第31話 夢幻なる世界

「ここは……」


 ふと気がつくと、竜夫の目の前に広がっていたのは不思議な空間。天地を逆さにした光景。距離感覚が明らかにおかしい建物群。極彩色の空。それは、いま自分が立っている場所は明らかに尋常なものではないとすぐに理解できるものであった。


 なんで、こんなところにいる? 竜夫はそう自分に問いかけた。直前の記憶を思い出そうとする。


 ホテルに入り、シャワーを浴びて、しばらくしてから眠った。そのはずである。その一連の記憶の中には、このようなおかしなものはなにもなかったと記憶している。いま自分を狙っている刺客からの攻撃もなかったことも確認済みだ。


 それに、いまの自分であれば、寝ていたとしても刺客に狙われたのならすぐに察知できるだろう。それぐらいの力はあるはずだ。


 なのにもかかわらず、このような状況に陥っている。一体、自分はなにをされたのか? いつ、どの時点からおかしくなっていたのか? それがまったくわからない。


「……いや」


 そこまで考えたところで気づく。


 ホテルに入ろうとした瞬間に感じられたあの香のような匂いのことを思い出した。一連の記憶の中で、おかしなものといったらそれしかない。あれによって、自分はこのような光景を見させられているとしか思えなかった。


 やはりあれは、自分を狙う刺客が放ったものだったのだ。自分にしか効かない毒がある確率はほぼないと思っていたのが仇になった。


 もっと警戒をしておくべきだったと竜夫は悔やんだ。現実での自分はいまどうなっている? こうやっておかしな光景を見ている自分がいる以上、まだ殺されてはいないはずだが――


「安心したまえ。きみは無事だよ」


 そんな声が背後から聞こえて、竜夫は後ろを振り向く。


 十メートルほど後ろのところに、灰色まじりの髪をした男が立っていた。細身で長身の男。顔は見えているはずなのに、どういうわけか判然としない。男に相対した竜夫は、すぐにでもあの男に飛びかかれる姿勢へと移行する。


「まあまあ、そう警戒しないでくれたまえ。確かにきみがここにいるのは私のせいなのは間違いない。しかし、それはきみになにか危害を加えるつもりでやったんじゃあないんだ」


 顔と同じように何故か判然としない声で言いながら、男はこちらに手を出す意思はないと示すかのように両手を上げた。


「この場でなら、安心して話ができるから、きみに来てもらったというわけだ。こちらの事情で一方的にきみを呼びつけたのが無礼であることは重々承知しているよ」


「そんなこと、信用できると思っているのか?」


 竜夫は男に言い返す。手に刃を創り出し、その切っ先を男に向け、いつでもお前の首を斬り落とせるという意思を示した。男は竜夫の言葉を聞き、「確かにそうだ」と同意を示す。


「それでも信用してもらいたいと思っているのだけどね。私はいまきみを狙っている刺客ではない。なにをすればそれを証明できるだろう? 私と同じく、竜の力を手に入れた者よ」


「……なに?」


 男の言葉を聞き、竜夫は顔をしかめる。


「何故それを知っている?」


「そりゃあ知っているとも。きみは、街であれだけ堂々と竜の力を使っていたのだから。嫌でも目につくさ。その証拠に、私だけでなく敵にも捕捉されている」


 相変わらず、男からはこちらに対する攻撃の意思は感じられなかった。それでも竜夫は、男に対する警戒は解かず、刃を向けたままだ。


「お前は、何者だ?」


 竜夫は目の前に立つ男に問いかけた。


「私は、きみと敵を同じくするものだよ」


「…………」


 敵を同じくする。それは、この男も自分と同じく、この国を、軍を敵にしているということか?


「お前はどうして竜の力を持っている?」


 この世界には、自分に力を与えてくれたあの竜以外には存在しなかったはずだ。それなのに、どうして竜の力を持っている人間がいる? やはり、あの竜が言っていた通り、消えたはずの竜がどこかで復活しているのだろうか?


「それについては、きみが我々の仲間になってくれるのであれば、私が知っている限りのことになるがそれを話そうじゃないか」


「お前らの……仲間だと?」


「いや、それは違うかな。正確に言うのなら、きみには我々を束ねる存在となってほしい」


 こちらを見据えたまま男は言う。相変わらず声も表情も判然としない。あやふやな幻を見ているかのようだ。だが、そのあやふさとは裏腹に、こちらに喋りかける言葉はあまりにも明瞭で、一切の迷いは感じられなかった。


「我々は、我々の世界を侵さんとする存在を打破するために戦っている。しかし、その状況はあまり芳しくない。このままでは、そう遠くない日に我々は敗北するだろう。我々が対している敵はそれぐらい巨大な存在だ。


 だが、きみが我々の仲間に、我々を束ねてくれるのならば、その閉塞した状況を打破しうるしかもしれない。私はそう思っている」


 明瞭な声で男は熱弁を振るう。男が言ったその言葉には、言いようのない強さが感じられた。


「お前らの敵とは誰だ?」


 竜夫は手にする刃を男に向けたまま、重い声で言う。


「決まっているだろう。我々の敵は、この国を、世界を支配しつつあるものたちさ」


「革命を起こそう、としているわけか?」


「いまのきみにもわかりやすく説明するのならそうなるね」


 竜夫の問いかけを男は首肯する。竜夫はしばらく考えて――


「悪いが、僕は権力闘争になんて興味はない。その神輿にされて担がれるのもごめんだ。革命をしたいのなら、僕の知らないところで勝手にやってくれ。どこの誰が権力を握っていようが、僕には関係ないからな。そもそも、僕には他にやらなければならないことがある」


 この世界の、どこの誰が権力が握っていようが、異邦人である自分にはまったく関係がない。


 そもそも、自分がこの世界で生きているのはもとの世界に戻るためなのだ。この国で誰が権力を握っていようが、それが変わるわけではない。もとの世界に戻ったのなら、この国がどうなったところで自分には関係ないのだ。そしてなにより、この国の権力を持つ者が変わると、もとの世界に戻る手段が見つかるとも思えなかった。


「ふむ」


 竜夫の言葉を聞き、男は頷いた。


「それならば仕方ない。今回は諦めよう」


 あまりにもあっさりと男は言う。あれだけの強さを以て熱弁していたのが嘘だったと思えるほどの潔さだ。


「だが、我々はいつでもきみを歓迎しよう。もし、気が変わったのなら我々を訪ねてくれ。今度は夢幻の世界ではなく、しっかりと顔を合わせてね」


 そう言った男は最後にどこかの住所を告げた。


「では、そろそろ終わりにしよう。いきなりこんなところに無許可で呼び出してすまなかった。では、またいずれ会おう」


 目の前にいた男は溶けるように消えていった。その姿が見えなくなると同時に、まわりの光景も崩れていく。


 この世界を構成する距離感のおかしいねじれた建物が、天地が翻り、極彩色の空が崩壊する。逃げなければ、そう思ったときにはすでに足もとの世界も崩壊して――


 竜夫の身体は、おかしな浮遊感とともに、どこまでも続く暗黒の彼方へと飲み込まれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る