第236話 瞬間、心重ねて

 自分が見ている光景と、遠く離れた場所にいるはずの大成が見ている光景が同時に見えるというのは、とてつもなく不思議で無秩なものであった。なにしろ、いま自分が見ている光景に重なるようにして、離れたところにいる大成が見ている光景を見ているのである。それは、どこまでも不思議で無秩序であるというよりほかに道はなかった。



 だが、それほど不愉快というわけではなかった。大成は自身が見ている光景と同時に氷室竜夫が見ているはずの光景を見ながらそう考える。すべてが凍結した街の中にいるにもかかわらず、すさまじい熱が感じられた。強烈な熱さと寒さが同時に感じるというのは言葉にできない感覚であった。それはきっと、氷室竜夫も同じく感じているのだろう。なにしろいま自分たちは、多くのものを共有しているのだから。



 熱さと寒さが同時に感じるという未知の感覚に襲われながらも、竜夫は動き出す。立ちはだかる奴隷兵士たちの数はさらに増えていた。恐らく、三十は軽くいるだろう。奴らは、一体一体はただの雑魚でしかないが、延々と供給され続けるという存在だ。たった一人で相手にするには精神的にも物理的にも厳しい相手である。こちらがやるべきなのは、奴隷兵士を倒すのは最低限にとどめ、道を作り出すこと。そして、大成とタイミングを合わせて大成を攻撃し、倒す。それはシンプルなことこのうえないが、とてつもなく厳しい綱渡りであった。



 あの双子を倒すにあたって、自分と氷室竜夫、どちらが厳しい状況かと言われれば恐らく、こちらだろう。なにしろ、こちらに立ちはだかっているのはまともな殴り合いをしていたらなかなか倒せない強者が相手なのだ。タイミングを合わせて同時に倒すという困難を成し遂げるにあたってそれはかなり厳しい点であるだろう。タイミングを合わせやすいのは、多少の無理ができる雑魚が相手である氷室竜夫であるが――あくまでもそれはこちらとあちらを比べたときの程度の問題でしかない。向こうも同様に、命がけの綱渡りが供用されることに変わりはなかった。こちらも、できることをやっていくしかない。



 奴隷兵士たちの集団と、大成が対峙する人狼を同時に見ながら竜夫は、あの双子を倒すにあたって、どちらがタイミングを合わせるのかについて考える。現状であれば、それはこちらだろう。こちらが相手にしているのは雑魚の集団である。かなりの強敵を相手にして売る向こうがこちらに合わせるより、ある程度対処にしやすい雑魚を相手にしているこちらが相手に会わせるほうが間違いなく成功率は高まるはずだ。こちらが相手にしている奴隷兵士は数以外まったく脅威ではないのだから。現状、多少の無理もできる。無論、どうなるかは不明瞭ではあるが。



 人狼が動き出す。その所作には、獣の荒々しさと、達人のごとき滑らかさが同時に存在していた。大成は直剣を構えて人狼の動きに合わせて前に踏み出して迎え撃つ。人狼の硬化した腕と大成の直剣が交錯する。硬い感触が両手に伝わってきた。当然のことながら、ただ打ち合っただけでは人狼の硬化した腕を傷つけることはできなかった。



 こちらへ向かってきた奴隷兵士を三体斬り捨てた竜夫の両腕に硬い感触が伝わってきた。大成と人狼が打ち合っているのが見えた。両腕に伝わってくる感触と、自身が見る光景と重なって見える映像から、彼が攻め手に欠いているのはすぐさま理解する。なにか手助けできることがあればと思ったが、こちらにできることはなさそうだった。



 人狼の圧倒的な硬さを誇る両腕と打ち合いながら、自身が見ている光景の重なるようにして映る氷室竜夫の光景に目を向ける。彼が相手にしている奴隷兵士は、確かに雑魚でしかなかった。だが、どれほど雑魚であってもそれが幾千幾万ともなれば脅威である。なにより、減らない敵を相手にするのは精神的につらいものだ。この異世界に来る前に、正体不明の怪物と終わりなき戦いを繰り広げていたから理解できるものであった。それを相手にしてもなお、折れることなく戦い続けている彼は見事なものだ。かつて、平和な世界にいたとは思えないくらいに。



 竜夫はさらに奴隷兵士を斬り捨て、前へと出る。アニマまでの距離は十五メートルほど。だが、その距離は果てしなく遠い。こちらの行く手を遮るようにして、奴隷兵士が壁を成している。圧倒的な数をアドバンテージにして、こちらを物理的に押し込んでくるのだ。それでも、この状況では圧倒的な強者を相手にしている大成のほうが厳しいだろう。視界に重なって映る彼と人狼は一進一退の攻防を続けていた。拮抗しているように見えるが、長引けば長引くほど有利になるのは、人ならざるものである人狼のほうだろう。彼を信じる以外、できることはなかった。であれば、やることは一つだ。



