第33話 手がかりを得た先に……

 竜夫は歓喜に包まれたまま街を進んでいき、店の前に辿り着いた。これから決定的な情報が手に入ると思うと、心が高鳴り躍り、気持ちが逸ってくる。


 これで、もとの世界に戻れるかもしれない。それを思うと歓喜に震えるのは当然だろう。自分はわけもわからないまま召喚され、牢獄に入れられ、竜によって助けられて、力を得たとはいえ、なにもわからないままこの世界に放り出されたのだ。はっきり言って、この世界に未練などない。


 だが、喜んでばかりはいられない。自分を召喚したあの施設は軍事施設なのだ。間違いなくかなりの防備が敷かれているだろう。それを掻い潜って侵入する必要がある。恐らくこれも、簡単なことではないだろう。


 そして、それに心置きなく注力するためには、いま自分を狙っている刺客を始末する必要もある。昨日、接触してきたのだからそう遠くない日に、今度は別にいる仲間とともにこちらを襲撃してくるはずだ。


 困難は残っているのは間違いない。先にある困難が霞んでしまうほど、先に道が開けたことがとてつもなく嬉しかった。


 異世界から召喚できるのだから、この世界から異世界に戻すことだってできるはずだ。竜という強大な存在が作り上げた魔法装置が、一方通行であるとは思えない。そのありえない装置があの施設のどこかにある。竜よりも遥かに劣った存在である人間が、竜の叡智と技術で作られたものを復元したのだ。この世界の人間の向上心に感謝をしよう。


 そこまで考えたところで、あの孤児院にいた子供たちのことを思い出した。何時間も自分のことを引きずり回した子供たち。別れるときに、自分は――


 あの子たちに「また来る」と言った。そう言ったことを、はっきりと思い出せる。


「…………」


 この世界には未練などない。けれど、「また来る」と言った子供たちになにも言わずに去るというのは礼儀としては間違っていると思う。


 あの施設に侵入する前に、一度孤児院に行って顔を見せ、軽くでもいいから別れの挨拶をしてもいいかもしれない。それしかできないけれど、なにもしないよりはいいだろう。


 竜夫は扉に手を伸ばす。扉を開こうとしているだけなのに、手が少しだけ震えた。


 ドアノブに手を触れたまま動きを止め、そこで深呼吸する。ゆっくりと、深く、一度だけ。


 深呼吸を終えたところで、ドアノブを回して引いて、扉を開ける。


「お待ちしておりました」


 扉を開くと同時にからからと音が響き、店主が低い声とともに竜夫を出迎え、カウンター越しから見事な一礼をする。


 店の中に入った竜夫は、さらにその心音が高鳴った。いままでの人生でここまで歓喜に震えたことはない。きっと、こんな歓喜を覚えるのはもう二度とないだろう。その歓喜はできるだけ表には出さないようにする。


「こちらにお座りください」


 店主が自分の前に手を向ける。竜夫は言われた通り、カウンターの席まで歩いていき座った。


「なにか嬉しいことでもありましたか?」


 竜夫が座るなり、店主はそんなことを言い出す。


「ええ、まあ。少しだけ」


 当然のことながら、その嬉しいことが、この情報がもたらされることなのは隠しておく。恐らく、彼がそれを悟ったとしても、わざわざこちらに言ってきたりはしないだろう。まだ二度、ほんの少しの時間話しただけだけど、彼はそのくらい気を利かせることができるはずだ。


「それはよかった。ところで、なにか飲みませんか? 奢りますよ」


 店主にそう言われ、竜夫は少し考える。


「できれば、飲み物よりもなにか軽食がほしいのですが、大丈夫ですか?」


「ええ。構いませんよ。まかないのあまりでいいのならすぐに出せます」


「じゃあ、それをお願いします」


 竜夫がそう言うと、店主は後ろに置かれている大きな棚のようなものを開ける。その中には、食材と思われるものが入っていた。あれは、冷蔵庫だろうか?


