そして、男は恋を経験する

matsumo

第1話 26歳、家電販売員の恋<上>

女は金ズル、恋愛なんて馬鹿がするもの。

ずっとそう思っていたはずなのに。


その女の名前は「由衣ゆい」。

出会ったきっかけは、飲み屋で知り合った女友達経由だ。


楓太ふうた、女の子紹介してって言ってたよね?」

女友達の真由美は、タバコを一吹かしさせながら声をかけた。

「あ? ああ…。誰かいい子いるの?」

特段、彼女が欲しいと思っているわけではない。でもそろそろ次のヒモ女が欲しいところだ。

俺は芋焼酎ロックをチビチビと傾けながら真由美の問いかけに答えた。

「取引先の女の子なんだけどね、たしか23歳だったかな? 彼氏と別れたばっかりで寂しいから合コンセッティングしてって頼まれたのよ」

23…、年下の女か。まぁ問題ない。失恋直後の女ほど優しく甘やかしてやるとコロッと落ちるから、ちょろいものだ。

どうせ恋愛するわけじゃないんだし、見かけなんかどうでもいい。俺はそう思いながら、また一口芋焼酎ロックに口をつけた。

「いいね、会ってみたいな」

普通の人間なら、たったこれだけの情報で会おうと思うことはないだろう。写真も見てない、どんな仕事をしてるのかも知らない、どんな性格なのかも、どこに住んでいるのかも、そんなことは俺にはどうでもいい。ただ、金を落としてくれる都合のいい女であれば、条件はクリアだ。

「ははっ、相変わらず軽い男だね~。まぁ、その子にも聞いてみなきゃわかんないけど。あと2人独り身の女子がいるみたいだから、とりあえず私含めて5人ね。いつものお友達…、えっとタクくんだっけ? あとはメンツ揃えてよ」

ジョッキに半分残ったビールをグイっと飲んだ真由美は、ヘラッと笑って携帯を取り出した。

「分かった。いつにする? 俺は…最短で今度の週末イケるよ」

予定なんて見なくてもわかる。会社と家の往復、たまに大学の先輩が開いたこの飲み屋に顔を出して、なんてことない話で盛り上って、そしてまたいつもの日常に戻る。

こんなお独り生活をもう2年近く送っている。特定の彼女なんて作る気はさらさらない。必要なのは俺に貢いでくれる都合のいい「ヒモ女」だけ。

彼女がいなくても何の不自由も感じなかった。イチャつきたくなったらその辺で声をかけて、意気投合すればワンナイトで性欲も満たすこともできる。

引っかけた女と連絡先なんて交換しない。面倒なやり取りはご免だ。下手すれば名前すら知らない時もある。それでも一時の「恋人ごっこ」で満足させてやるんだから、逆にこっちが礼を言われてもいいほどだ。

そんな俺が、ここ最近唯一ハマったのがヒモ女作りだった。俺に恋愛感情を抱いた女にひと時の夢を与えて、金を貢がせる。詐欺ほど大げさなものではない、ちょっとのお金を俺に投資してくれればいいのだ。その分、俺は女どもに最高の愛され感を堪能させる、まさにウィンウィンの関係。

その期間は3か月、深入りしすぎずかといって寂しさも感じない、お互いにあっさりと別れられるちょうどいい期間だ。

「んじゃ、予定決まったら連絡するね~」

真由美はひらひらと手を振って、夜も更けた街に消えていった。

とりあえずタクに声をかけて…、あとはどうするか? タクの後輩に声かけてもらうか? それがメンツ集めには手っ取り早いよな。20代の性欲ガンガンのヤローどもにとって、「合コンをセッティングした」はある意味魔法の言葉だ。食いつかないわけがない。メンツの問題はクリアできるとして、今度はどんな設定で女を騙そうか。

ひとつ前の38の女の時は、たしか友人に借金したって理由だったっけ。あの女、俺に相当ほれ込んでたからかなりの金額貢いでくれたもんな。やっぱ年上の独女は結婚に焦ってるから、将来をちらつかせればちょろいもんだ。きっかり3か月付き合ったが、その間セックスは数回程度、デートなんて最初の1回目以来まともにしてないのに、なんで結婚できるって勘違いするんだろう。馬鹿じゃないのか。