 これで、何度人狼と打ち合っただろうか? とてつもなく長い時間を奴と共有しているような気がした。いつまでもこの時間を続けるわけにはいかないのだ。はっきり言って、そんなのはごめんである。ここを切り抜けるのであれば、奴を倒さなければならない。一応、奴を倒しうる手段は思いついているが、こちらだけが逸ってもその先にある目的を達成することは不可能だ。氷室竜夫が見ている光景に目を向ける。彼が相手にしている奴隷兵士たちは減る様子がまったくなかった。こちらがなにか手を貸せれば、彼に襲い来る雑魚の集団をどうにかできるのだが、そんなことできるはずもない。いまこちらがやるべきなのは、あの人狼を倒すことだ。できることをやるしかない。



 奴隷兵士を斬り捨て、撃ち殺し、なおも前へと進んでいく。アニマとの距離はまだ遠い。ここから攻撃することも可能だが、こちらだけが出しゃばって攻撃をしたところで、奴を倒せるはずもなかった。奴に攻撃をするときは、大成とタイミングを合わせなければ駄目だ。奴らは、どちらかが生き残っていたのなら、すぐさま復活するのだから。



 すべてが凍りついた街に硬く空しさが感じられる音が鳴り響く。長期戦となっても人狼は未だ冷静だ。的確に戦いを長引かせ、こちらが嫌がることを続けている。獣とは思えない狡猾さだ。奴を打ち倒すにはやはり、代償が必要だろう。ここで出し惜しみをした結果、敗北をしてしまっては意味がない。余力を残しておくことは大事だが、余力を残すためにできることができなくなってしまったらなにも意味はないのだから。



 竜夫はさらに前へと出る。アニマまでの距離はあと七メートルほど。傷つくことを無視すれば、すぐにでも接近できる距離だ。だが、まだ距離を詰めるべきではない。余力を残し、先へと進む道を作りつつもう少し耐えなければならないだろう。彼の前に立ちはだかっている人狼をどうにかできるまでは。前から後ろから奴隷兵士が押し寄せてくる。少しでも気を抜けば、物量に圧し潰されてしまいそうだった。



 人狼の硬化した腕を防御した大成は前に踏み出し、直剣を突き出した。しかし、人狼はそれを硬化した自身の腕で受け流す。そのまますり抜けるようにして大成の横に回り込んだ。そこに人狼の貫手が襲いかかる。それは大成の身体に吸い込まれるようにして命中し――



 竜夫の身体に強烈な痛みが駆け抜けた。大成と感覚を共有した状態で、彼が人狼の腕で刺し貫かれたからだ。それは動けなくなるほど強烈な痛みであったが――


 人狼の腕で刺し貫かれた大成は、自身の身体に突き刺さっている人狼の腕をつかみとった。自身の身体に突き刺さった腕が抜けないように。感覚を共有している氷室竜夫に苦痛を感じさせることになるが、すぐにでも奴を倒しうる手段はこれしなかったのだから仕方ない。大成は自身の身体から――



 その瞬間、すべてが赤へと染まった。煙玉でも投げたかのように、赤い霧が人狼を覆ったのだ。その中で大成の身体に丸太のごとき腕を突き立てた人狼の動きが変容させる。人狼は全身を異常な痙攣させたのち、全身から血を噴き出したのだ。竜夫からは、彼がなにをどうしたのか不明であったが――



 もともと、ブラドーが持っている能力は自身の血肉を操る力である。竜殺しの呪いというのはとてつもなく強力なものであるが、副産物でしかない。自身の身体に腕を突き立てた人狼に、巻き込むようにして自分の身体を構成する血肉を爆散させ霧状に放出したのだ。それは、大成が死からも復活できるほどの再生能力を持っていたからこそできる捨て身の手段であった。



 大成が人狼を倒すのと同じくして、竜夫は足もとから竜の力を全身全霊を持って叩きこんで、地面から無数の刃を突き出させ、その場にいたほぼすべての奴隷兵士を串刺しにし――



 大量の呪いの血を浴びた人狼はその身体を維持できなくなり消滅。その直後、あたりに滞留する血煙を切り開くようにして死から蘇った大成は三度直剣を創り出しアルマへと向かい――



 すべてを串刺しにし、ほんのわずかな瞬間だけ創り出した間隙を利用して竜夫は距離を詰め、アニマへと接近。



 赤い刃の直剣と、鈍色の武骨な刃が双子へと迫り――



 それは、間違いなく同時に刺し貫いた。



「……やるじゃない。私たちをそんな風に殺すなんて」



「ああ、残念。せっかくここまで来たのにやられてしまうなんて。でも仕方ないわね。そいうこともあるでしょう。私たちだって生きているのだし」



 同時に刺し貫いた刃は同時に引き抜かれ、同時に双子は力なく倒れ――



 不可能を成し遂げた二人は、その場へと膝を突いたのだった。

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