竜がいた異世界にて ‐無意味に異世界召喚された僕は最後の竜の力を得てもとの世界に戻るために抗い続ける ‐

あかさや

第1部 竜の復活

第1話 見知らぬ世界での現実

 自分の身に一体なにが起こったのだろう? バイト帰りの氷室竜夫の目の前に広がっていたのは見知らぬ光景だった。


 そこは、なにかの薬品のような匂いに包まれた、牢獄のように重々しいコンクリートの部屋。部屋自体は広いものの、天井が低く、窓もないため非常に圧迫感があった。そして、竜夫の前には見知っているものはなにもない。


 二十人ほどの人間が竜夫に視線を向けていた。鼻が高く、彫りの深い顔立ちの、明らかに日本人ではない風貌の、三十代から五十代くらいの男たち。軍服のようなものを着ている者と、白衣を着ている者がいた。当然のことながら、竜夫に視線を向けている軍服と白衣の男たちに見知った顔はない。


「――――」


 白衣を着た男がなにか言葉を発した。なんと言ったのかまったく理解できない。それは、いままで聞いたことのある、どの異国の言葉とも異質に聞こえた。


「――――」


 今度はかっちりとした軍服のようなものを着た男がなにかを言う。やはりなにを言っているのかまるで理解できなかった。しかし、その言葉が自分に向けて言っているのではないことだけは理解できた。


 それから、軍服と白衣の男たちは、竜夫のことなど忘れたかのようになにか相談のようなことを始めた。向こうもこちらがなにを喋っているのかわからないのを理解しているのか、その相談は竜夫のことを気にすることなく、堂々と行われている。


 竜夫はただそれを見ていることしかできなかった。突如として自分の身に起こった出来事が意味不明すぎて、なにしたらいいのかまったくわからなかったからだ。


 それに、暴れたところでこの人数では太刀打ちなど不可能である。なにしろ軍服と白衣は合わせて二十名近くいるのだ。たった一人で二十名に勝てるはずもない。そのうえ奥の扉の近くに控えている軍服は銃を下げていた。


 軍服と白衣による、相談は続く。その時間は永遠に思えるほど長かった。いったい自分はいつになったら、このわけのわからない状況から解放されるのだろうか? いや、そもそも、ここはどこだ? なにが起こった? なにもかもわからない状況と、困惑と不安と緊張によって、体温が上昇し、だらだらと汗が身体を濡らしていく。


「――――」


 軍服と白衣による相談が終わり、なにか言葉を発し、こちらを見た。竜夫に向けられたその目は、明らかに友好的なものではい。


「――――」


 軍服が再びなにかを言う。すると、まわりにいた軍服たちが動き出し、竜夫の身体を無理矢理引っ張り出した。それから竜夫の腕に手錠がはめられる。竜夫は一切抵抗することができなかった。竜夫はそのまま三人の軍服たちに引きずられて部屋の外に出る。


 部屋の外にも、見知らぬ光景が広がっていた。窓のない、圧迫感のある廊下を進んでいく。


 軍服に引きずられながら、竜夫はこれから、自分はどうなってしまうのだろうと考えた。いままでの態度から考えて、自分のことをいいように扱ってくれるとは思えない。現に自分はわけもわからないまま手錠をつけられ、連行されている。ここからいきなり、彼らが友好的になってくれるとはどうしても思えない。そんな友好的ではない相手から、どのような扱いをされるのだろう? 考えるだけでも恐ろしかった。


 廊下を進み、階段を上り、また廊下を進んだ先に待っていたのは、いくつもの牢獄が並んだ場所。武骨で恐ろしい牢獄が列を成していた。軍服は一番近くにあった扉を開け、竜夫のことを無理矢理押し込んだ。押し込まれた竜夫は倒れ込む。軍服は一度竜夫に視線を向け、それから持っていた鍵で扉を閉ざして立ち去った。


 ただ一人、牢獄で取り残された竜夫は途方に暮れるしかなかった。なんで自分はこんな目に遭っているのだろう? 言葉が一切通じない場所に来たかと思ったら、何故か拘束されて牢屋にぶちこまれている。


 竜夫は、牢獄の中を見渡してみた。そこにはあるのは簡素なベッドとトイレだけ。窓もしっかり鉄格子で塞がれている。圧迫感のあるコンクリートの壁も、鉄格子もどうにかできるものはなにもなかった。


 いや、そもそもこの牢獄から出られたところで、なにができるというのだろう? 自分のことを牢獄に入れた軍服たちは武装していた。同じような人員は他にもたくさんいるだろう。仮に武装していなかったとしても、こちらは丸腰なのだから、複数人でかかられたらどうすることもできない。


 どうすればいいのかまったくわからなかった。いまの自分はどうやっても詰んでいる。そうとしか思えなかった。


 そもそも、これは一体なんなのか? 一体自分になにが起こったのか? どうして言葉すら通じない場所にいるのか? なにもかもがわからない。恐怖と絶望が竜夫の心を支配していく。


