あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい!(カクヨム短編応募用)

祭影圭介

あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい!

「あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい」

 長い金髪の少女がにっこりと微笑み、流暢な日本語で言った。

 Tシャツとジーパンというラフな格好だ。日本と北欧のハーフで、背が高く大学生ぐらいに見える

 スタイルが良く、胸は無いものの モデルのようで街中でスカウトやナンパされることもしょっちゅうあるという。

 髪は明るい金髪で、眼の色は青に近く、肌も積もったばかりの新雪のようで、もしフィギュアスケートで着るようなひらひらの衣装を身に着けていれば、美しい妖精のようだろう。

 彼女が立っているだけでも人目を惹いた。

 周りにいるカップル達が、少女とその前にいるどうみても不釣り合いな、ダサい黒縁の眼鏡を掛け醜く太り、額から脂ぎった汗を流している半袖の制服の少年の姿を、好奇の目で眺めていた。

 そこは、街が一望できる見晴らしの良い公園で、夕陽の色で染まり数多くのカップルが景色を楽しんでいた。爽やかな風が少女の髪や周りの木々の葉を揺らしている。

一方、少女を前にして仁(に)久(く)丸俊(まるとし)直(なお)は、思考を停止しいていた。

 彼は一週間前に告白し、今日は返事を聞くために呼び出された。

 正直、ごめんなさいは想定していたが、まさか――

 こんな難しい要求を突き付けてくるとは思わなかった。 

 現実の女のために、彼の一番の楽しみであるオタク趣味を捨てろと言ってきたのだ。

 この数年ぶりに再会した幼馴染の少女、鬼池麒龍(おにいけきりゅう)は――

「手始めに、あなたの部屋いっぱいにあるオタクグッズを、捨てるところから始めてもらおうかしら」

「何言ってるんだ。俺の青春が詰まってるんだぞ! 全部捨てるには何年かかるか」

「付き合おうかどうしようか迷って告白されてから、あなたのことは色々と調べさせてもらった。そしたら……しばらく会わないうちに、随分変態になったのね、俊直」

「な、なんのことだ」

「18歳未満なのに秋葉原にエッチなゲーム買いに行ってる。しかもゲームの特典はおっぱいの形をしたマウスパッド、縞々パンツにブルマ、スクール水着……」

 両腕を胸の前で交差させ、口にするのも汚らわしいという不機嫌な様子で麒龍が言った。

「お、お前には関係ないだろう」

「あたしが捨てなくても、ご両親に知られたらどうなるかしら。おたくの息子、やばいです。フィギュアやドール(ハイパードルフィー)のスカートの下からパンツを眺めてはにやにや。ドールのパンツを興奮しながら履き替えさせる。挙句の果てには、おっぱい丸出しのセクシーなエロフィギュアに、白濁液のごとく練乳をぶっかけるプレイ。将来間違いなく犯罪者だわ」

 仁久丸はさっきよりも明らかに狼狽えていた。 

「どうしてお前がそんなことを知っているんだ。そ、それに俺がそんなことをしているという証拠でもあるのか!?」

 麒龍はスマホを取り出し操作して、画面を見せる。

 仁久丸が近づいてアルバムの中を確認すると、発売日にキャラクター入りの大きな紙袋を持ち、秋葉原のパソコンゲームショップのアダルトゲームソフト館に出入りする写真や、匿名で運営しているブログに載せた、練乳が頭からたっぷりとかかったフィギュアの画像などがあった。

「こ……これだけでは、俺が買った証拠にはならないし、俺がこのブログを運営してるという推測じゃないか!」

 仁久丸は顔を背け、スマホを突き返した。

「あくまでシラを切るのね。残念だわ。でもまだあるわよ。とっておきのやつが……」

 麒龍が再びスマホを操作する。そして顔を思いっきり背けながら、彼に見えるように手を伸ばした。

 それは仁久丸が薄暗い部屋の中、電気もつけないで大きなヘッドフォンを付けながらパソコン画面の前に座り、ズボンをずり下げ自分のあれを握っているようにみえた。もちろんはっきりとは映っていないが、画面には下着姿の美少女が淫らな格好でベッドの上に横たわっている。