「先輩、帰ります。チェックして下さい」

俺はそんなことを思い出しながら、グラスの残りを飲み干して先輩に声をかけた。

「なんだ楓太、もう帰んのか? 今日ははえーな」

短くなったタバコを噛みながら、先輩は会計が書かれた紙を渡してきた。

「今日は収穫があったんで、それで満足なんすよ」

ニタッと笑って金を渡し、釣りはいらないんでと先輩に告げる。

「まーた、ろくなこと考えてないんだろう、お前。いい加減ふらふらしてっと足元掬われんぞ」

また来いよっと言う先輩の声を背に受け、少し生暖かくなった初夏の風を頬に感じながら、俺は家路についた。


週末、予定通り合コンは開催された。指定した店は俺の行きつけの囲炉裏のある

居酒屋だ。

5対5の合コンは、席順によっては全員と話すことは難しい。隣に座った男女のみで会話をするか、全体で学生ノリの飲み会で終わるか、だいたいその2択になる。

今日は絶対にヒモ女を捕まえたい。俺はそんなヨコシマな考えを胸に、女たちの顔を見渡した。

ネイルサロンに勤めていると紹介された女どもは、23歳の小太りの女、24歳のちみっこい女に、同じく24歳の茶髪がド派手な女、そして26歳…同い年か、やせ型で色白の黒髪女。

どいつがほだされ易そうか、そう吟味していると斜め前に座っていた真由美がちょっと! と声をあげた。

「楓太! そっちも紹介してよ。女の子困惑してんじゃん」

あぁ、と気を取り直し、俺はタクを筆頭に、タクの後輩3人を紹介した。

タクは顔が広い。今日のメンツは仕事仲間だそうだ。前は飲み屋で知り合った飲み友って言ってたっけ? とにかく人懐っこいタクは、すぐ誰とでも友達になる。友達の友達は、みんな友達、そんなタイプのリア充を絵にかいたような男だ。

そんな一面とは裏腹に、とても固い仕事をしている。誰しもが聞いたことのある大手メーカーのSEとして、そこそこの有能らしい。人望も厚い。

しがない家電販売員の俺なんか足元にも及ばない収入と、信頼度の高い社会的地位、そして長身でルックスも申し分ない。なのにタクは彼女を作ろうとしない。合コンは腐るほどしているようだが、特定の相手は作らない主義だ。そんなところに意気投合して友人になったようなものだし。

「じゃ、お互いの自己紹介はこれくらいにして、今日は楽しもうね。カンパーイ」

ひと通り自己紹介を終えて、各々グラスを傾ける。女どもはカシスオレンジに、梅酒ソーダ、カルアミルク…。合コンで定番の「私あんまりお酒飲めないの」アピールする中、独りだけジョッキの生ビールを手にする女がいた。

…26歳黒髪女だ。その女は周りに臆することなくジョッキを手に持ち、乾杯の合図とともにグビっとビールを流し込んだ。

へぇ、なんか変わった女だな。こんな合コンの、ましてや自分より年下の女ばっかりのメンツの中だったら、周りの女どもに合わせて可愛いもん飲んで歳ごまかすくらいのことすんだろ。

そんなどうでもいいことに、なぜか興味が沸いた。

よくよく話を聞けば、合コンしたがっていたというのは23歳と24歳の女3人で、26歳黒髪女は当日ドタキャンした女の代わりの補充メンバーで、真由美の友人だそうだ。

だからか…。なんか他の女に比べてガツガツしてないし、どちらかというとドン引いてるオーラがバンバン出てる。

しぶしぶ連れてこられた感を全く隠そうとしない26歳黒髪女は、ヤロー共が話しかけても、はぁ、まぁ、そうですね…。とつまらない相槌ばかりで、まったく乗り気じゃなかった。

俄然、興味が沸いた。

こんなあからさまに迷惑感を出す、合コンに場違いな女を落とした時の優越感-。俺の心にはそんな狩猟本能がふつふつ湧き上がっていた。


「隣、いいかな?」

 場がなごみだした中盤、俺は中座したことをきっかけにその女の隣に座った。

「…、どうぞ」

ニコリともしない。愛想もクソもないつまらない女だな。話してみた第一印象は、そんなところだった。

「えっと、由衣ちゃんだったよね? 俺、楓太。よろしく」

お得意の営業スマイルで話しかける。決して悪いルックスじゃない、むしろイケメン寄りだと言われる俺の笑顔に、大抵の女は警戒心を解く。

でも…、この由衣はちょっと違った。

「…。よろしく」

そういって、ジョッキに残り少ないビールをグッと飲み干す。おいおい、この女、ビールだけで何杯目だ? 軽く3杯は超えてるよな…。全く可愛い女を取り繕う気配が感じられない。本当に補充メンバーとしてこの場に居合わせてるだけって感じの女だ。

「由衣ちゃん、俺と同い年だよね。なんか親近感沸くなぁ。みんなと同じ職場なの?」

愛想のない由衣に、何気ない会話のきっかけを探すべく合コンでは定番の質問を投げかけてみる。

「…。いいえ、私は違います」

そっけない答え。普通「楓太さんは?」くらいの質問返しすんだろ。それすらないのか?