「冷蔵庫なんてあるんですね」


「ええ。店を開くとき、奮発して買ったのですよ。日持ちしないものを保存しておけるのでかなり助かっています。なかなか高い買い物でしたが、後悔はしていませんね」


 店主は冷蔵庫の中からなにかを取り出した。取り出した中皿にはパンのようなものが置かれている。その皿を、竜夫が座っているカウンターの前に置いた。


「どうせなら、飲み物もつけましょうか。朝ですし、酒は出しませんので安心してください」


 皿を置いた店主は、こちらに背を向け、カウンターで作業を始める。


 すぐに、こぽこぽという音と湯気が立ちのぼってくるのが見えた。なにか温かい飲み物を入れているらしい。


「どうぞ」


 皿の隣に置かれたマグカップには薄茶色の液体が注がれていた。


「これは……?」


「チャーレとフランカです」


「…………」


 どちらがチャーレでどちらがフランカなのかわからなかったが、見たところ食べられないようなものではなさそうだ。


 まずはパンのようなものを手に取る。パンの上には野菜と肉となにかのソースがかかっていた。少しだけ逡巡したのち、それを頬張った。


「おいしい……」


 こってりとした甘辛のソースと角刈りにされた肉が野菜とうまく調和している。ジャンキーな味ではあるが、いまの竜夫にとってそれはもとにいた世界のファストフードの味を思い出させるものだった。


 次は温かいマグカップを手に取り、ゆっくりと啜る。こちらは、コーヒーのようにもお茶のようにも思える不思議な味の飲み物だった。いままで一度も食べたことのないような妙な味なのに、不思議とまずさは感じない。


 竜夫はパンのようなものと飲み物を交互に口に入れていく。五分と断たずに出されたものを平らげてしまった。


「おいしかったです。ありがとうございます」


「いえいえ。いいんですよ。あなたには世話になりましたから。それにしても、あなたは妙ですね」


「妙?」


 竜夫は首を傾げる。


「ええ。この国の代表的な食べ物であるチャーレとフランカを知らないのですから」


 店主は、物静かに低く、どこか楽しそうな声で言う。


「最近は海を隔てた遠くの異国からの旅行者も来るようになりましたし、幾人かこの店にも来たことがありますが、あなたほどおかしな方向で無知だった人は他にいませんでした」


「…………」


 竜夫は店主の言葉を聞きながら、黙っている。


「そこまで無知なにもかかわらず、話をした限りでは、しっかりと教育を受けているようにしか思えない。しかも、かなり高等な教育を。この大陸でも、大学に行けるのはある程度裕福な家だけですから」


 竜夫は一応大学を出ているから、店主が言うように高等な教育を受けたことになるのだろう。


「……余計な詮索をしてすみません。朝食も終えたようですし、そろそろ本題に入りましょうか」


 店主は綺麗に一礼して、皿とマグカップをカウンターに戻しつつ話題を変えた。

「結論から言いますと、破壊された軍事施設というのは帝都郊外のアーレム地区にあることがわかりました」


「アーレム地区というのはどのへんですか?」


「帝都中央駅から下りの方面にアーレム地区行きの電車が出ています。その終点が、件の破壊された軍事施設の最寄り駅になります。終点までは一時間ほど到着しますから、それほど長い距離ではありません。少し駅から離れていますから、気を付けてください」


 アーレム地区。その言葉を心にしっかりと刻み込む。


 そこにある軍事施設が、自分が召喚され、竜によって助けられた、忌々しい想い出のあるはじまりの場所。


「ありがとうございます」


 竜夫は再び礼を言う。今度は深々と頭を下げて。


「いいんですよ。それが私の仕事の一つでもありますし、何度も言っているようにあなたには世話になりましたから」


「それにしても、まだ二日しか経っていないのに、よく調べられましたね」


 はっきり言って、三日経ってもたらされる情報は望ましくはないだろうと思っていたのだが。


「今回は場所を調べるだけでしたから。ふらふらと動く人や、危ない筋の内部の情報ではありませんでしたからね。


 それに、私は他の人間よりも多く時間を使えるものですから」


「自営業だから、ですか?」


「いえ。違います。私の一族は竜血持ちでしてね。眠らなくて済む体質なんですよ」


「竜血……?」


 聞き慣れない言葉に、竜夫は首を傾げる。


「おや、それも知らないのですが。つくづく奇妙な人だ。竜血持ちというのは、なんらかの方法で竜に近づき、竜が持っているような特殊な力を手に入れた人間のことを言います」