 今度の写真はスマホのアルバムの中ではなく、会話アプリのメッセージ画面の中だった。他にも、数枚写真があり、スク水をあそこに押し付けているものや、パンツを顔面に貼りつかせているものもある。

 仁久丸は顔面蒼白になって抗議の声をあげた。

「なんでお前が こんな写真持ってるんだ!」

「だから妹に嫌われるのよ」

「華(はな)の仕業か!!」

「華ちゃんが可哀そう。デブ丸の妹なんて呼ばれてて。あたしもこんな彼氏嫌だ。気持ち悪い……。それに俊直は嫌っているみたいだけど、華ちゃんは心配してくれて両親に言う前にあたしに打ち明けてくれたの。よかったわね、あたしで。感謝しなさい」

 やれやれといった口調だった。

 確かに彼女の言う通りかもしれない――と、仁久丸は思った。

 うちの頭の固い父と母のことを考えたら……、麒龍の方が、まだマシかもしれない。

「捨てるわよね」 

 有無を言わせない口調で睨みながら彼女は迫った。

「はい! 捨てます!」

 気が動転した仁久丸は、圧の凄さに押されて、思わず頷く。顔には大量の汗を浮かべ、身体は妙に熱く火照っていた。鼻息も荒い。 

 思わず言ってしまった………

 と彼は後悔したが、このときは従うしかなかった。


 一軒家の二階の部屋。 

 そこが仁久丸の城だった。

 壁にはアニメやゲームの美少女キャラクターのポスターがずらりと貼られていた。

 中でも特に多いのは、主人公の少年に突然12人の妹ができて、彼女達からそれぞれ<お兄ちゃん>やら<お兄様>と呼ばれるようになる『シスター・クイーン』という作品のキャラだ。

 ほか、人気声優堀江奈々のポスターなどが天井にまで貼られている。

 ポスターは傷がつかないよう直接画鋲は刺さずに、一枚一枚アニメショップで買った専用のビニールに入れられ、その上から止められていた。

 ベッドには抱き枕があり、棚にはフィギュアやドールが、所狭しと並んでいた。

 勉強机には大きなモニターが置かれていて、入り口から離れた場所にあり、家族が不意に扉を開けて入ってきても見えない位置に置かれていた。これならエロゲーやエロサイトなどを楽しんでいても、近づいてくる間に十分隠すことが出来る。

 学校から帰宅して菓子を食った後、Tシャツと短パン姿に着替えた仁久丸が、巨体を椅子に休めてパソコンを起動していると、ドタバタという足音と共に、扉が割れんばかりの勢いで開け放たれた。大きな音に彼はびっくりして、思わず身をすくめる。

 麒龍と妹の華だった。麒龍は相変わらずのラフな格好で、妹の方はなぜか頭に鉢巻きを締め新選組の法被を着て、時代劇によく出てくる御用と書いた提灯を持っている。ショートカットが良く似合う、中学二年生だ。活発な性格でテニス部に所属している。