あまりの不愛想な返答に、少しイラっとする。しかし、そんな感情よりも狩猟本能に掻き立てられた興味の方が数倍勝った。

「へぇ、どんな仕事してるの?」

日頃の営業トークから鍛え上げたコミュ力を最大限に生かし、どうにかして会話の突破口を探る。何でもいい、会話が続くネタが欲しかった。

「…事務です。営業事務」

おっ、やっと一つ共通点が見つかったな。俺は販売営業員、由衣は営業社員の仕事をサポートする営業事務。営業と営業事務はいわばバディのようなものだ。これをきっかけにしよう。

「へぇ、営業事務なんだ。俺、実は家電の販売員してるんだよね。だから普段から営業事務の人に色々サポートしてもらっててさ。そのありがたみをひしひしと感じてんだ。何系の職種なの?」

「…、不動産関係」

言葉数は少ないものの、何となく会話が続くようになってきたころ、俺の狩猟本能に本格的に火が付いた。

この女をターゲットにする。絶対に落として貢がせてやる。

笑顔の裏にそんな欲望をメラメラと燃やして、俺はしぶる由衣と連絡先の交換までこぎつけて、その日は解散した。


とにかく、この手の女には押して押して押しまくる。その1択しかない。

朝はおはようのメッセージから始まり、仕事休憩、終業時間後、帰ったコール、何してるコール、そしておやすみメッセージと、暇さえあれば由衣に連絡を取った。

由衣の返事といえば、それは恐ろしく簡潔的なものだ。事務的とも言える。質問されたことのみに答える、由衣からは絶対に連絡してこないし、?のつく質問は一度もない、心底徹底してる。

とりあえず、もう一度…今度は二人っきりで会う約束を取り付けなければ。これまでの経験上、合コンで知り合った女と次に会う約束をするまでの期間は平均2週間程度、その間であればヒモ女獲得率は高かった。

それより早すぎると警戒心を持たれるし、遅すぎると興味を削がれる。このタイミングを見計らうのが実に難しい。

その間に俺の人となりと「設定」にそうエピソードを、女に刷り込まなきゃならない。

今回、俺が決めた「設定」は、バイクで軽く事故って擦り傷負わせたばあさんに、示談金が必要だ、というもの。

普段の他愛のない会話を重ねて俺への警戒心を解き、代わりに安心感と信頼感、そして男としての興味を植え付けて、会った時には確実に落とす要素を与えておく。

それが俺のいつものやり方だ。

絶対に失敗しない。俺には確固たる自信があった。


半ば強引な俺の誘いにしぶしぶといった感じで由衣が折れたのは、合コンから3週間経った頃だった。

まさかデートにこぎつけるまで3週間もかかるとは想定外だった。俺のセオリーには反するが、由衣はもともと警戒心が人一倍強い女だ。このくらいの誤差は修正範囲内としよう。

通常だったらこんなに時間のかかる女は、すぐに切り捨てる。面倒くさいし、何よりもヒモ女相手に無駄な労力は使いたくない。

しかし、その反面なぜか由衣に執着してしまう自分がいた。ただの狩猟本能だと自分に言い聞かせながら、メッセのやり取りを続ける。このガッチガチの警戒心女を俺の手中に落とした時の優越感と高揚感のみを糧にして。

特に深い意味はない、ただ、ゲームに勝ちたい、それだけだ。

そう思った俺は、次に二人っきりで会った時は確実に由衣を「ヒモ女」にすることだけに集中し、着実に計画を進めることだけに専念していた。


約束の日、仕事終わりに由衣と待ち合わせをした。セッティングした店は、ワインがうまい、デートに人気と話題な雰囲気抜群のバルだ。

バルの最寄り駅の改札前で、19時の待ち合わせだ。店の中での待ち合わせでもよかったが、なにせ警戒心の塊のような女だ。当日ドタキャンする可能性も高いと踏んでの判断だった。