「竜に近づいた、人間」


「竜に近づく方法というのがなんなのかは、私にはまったくわかりません。まだ人間が文明を持っていなかった時代に、竜の血を浴びた我々の祖先の影響によるものだと言われていますが――」


「…………」


 もしかして――


 アルバや自分を狙う刺客たち、夢の中に現れた男はその竜血持ちだったのではないか? そうだとするなら、奴らがあのような尋常ならざる力を持っていたことも頷ける。


「どうかしましたか?」


「竜血持ちっていうのは珍しいものなんですか?」


「ええ。詳しいことはわかりませんが、自分の祖先がなんらかの形で竜に接触していなければ、竜血持ちは生まれることはありませんから。私も、竜血持ちの人間と会ったことは数えるほどしかありませんし、何万、何十万、もしかしたら何百万人に一人ってこともあり得ます。それくらい、竜血持ちの人間は少ない」


 そう言った店主の顔には少しだけ翳りが見えた。彼の持つ特殊な力でなにか苦労があったのかもしれない。


「竜血持ちの人間はどんな力を持っているんですか?」


「色々あるとしか言えませんね。人間離れした身体能力を持っていたり、人よりも優れた知能を持っていたり、私のように眠らずに済む人間もいたり、その性質は様々です。一概には言えません」


 となると、アルバのように他人を狂戦士に変えて操ったり、あの刺客の一人のように姿を消したり、夢の中の自分をどこかに引きずり込んだりすることも可能ってわけか。


「持つ力によっては、とんでもない好待遇で軍に雇われることもあるようです。私と同じように竜血持ちだった祖父は、軍の諜報要員として活躍していたようですから」


 店主の声は少しだけ誇らしげに聞こえた。


「そういうわけで私は眠らずに済む体質なのですよ。だから、他の人よりも遥かに長い時間活動していられる。情報屋も、その有り余る時間を使うために始めたのです」


 人間は生きている時間の三分の一は寝ているという。その寝ている時間が必要なかったとしたら、多くの人よりも使える時間が多くなるのは明らかだ。


 確かに、深夜ずっとこの店を営業していたにもかかわらず、店主には疲労の色はない。


「なんか……すごいですね」


「人と違うのは色々と苦労がありますが、なんとかやっていけているので、いまはそれほど困ってはいませんね」


 店主は少しだけ笑みを見せる。


「あなたがなにをするつもりかは聞くつもりはありませんが、幸運であることを祈っていますよ」


 店主がそう言った瞬間、後ろから扉の開く音がした。竜夫は後ろを振り向く。そこには、どうやって扉を通り抜けたのかと思うほどの巨漢が立っていた。


「すみませんが、いまは準備中です。また夜におこしください」


 店主はカウンターから出て、巨漢に近づく。しかし、巨漢は店主が近づいてもまったく気にする様子がない。


「…………」


 がたがたと音が聞こえた。巨漢のすぐ近くに、ソフトボール大のものが転がっている。


「一体なにを――」


 店主が巨漢のおかしな行動を引き留めようとする。だが、巨漢は相変わらず意に介さない。身体のどこかからぼとぼととソフトボール大のなにかが落ちてくる。


「あなた一体なにを……これは――」


 そう言って店主はあたりに転がっていくソフトボール大のなにかを拾い上げようとして――


 店主がそれに触れた瞬間、店の中は爆音と衝撃に包まれた。

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