 仁久丸は何か嫌な予感がしたが、椅子から体を起こす前に、二人によって取り押さえられた。

 そのまま巨体を床に押し倒され、捕縛される。

「御用だ! 大人しくお縄に付けぃ!!」

 力では圧倒的に仁久丸の方が有利だが、無防備な状態で奇襲を受けては、ひとたまりも無い。

「何なんだ、お前らは!?」

 床に横たわり縄をかけられ身動きできない状態で、彼は麒龍と華を見上げる。

「火付け盗賊改めならぬ、オタク変態改めである」

「あんたのオタクグッズを捨てに来たわ」

 麒龍がそう言いながら人気声優堀江奈々のポスターを剥がす。ビニールのカバーから抜き出し、次の瞬間思いっきり横に引き裂いた。

 じゃりっ――と、破れる音がする。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

「お前なんてことを! 全国の奈々ちゃんファンに謝れ!!」

「黙れ無礼者! 姫の御前であるぞ。神妙にいたせ」

 華が仁久丸の頭頂部を蹴り黙らせる。ドゴッと鈍い音がして声にならない悲鳴があがる。

「天誅!」

 そう言って彼女も麒龍に倣い、そこらへんのポスターを剥がして豪快に破った。二人でビリビリと破っていき、紙片が床にたまっていった。

「この……クソ妹め。俺の部屋を盗撮したのもお前だろう」

「ふっふっふ、我は影の軍団」

 華は、祖父母の影響で時代劇が好きだ。腐女子ではなく一般人である。

「お前だって好きなアイドルのポスターぐらい部屋に貼るだろう!?」

 麒龍は無言で仁久丸まで歩み寄り、しゃがんで彼の横腹を摘まんだ。

「なに、この贅肉だらけのお腹。ほんとだらしのない豚ね。あたしは顔より筋肉。プロのボクサーとかが好きなの。外人のいかつい選手と戦って勝てるなら、あんたの写真を引き伸ばして部屋に飾ってあげるわ」

 彼女は立ち上がり、命令を下す。

「華ちゃん、全部運び出して」

「もうこれ以上はやめてくれ!」

「――御意」

 華は頷くと部屋の外に行き、大きなゴミ袋を持ってきて広げ、飾ってあったフィギュアなどを手当たり次第に詰め始めた。

「やめろ、バカ! 嘘だろ!?」

 麒龍は、残りのポスターを剥がし始める。

「頼む、捨てないでくれ! ああ、それは! 限定品のワンの使い魔のロイズちゃん」

「うるさいわね。筋トレ一か月続けられたら、返してあげてもいいわよ」

「往生際が悪いぞ。仁久丸俊直、討ち取ったり!」

 華が兄にタオルで目隠しをして、縄を噛ませて猿轡にする。 

 仁久丸が必死に呻くが、その後も荷物を運ぶ音と、ビリビリと紙を破る音が続いたのだった。


 仁久丸の部屋から運び出されたオタクグッズは、庭の物置に全て運び込まれ鍵が掛けられた。鍵は麒龍が管理し、筋トレをさぼっていないか、華が毎日監視することとなった。もしさぼったら、今まで集めたお宝の数々――、彼女達の命は無い。

 

「もうちょっとで妹達のライブが始まるぜ、仁久丸。待ちきれないな~。早く遥歌(はるか)ちゃんに兄君(あにぎみ)様って呼んで欲しい」

 仁久丸の横に並んでいるガリガリの男、粕谷が鼻息を荒くして興奮した様子で言った。手にはサイリウム、背負ったリュックにはビームサーベル(ポスター)が刺さっている。

 彼らは小学校の頃からの同志で、互いを理解する良きライバルであった。

「和服姿が可愛い遥歌も人気があるけど、やっぱり咲弥(さくや)ちゃんの『お兄様~♡』だろう。堀江奈々の声であんな風に呼ばれたらたまらん」

 日曜日の午前中、彼らはとあるイベントに来ていた。広い会場内は参加者(オタク)で溢れ、熱気に包まれている。

 仁久丸はたった今買ったばかりの、シスター・クイーンのキャラクターのTシャツを着て、大量の紙袋抱え、同作品のうちわで仰ぎながら順番待ちの列に並んでいた。

整理券をゲットし、この後の握手会をまだかまだかと楽しみにしているところだ。 

「お前は、妹なら華ちゃんがいるだろう。メイド服でも着て、毎朝登校前に起こしに来てもらえ」

「お前は現実の妹がどういうものか知らないから、そんなことが言えるんだ。俺の妹がこんなに可愛いはずがない」

 すると仁久丸のスマホからアニソンのメロディが響き、彼は画面を見た。麒龍からだった。会話アプリだがビデオ通話なので顔が見えてしまう。つまりイベントにいるのが、バレてしまうということだ。