 なにもすることができず、ただ時間だけが無為に流れていった。軍服も白衣もやってくる気配はない。時間が経てば経つほど、自分の心を支配する恐怖と絶望は大きくなっていった。


 もう死ぬしかないのだろうか? どことも知れぬ、言葉すら通じないどこかで、なにもできずにただ牢獄の中で死んでいくことしかできないのか? そう思うと心から恐怖を感じる。自分は無力な存在に過ぎないという、どんな刃物よりも鋭さを持つ不都合な現実を無慈悲に突きつけられたような気がした。


 怒りはなかった。あったのは時間が経つほどに大きくなる困惑と恐怖だけ。竜夫は、立ち上がる気力すらなくなっていた。


 どれくらい時間が流れたのだろう? 牢獄で、とても長い時間のようにも、短いようにも思える時間が過ぎたとき――


 突如として響いたのは、大地を揺るがすかのごとき轟音と震動。それによって立ち上がる気力すら失っていた竜夫は現実に引き戻される。


 今度はなんだ? 竜夫はあたりを見回す。自分のまわりは変わっていなかったが、どこからか怒声が聞こえてきた。どうやら、この場所でなにかが起こったようだ。事故か、それとも災害か?


 だが、軍服も白衣もここにやってくる気配はない。やはり自分を助けてくれる者なんて誰もいないのだ。どうせ、ここから出られたとしても、どうすることもできないのだ。さっさと諦めて――


 その瞬間、竜夫の後ろに発生したのはとてつもない衝撃。その衝撃によって竜夫の身体は大きく吹き飛ばされる。


「ぐっ……」


 頭を打った竜夫はうめき声を上げた。視界がぐらぐらと揺れる。それでも、なにが起こったのか確かめるために、後ろを振り返った。牢獄を重く閉ざしていたコンクリートの壁が破壊され、巨大な穴が空いている。一体なにが起こったのだろう? ただの偶然で、自分がいた牢獄の壁が破壊されるとは思えなかった。


「異邦人よ」


 声が聞こえた。とても低く、厳かで威圧感のある声。そして、このわけのわからない状況になってからはじめて自分に理解できる言葉だった。


「少々手荒な真似をしたが許してくれ。生きているか?」


 その問いに、答えようと思ったが、思い切り背中を打ちつけてしまったせいで、なかなか声が出てくれなかった。


「……う、うん」


 息を整え、竜夫はその問いに答える。


「ならよかった。ところで異邦人よ。わしはお前のことを助けに来たんだが――助かりたいという意思はあるか?」


「え……」


 この声の主はなにを言っているのだろう? 自分を助けに来た? 何故? またもや自分の身にわけのわからないことが起こって、さらなる困惑に襲われる。


「助かりたくないというのなら無理は言わん。そのままそこにいればいい。助かりたいのであれば、わしがぶち抜いたその穴から飛び出すがよい。時間はあまり残されておらん」


 突如として迫られる選択。助かりたい。この状況をなんとかしたいという思いがあるのは事実だ。だが、この声の主はどうして自分を助けようとしているのだろう? それがわからない。それに、この声の主についていった結果、さらにひどい状況になってしまうことも大いにあり得るだろう。


 しかし、選択の余地などなかった。このままここにいたのなら、先がないのは間違いない。なにもかもできないまま、なにもわからないまま、牢獄の中で惨めに死んでいくしかできないのだ。それなら――


 竜夫はよろよろと立ち上がる。打ちつけた背中と頭から鋭い痛みが走った。でも、痛いからといって止まるわけにはいかない。この状況をなんとかするには、あの声の主の言う通りにしなければ――


 ぶち抜かれた穴から空気が流れ込んでくる。少しだけ生温い空気。その空気は、自分が見知っているものとはどこか違うもののように思えた。


 竜夫は痛みにこらえながら、助走をつけて、壁にできた穴に向かって走った。穴を飛び出すと、足もとから地面が消え、身体に浮遊感が襲いかかる。


「よくやった異邦人よ」


 そんな声が聞こえると同時に、竜夫を支配していた浮遊感が消え去った。竜夫は、錆色のなにかの上に乗っていた。鉄のように硬いのにもかかわらず、温かく脈動が感じられるなにか。これは、一体なんだ? 自分が乗っているものを見回す。


「……は?」


 竜夫から間抜けな声が漏れた。


 はじめは見間違いだと思った。そんなもの、現実にいるはずがないからだ。


 それは、数々の物語に出てくる伝説の存在。ある時には邪悪な存在として。ある時は神のごとき存在として語られる種族。


 そんなもの、いるはずがないと竜夫は否定する。


 しかし、自分の身体から伝わってくる、その圧倒的なまでの力強さと脈動は熱は虚構というのはあまりにもリアルすぎた。


 竜夫を助け、いまその背に乗せているのは、竜と呼ばれる存在であった。

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