灰色のネズミはカラフルな夢を見る

芝生 ねこ

第1話 吉祥寺で路上ライブをすること

21:30 壁の薄い部屋で自主練を終える

 私の住んでいる賃貸物件はもちろん防音ではなく,楽器不可なので,アコースティックギターをタオルでぐるぐる巻いて音が出ないようにする。

ピンッ,カチャカチャと音を出すギターをかき鳴らして,今日の路上ライブで演る曲の練習をした。すでに,音がうるさいと,隣人から何度か苦情が入って居るため,私の口にもタオルをぐるぐる巻きにして,ボイトレを行う。


 吉祥寺から徒歩15分,築30年の壁の薄い賃貸物件で,友達とルームシェアをしている。

 私はシンガーソングライターを目指し,友達は舞台女優を目指している。

 夢を叶えるための筋書きはバッチリだ。「売れなかった時は…」の話としては,十分すぎるほどの生活だ。



21:50 自転車に乗って,吉祥寺のダイヤ街を目指す

 路上ライブを初めてやった時に,「マイクを使わないなら,ダイヤ街がいいよ」と,経験者に教えてもらえた。ダイヤ街にはアーケードが付いていて,道幅も広く,マイクなしでも音が響く。そして,22時すぎれば,人通りもそこまで多くない。初心者にはちょうどいい。

 もう少し,私の歌を立ち止まって,聞いてもらえるようになったら,サンロードで演ろう。吉祥寺の商店街と言えば,サンロード。誰も彼もが通る,サンロード。


 自転車で駆け抜けるには,秋の夜は冷たい。悴んだ手に気づき,手袋をしてくればよかったなんて思う。ダイヤ街に向かう私は緊張している。今晩こそは,誰か立ち止まってくれるだろうか。今度演るライブに聞きに来てくれる人はいるだろうか…さばかなければいけないチケットと,ノルマもあるし…夢を叶えるには,多くの人に気に入ってもらわねばならない。しかし,不安になっていても,仕方ないので,諦める。緊張した私の火照った頬には,このくらいの冷たい風がちょうど良いのかもしれない。



22:00 ダイヤ街に到着する ギターや,名前の書いた札をセットする

 道ゆく人を背に,準備をする。「こいつ何してんだ」という目ばかり向けられると思っていたが,路上ライブを始めてから,人は意外と気にしていないことに気づいた。「あ,歌うのね」くらいの関心で,通りすぎていく。吉祥寺という街だからなのかもしれない。私も,通りすぎる人も,吉祥寺という街のただの一部,風景の一つ。

 

 誰も彼もが私をおかしいとか,間違っているんじゃないかと指摘してくるんじゃないかとか,誰かに見られて居る感覚が,思春期の頃からずっとあった。田舎育ちで,閉鎖的な空間で育ったのもあって,常に,誰かに監視されているような気がしていた。

 

 東京は,誰がいても構わないし,裏を返せば,別に誰でもいいという感覚を教えてくれた。今ここですれ違った人と,二度とすれ違うことはないだろう。みんなそれぞれ勝手に生きていて,勝手に会いたい人と会っていて,話したい人と話していて,話したくない人は,一人でいることもできる。


 さあ,今日は30分ほど歌おう。頑張ろう。

 さっきまで,タオルでぐるぐる巻きにされていたギターの音が「待ってました」と言わんばかりに,寒空に響いた。あの人は,今頃何をしているだろうか?

 私が,ギターを弾いて歌っているなんて言ったら,笑うだろうか。

 要らんことを思い出したな,集中しよう。よし,一曲目。



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