 鳴り止むのを待った。だが二度、三度と掛かってきた。いい加減頭にきたので、電源を切ろうとしたが、メッセージが届いていた。

『次、出ないと、あんたの大切なものが二度と拝めなくなる。電話出ろ!』

 無視してイベントに集中しようかと思ったが、物置に捕らわれている人質達のことを考え、やむなく出ることにした。

「粕谷、俺ちょっとトイレ行きたくなった」

「ええ!? もうすぐ始まるぞ」

 驚く相棒を残して、仁久丸は巨体を揺らしながら、鳴り続けるスマホを手に、イベント会場の端まで走った。息を切らしたまま壁に寄りかかり、通話を開始する。Tシャツを隠したかったので、その画面をなるべく顔の近くに近づけた。 

「やっと出た。いまどこにいるの?」

 ぶっきらぼうな口調と共に、麒龍の顔が現れた。背景には、地元の御凪都(みなと)駅の駅ビルが映っていた。

「どこ行ってんの? 周りがずいぶんうるさいわね」

「そうか? カラオケだよ、カラオケ」

「秋葉原の? 嘘でしょ。華ちゃんから聞いた。お兄ちゃんの行きそうなとこはすぐわかるって。毎年同じのは特に……。イベント行くの禁止! 今すぐ帰ってきなさい」

「なんでお前に、そんなこと決められなくちゃいけないんだ!」

 スマホ画面に向かって大声で怒鳴る仁久丸。だが、「これな~んだ」と、麒龍が取り出したテレホンカードに彼は思わず喰いついた。

「バレンタインチョコ持ってる電子の妖精、機動戦艦ナタデココのツキノ・ルリじゃないか!」

「早く来て♡ 早く来ないと――」

 麒龍は公衆電話の中に入ったようで、テレカを差込口に入れようとしている。

「お、おい! 待て! やめろ! それは秋葉原のC‐BOOKSで、プレミアついて一万はするんだぞ!」

「え? そうなの。でも500円分しか使えないでしょ? あ、大変。スマホの充電切れちゃいそう」

「機体の調整が完全じゃないのか!?」

 仁久丸は唾を飛ばしながら叫んだ。

「お前最初からこのつもりで電話してきただろ。10円玉や100円玉があるだろ! 後で俺が払うから!!」

「小銭持ってきてな――」

 通信はそこで途絶えた。


 週末の仁久丸の部屋。朝から地獄の特訓が行われていた。

 華が腕立てしている兄の背中の上に乗っている。手には三十センチほどある、学校で使うような竹の定規を持っていた。

 一方、仁久丸の方は力尽きて、床にぺちゃんこに潰れていた。顔が赤く、息も乱れている。

 両腕をあげようと頑張っているが、唸り声を出しているだけで全然体は持ち上がっていない。

 彼らの横では麒龍が仁王立ちで監督をしていて、そして逃げられないように仁久丸の片足は手錠でベッドの脚に固定されていた。

 ぺちん

 とちょっと遠慮がちに、華が定規で、薄い半ズボンを履いている兄の尻を叩いた。

「お兄ちゃん、だらしない」

「お前、そこをどけ」

「どうせどいても無理でしょ……」

 兄を元気づけようと妹が定規を持っていない方の手で、ぺしぺし叩く。

「華ちゃん もっと強く」

『こうかな?』と首を傾げながら、華が定規を大きく振るった。

 ひいっ

 ズボンの上からだったので大きな音はしないが、仁久丸が声をあげてビクンと反応した。

 だが麒龍は満足しなかったようで、貸してと言って華の手から定規を奪い、お手本を見せる。

 ぺちーん

 あひいい

