玉箒

「はぁ……」

「どうぞ。お疲れですね」


 私はカウンターに座るなり深い溜息を吐いた客に、おしぼりを渡しながらそう問いかけた。

 バーテンダーたるもの、新規客と言えど積極的に交流を試みるのが大切だ。無論、相手が嫌がっているようなら深入りはしない。それを確かめる為のジャブのようなものだ。


「はは……仕事で嫌なことがありまして。普段こういう店に来ることはないのですが、呑まなきゃやってられないとつい」

「そうなんですね。お客様は玉箒たまばはきという言葉を知っていますか?」


「いえ、どういう意味なんですか?」

「いくつか意味があるのですが、その中の一つが酒の異名なんですよ。憂いを払ってくれる素晴らしい箒に例えているんです」

「なるほど……」


 客は素直に感心してくれた様子だった。会話を厭う気配もない。


「何でもご要望ください。今のお客様にとって玉箒となるような良い酒を提供してみせましょう」

「それは嬉しいです。えーと、ウイスキーが飲んでみたいんですけど、あまり馴染がないので、飲みやすくて美味しいのだと、どんな物がありますか?」


「でしたら、こちらの山崎十二年はどうでしょう? 今はとても手に入りづらくなっていますので少し値は張りますが、味も香りも格別で多くの人に好まれています」


 私が後ろに並んだ無数のボトルからそれを取り出すと、客の表情に笑みが浮かんだ。


「あっ、何か聞いたことはあります。有名ですよね。じゃあそれでお願いします。初めて飲む場合、飲み方は何が良いんでしょう」

「アルコールに弱くないのであれば、初めはロックが良いと思います。氷が溶けるにつれ味わいが変化していくので、最後まで興味深く楽しめますから」


「なら、ロックで」

「かしこまりました。それでは、少々お待ちください」


 私は棚からロックグラスを取り出した。冷凍庫からはロック用の丸氷を取り出し、グラスに嵌め入れる。

 その上からメジャーカップを介して山崎十二年を注ぎ入れて、バースプーンで軽く回してから、客の前にあるコースターの上に置いた。


「山崎十二年のロックとなります」

「ありがとうございます」


 客はグラスを持つと、その香りを嗅いで驚く。


「凄く甘い香りがしますね……! まるで蜂蜜か何かみたいな」

「そうですね。華やかで繊細な甘い香りは他にも果物だったりバニラだったりと良く評されます」


 続けて、客はグラスに口を付ける。味わう素振りを見せた後、にへらと頬を緩めた。


「美味しいです! いつもは居酒屋でハイボールで飲むくらいなので、ロックで飲むことへの不安が少しあったんですけど、抵抗なくスッと飲めちゃいますね。こんなの初めて……!」

「お喜びいただけたようで何よりです」


「これは確かに玉箒ですね……嫌なことが飛んでいっちゃう感じで。他にも色々と飲んでみたいです!」


 どうやら気に入ってくれたらしい。さて、次は何を勧めようか。ぜひともこのまま美酒の沼に引き込んでいきたい。

 こちらも商売なので申し訳ないが、憂いを払ってくれる玉箒さけは財布の中身も綺麗にする。

 果たして眼前の客は会計時にどんな顔をするだろうか。

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