時間の15分前に着いた俺は、由衣が来るであろう路線の改札口を、穴が開くほど目を凝らして見つめていた。

週末の帰宅ラッシュの時間帯、人混みの中を由衣が歩いてくるのが見えた。俺は慣れた素振りで手を挙げて由衣に合図を送る。きっと由衣のことだ、そっけなく交わされるに決まっている。

しかし、由衣の反応は俺の想像を超えていた。俺を見つけた由衣は少しはにかんで顔をうつ向かせ、足早に近づいてきた。

「…、ごめんなさい。少し、遅れました」

決してデートの待ち合わせにくるような陽気な顔ではないのに、なんだこの感じ。これまでの塩対応が嘘のように、はにかんだ頬が赤く染められた由衣の態度に、どこかかわいげを感じる。

これまでの女どもは、二人っきりで会うとなった時点で俺に熱烈ご執心なのは確実だった。目の前に待つ俺に向かって満面の笑顔で駆け寄ってきては、さも当たり前のように腕を組む。この時点で女は俺から「ヒモ女」と正式に認定されるのだ。

しかし、そこはさすがの由衣だ。そんなそぶりは一切見せず、パーソナルスペースも友人の距離感をしっかりキープしている。

そんなことは想定内。ここで焦って距離を詰めると溶けかけた由衣の警戒心をいたずらに強めてしまいかねない。調子は狂うが、ここは由衣のペースに合わせるのが妥当だろう。

「そんなことないよ、大丈夫。さ、行こっか」

店までのほんの数分の距離を、一定の距離を保って歩く。隣に並ぶわけでもない、かといってすごく離れているわけでもない。絶妙な距離。

この距離が今の俺と由衣の心の距離感を表しているのだろうな。


「由衣はなに飲む? ビール以外も飲めるんだったよね?」

この数週間で得た由衣に関する知識をフル回転して、好みに合ったアルコールをいくつかピックアップして聞いてみる。

「私は…、色々飲むと悪酔いするから、ビールで」

…、安定の色気のなさだ。普通の女ならば、初デートではちょっと可愛らしくカクテルや、バルおすすめのグラスワインというチョイスだろう。

しかし、由衣は違う。我が道を崩さないマイペースさは、これまでのメッセのやり取りで何となく感じていた。

「そっか、じゃ俺もグラスビールにしようかな。ここって地ビールとかクラフト系ビールも取り揃えてるんだってよ」

そう言って、店オリジナルのクラフトビールを2杯に、それに合わせてソーセージの盛り合わせとカプレーゼ、そしてきのことシーフードのアヒージョを注文した。

さすがデートにおすすめの店なだけある。ほの暗い間接照明に、耳障りのいいR&Bジャズ、そして決して広すぎないこ洒落た店内は、まさに「恋人」と過ごすには程よい空間だ。

注文してすぐに、グラスビールがテーブルに運ばれてきた。軽くグラスを合わせ「乾杯」し、一口流し込む。

アロマホップと柑橘類を思わせる甘酸っぱい香りが際立った、まさに「王道のクラフトビール」の味わいとのど越しを楽しんだ俺は、ふと由衣に目をやった。

グビッグビッと相変わらずの飲みっぷりを見せる由衣は、デートだからと緊張した様子はみじんも感じられない。

「この間も思ってたけど、相変わらずいい飲みっぷりだね」

グラスに手をかけたままの由衣は、俺の言葉にキョトンとしたした様子だったが、言葉の意味に気づいたのか、カァっと頬を赤らめてうつむいた。

「…、ビール、好きなんで」

か細い声も、初対面の印象通りだ。決してひ弱な感じというわけではないが、積極的な雰囲気はみじんも合い。今どきの女どものノリで考えていると、拍子抜けするほどだ。

…しかし、そんな由衣の雰囲気が、なぜか心地よく感じた。

あれ? 何言ってんだ俺。心地いい? 何で? 俺は由衣と恋愛するためにここにいるんじゃないんだし、そんな気持ちになる必要性はないだろう? いかに早く由衣を落として、金を貢がせるところまで持っていくかが最重要事項じゃないか。

由衣のマイペースさに調子がくるってるんだ、俺のペースに引きずり込まなきゃ時間の無駄になる。

改めて自分の目的と最終着地点を確認し、運ばれてきた料理に口をつける。

「由衣は、今までの彼氏ってどんなタイプだったの?」

女の趣味嗜好を確認するためには、過去の男性遍歴を聞くことが一番手っ取り早い。

めんどくさいやり取りを端折って、目的の情報を聞き出す俺の常套手段だ。

「…別に、普通の人だよ」

ここでも、由衣の警戒心の強さをひしひしと感じる回答だ。これまでのメッセのやり取りの中でも、何度か過去の男については探りを入れた。しかしそのたびに「面白くもなんともない話だから」と、完全にスルーされてしまっていた。