「いい音ね」

 麒龍は満足そうに頷いた

 仁久丸の方は、汗を垂らしながら苦痛に顔を歪めている。太ももに定規の形をした赤い縦線の痕が残り、腫れていた。

「麒龍さんがお義姉ちゃんになってくれたらいいけど、お兄ちゃんには本当もったいない」

「あら、いい子ね」

 嬉しくなった麒龍は華を抱きしめて頭を撫でた。

 えへへと彼女は照れる。

「ちょっとそこの豚、いつまで寝てるの。全然、回数が足りないじゃない。そんなんじゃ痩せないわよ」

「『二人でトレーニング』のDⅤDを見させてくれ。それなら頑張れる……かも」

 それは可愛い女の子のキャラクターが、腕立てや腹筋・スクワットなどを行う、筋トレアニメである。トレーニングの最中、胸、おしり、太ももなどの絵が強調され、思わず目がその部分に釘付けになってしまう。

 但し、買ったはいいが、一日でもうトレーニング自体はやらなくなった。

「どうせそんなの見てもお兄ちゃんは、できるようにならないでしょ」

 華から一旦離れた麒龍が、手に二つのガソダムのプラモデルを持ってやってきた。

「はい、華ちゃんにはこれ」

「何これ? 羽生えてる。白鳥みたーい」

 華が渡されたのは、ウイングガソダムゼロ EW(エターナルワルツ) &ドライツバーク [スペシャルコーティング]。ガソダムの後ろに4枚の白い羽がついていて、ダブルバスターライフルという強力で大きな銃を持っているのが特徴だ。限定品で価格は10800円。

 一方、麒龍が手にしているのはフルアーマー―ユニコーンガソダムブルーver(バージョン)。マイスターグレード、8400円。こちらも限定品だ。

 ガソダムの背中にミサイルポッドや大型ブースターを始め、手には大きな斧と槍が一体化したような武器(ハイパービームジャベリン)を持ち、脚にもハンド・グレネードを装備など、とにかくごてごてとたくさん重火器がついている。

パーツ数が多く700個もあり、作るのはちょっとした苦行だった。

「毎日筋トレに取り組んでるのは偉いけど、回数が全然足りないって、華ちゃんからちゃんと報告がきてる。これから、その足りない分だけ壊していくね」

麒龍が机の上にあったニッパーを掴み、華が持っているガソダムの白い羽に切り込みを入れる仕草をする。

「待て! 必ず全部十回ずつできるようにするから!」

「何か月待てばできるようになるの? 一生待っててもできないかもしれないでしょ」

「朝昼晩三回ずつ、いや一時間に一回やればいい」

「学校ある日はどうするの」

「学校でやる!」

 仁久丸が必死で麒龍を引き留めていたが、その努力も虚しく

 パキッ

「あ、割っちゃった」

 羽をはばたかせようとして遊んでいた華が声をあげた。どうしようこれ……という風に、折れた羽を摘まんでいる。

 ぽかんと、時が止まったように、仁久丸の表情が凍り付いた。

 それを合図に破壊の宴が始まった。


 麒龍にグッズを奪われて三週間ほどが過ぎた

 回数は足りていないものの華の監視の元、毎日筋トレは続いてはいる。

 だが一か月経っても返してくれるという保証はどこにもない。

 だいたい四~五日に一個のペースで、お宝グッズが犠牲になっている。残り一週間。あと一~二個は覚悟しなければならないか。今まで色々なものがやつらの餌食となった

 ポスター、プラモデル、フィギュア。次はなんだ?

