいつになっても計画通りに進んでくれんものだな。そう思わないか? 異邦人」


 現れたこの男が敵であることは間違いなかった。竜夫はすぐさま、刃と銃を創り出した。


「おや、会っていきなりそんなのものを持ち出すなど、随分と好戦的だ。俺としては、異邦人たるお前と話がしたいところであるのだが。なにしろ、この世界の住人ではない知的生物と会話する機会などなかなかないからな。どうだ? ここは文明的かつ知的に議論をすべきではないかね? いや、俺が話を訊きたいのであるから、取材というのが正しいか?」


 白髪の男はべらべらと言葉をまくし立てていく。こちらの様子など一切介することはなかった。


「……その様子だと、難しそうだな。実に残念だ。このような機会などなかなかないのだし、そちらとしてもやっておいても損はしないはずだが。では――」


 そう言った直後、白髪の男の姿は消え――


『棺』の内部における最初の戦いが始まった。

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