ッチ、めんどくせーな。いつまでこんなに他人行儀なんだよ。

気を取り直して、笑顔を作り直した俺は再び由衣に質問した。

「普通って(笑) アバウトな返事だなー。例えばどんな感じだったの?」

食い下がった俺の男性遍歴の質問に、由衣は一呼吸置いて、口を開いた。

「…、年上の人だった、それだけだよ」

この時、初めて由衣が自分の男性遍歴について情報を開示した。年上の男…、まぁ俺たちの年代だったらアリっちゃアリの話しだよな。むしろ結婚を意識しているのならば、下手に若い男よりも落ち着いた年上の男に目が行くのは当然だろう。由衣の性格上、軽いチャラ男を相手にするとも思えないし。

「へー、年上の人だったんだ。どこで知り合ったの? 何歳くらいの人? 何年くらい付き合ってたの?」

ここで一気に畳みかけてもっと聞き出そう。どんな男に弱いのか、どうすれば落ちるのか、その情報は女を落とすには必要不可欠の武器となる。特に由衣のようにガードの堅い女なら尚更だ。

「…、取引先の人。付き合ったのは1年くらいかな」

短いながらもきちんと答えてくれるところに、由衣の人柄がにじみ出ている。軽くあしらう訳でもなく、かと言ってペラペラとしゃべるわけでもない。何とも由衣らしい返答だった。

「そうなんだ、営業事務って内勤だよね? 取引先の人と接点あるなんて意外だなぁ。どっちから声をかけたの? 付き合うきっかけって何だった?」

「…、仕事は電話でやり取りしてたんだけど、たまたまその人が会社に書類を届けに来て、その時に食事に誘われて」

淡々とその時の状況を話す由衣の顏は、何とも言えない表情だった。まだ好きなのか? それとも過去の話しだから感情も薄れているのか?

間接照明に照らされた由衣の顏からは、その感情をうまく読み取ることは難しかった。

「そっか。なんかドラマみたいなきっかけだね。かっこいいな」

何気ない相槌のつもりだった。だって本当にそう思ったんだから。由衣は目線を下げ手元のグラスを見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。

「そんなきれいなものじゃないよ。あの時声をかけた相手が何で私だったのかなって…今でも不思議だし、相手が何考えてたのか理解しがたい。キレイでノリのいい女の子は、他にたくさんいるのに」

何となく引っかかる言い方だった。気になる女に声をかけるのに、そんなに身構える必要あるか? 可愛いから声をかける、気になるから食事に誘う、いい雰囲気になったから告白し付き合うようになる。一般的な恋愛ってこんなもんだろう。

「なんか、含みのある言い方だね。素直に喜べない原因でもあったの?」

「…、別に」

そう言って、由衣はまた一口ビールを口にした。

もしかしたら、普通の状況ではない恋愛だったのか? 相手には恋人がいたとか、不倫とか、火遊びだったとか。この警戒心の強さからしたら、もしかしたらその男に騙されていたとか…、なんてひどいヤツだ。

あれ、ひどいヤツって…。俺もそんなヤローと同じようなことをこれからしようとしてるのに、この感情はおかしいだろ。しっかりしろ、俺。

自分もこれから由衣を騙してヒモ女にするような最低ヤローなのに、なぜか由衣の昔の男のことを考えると、モヤッとした感情が胸をざわつかせた。

「そっか、まだ連絡取ったりしてるの?」

これは本当の興味だった。由衣がその男とまだつながっているのか、本心から気になったからだ。

「もう半年近く、プライベートでは連絡取ってない。取引先だから、仕事の時に電話で話すことはあるけど」

その男のことを話す由衣の声は、少しくぐもっていたように感じた。感情を押し殺して毅然を装っているかのような、不自然な感覚だった。

「なんで別れたの? 由衣の年齢だったら結婚適齢期じゃん。結婚とかの話しは出なかったの?」

一瞬、ピクリと指先が跳ね、俺の顔を見た由衣の瞳は、暗い湖のごとく悲しみに満ちていた。

「…お子さんが生まれた、から」

か細い、周りのBGMにかき消されてしまうほどに消え入りそうな声。小さく口を動かした由衣の心には今、近くにいる俺のことなんか眼中に入らないほど、はるか遠くにいる昔の男を思い描いているんだろうなとすぐに分かった。

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