 これ以上の犠牲は避けたいところだった。


 ある日――

 三時間目の美術の授業が終わって、絵具などの道具の片付けが遅くなった仁久丸は、自分のクラスに戻ろうと急いで美術室を出た。次の授業まであと僅かしかない。

 新館にある特別教室での授業は、教室などは綺麗なのはいいんだが、普段過ごしている本館までやや遠く、移動が面倒なのが難点だ。

 仁久丸がアクリル絵の具の道具を持ちながら廊下を速足で歩いていると、突き当りにある階段の方から、『きゃあ』という女子の悲鳴が聞こえた。

なんか聞き覚えがある声のような――と思って階段を下りていくと、踊り場の方で小さな人だかりができていた。

 『押された』、『逃げていく男子生徒の人影を見た』、『いや、誰かが飲み物をこぼしたままにしていて、それで床が濡れていたから足を滑らせたんだろう』など、野次馬が噂していた。

 彼が階段の途中で立ち止まり見下ろすと、金髪の女子生徒が座り込んで足を抑えていて、その周りを他の女子達が取り囲んでいる。足を挫いてしかめっ面をしているのは麒龍だ。

 大方告白してきた男を手ひどく振って、恨みでも買ったんじゃないか。やれやれ。

ざまあみろ。自業自得だ。モテるからって調子に乗るな! 

 知らないふりして通り過ぎようかと思ったが、彼の身体は太っていて目立つ。黙って通り過ぎれば、後で酷いやつと女子達に噂を立てられかねない。ただでさえ麒龍相手に手を焼いている・悩まされているというのに、このうえ学校の女子にまで嫌われたら、もう居場所は家にも学校にもどこにもない。

 だが今更引き返して別の道を行くのもめんどくさい

 どうしようかな――このままだと遅れるし

 一応、助けに行ってみるか。

 助けを求められれば手を貸すし、先生が途中でやってきて特に手助けがいらなさそうだったらそのまま行く。

 うん、決めた。我ながらいいアイデアだ。

 その場に居合わせた連中が彼に気付いて『あ、仁久丸』とか、『仁久丸君』とか声をあげる。

 彼は麒龍の横に腰を下ろし背を向けた。

「ほら乗っかれ」

 え? と彼女は戸惑った表情を浮かべる。

「お姫様抱っこの方がいいのか? めんどうなやつだな~」

 仁久丸が抱きかかえようとするが、さすがに恥ずかしかったようで、いい、いいと慌てて首を横に振って断り、しょうがないわね……などと呟きながら背中に乗っかってきた。

 彼女の胸が背中に当たる。良い感触でドキドキする。

 麒龍が腕を仁久丸の首に回し、しがみつく。

 シャンプーの良い香りがふわっと漂ってきた。

 彼は彼女が負傷した部分を避けて、足をしっかりと持ち立ち上がった。それにしても軽い。

 おーと周りから謎の歓声が上がる。

 拒否されていたら置いて行こうかと思っていたのだが、こうなってしまった以上、もう保健室まで送るしかない。さらに堂々と次の授業に遅刻できるだろう。

 荷物を頼むと女子達に言い、そのうちの一人――、黒髪ショートヘアの家庭的で大人しそうな子が控えめに「うん、わかった」と頷く。

 そうして仁久丸は歩き出した。

 麒龍は恥ずかしいのか、デブ男におんぶされているところを誰かに見られたくないのか、ずっと彼の背中に顔を伏せていた。


 特に礼の言葉は期待していなかったが、保健室の扉を閉めるとき、彼の方を見ながら彼女は小さな声で言った。

「ありがとう」

 そして麒龍を担いでいて、仁久丸はふと思い出したことがあった。

 そういえば、こいつたまにドジだった――と、小さい頃の記憶が蘇る。

 夏休み、大人達に連れられて海水浴に行ったとき、濡れた岩場で滑って転び、膝小僧擦りむいて、血が出て泣いていた。

 幼稚園の遠足だったか、みんなで山に登ったときも、こけて挫いたのか、少しおぶった記憶がある。確か先生も近くにいなかったときだ。

すっかり忘れていた。


 日曜日の午後、自分の部屋で考え事をしていた仁久丸は、一つの大きな意志を固めて椅子から立ち上がった。

 ようし。決めた。

 俺はバイトする!!

 バイトして、麒龍や華に壊された分を再び買い集める!

 どうせならオタクの女の子と出会いたい。ひょっとしたら話が弾んで、デートとか行くようになるかもしれない。

 麒龍への告白なんか忘れた。あんなのはもう無しだ。バイト先だって、どうせ可愛いオタクのコスプレが趣味のような彼女なんかできやしないさ。

 麒龍のことで学んだだろ。現実の女なんてこりごりさ。

 そうだ。やっぱり二次元が一番さ。彼女達は裏切らない。そんな酷いことはしない。

 アニメ見たりゲームしたりする時間が減るが、しょうがない。あいつらとかかわる時間も減るだろうから一石二鳥だ。

 そしてレンタルボックスなどを借りて厳重に警備する。鍵は何をされようが絶対渡さない。場所も3か月おきとかに変える。

 完璧だ。

 もうあいつらの好きにはさせない。

 そして机の端にある箱に目を向けた。彼の口元が微笑む。

 小腹も減ったし食おう。

 仁久丸は真剣な表情から一転、開けるのが楽しみで、待ち遠しくて仕方が無いという表情になった。

 包装を解いて箱を開ける。『ふたりはぶりっこキュア』、通称ブリキュアのケーキだ。

 ケーキの真ん中にはハート形のおもちゃが乗っていて、チョコレートの板には「おたんじょうびおめでとう」とひらがなで書いてあり、包んでいるフィルムには二人の女の子キャラクターの絵が描いてある。

 仁久丸はスマホを取り出して、ニヤニヤしながら写真を撮った。

 そこへ階段を上がってくる複数の足音が響いた。

 やばい――

 彼は慌ててケーキに食らいついた。

 誰にも邪魔させん。やらせはせん。やらせはせんぞ!!

 甘い味が彼の口いっぱいに広がる。

 うまい。幸せ~。

「HAPPY BIRTHDAY 俊直!」

 扉を開けて入ってきたのは、麒龍と粕谷だった。二人とも手に大きな黒い袋を3つずつ下げている。秋葉原の中古アニメグッズを取り扱っている店だ。

「あー、一人でケーキ食べてる」

「丸ごとかぶりつくって、どんだけ腹減ってんだよ。おっ、ブリキュアじゃねえか。独り占めしてるんじゃねえ。俺にも食わせろ」

「あたしにも」

 それぞれ文句を言いながら、誕生日プレゼントだと言って彼女達は、パンパンに膨らんだ袋を仁久丸へと差し出した。

 ケーキを置き、もぐもぐと口を動かしながら彼は手を拭いて、ペットボトルの中を飲んでから、「何なんだよ二人とも。楽しみを邪魔するなよ」と文句を言いながら、袋の中身を確かめた。

「こ、これは!?」

 仁久丸は目を疑った。

 袋の中に入っていたのは、麒龍達が破壊したプラモ、フィギュアなどだった。

 全部揃えれば十万とはいかないまでも、相当な額のはずだ。

「どうした……これ? 錬金術で錬成したのか!?」

「ふはははは。我が名はチンカスの錬金術師――ってそんなわけねーだろ、アホ」

 めちゃくちゃ弱そうだ、という感想はおいといて、仁久丸はまだ信じられないでいた。

「奇跡だ」

「粕谷君に秋葉原での買い物付き合ってもらって大変だった。集めるの。華ちゃんも、ちょっと貯金から出してくれたし。千円ぐらいだけど。でも、筋トレ少しでもさぼったら、また壊していくから。今度は買い直さないわよ」

 うひ~

 仁久丸の狼狽ぶりを見て、笑いながら粕谷が言った。

「奇跡は起こらないから奇跡っていうんだよ」

 麒龍が格好付けて、長い金髪を手で払う仕草をしながら優しく微笑んだ。

「あたしと付き合いたいのなら、オタクをやめなさい」

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