第30話 月明かりの絵本

 先島の自宅。


 先島が自宅に帰るとベランダの戸が開いていた。


「……」


 先島が部屋の中を見回すと、隅にクーカが居た。膝を抱えて座って居る。


「ごめんなさい……」


 クーカも言い過ぎたと分かっているのだろう。素直に謝って来た。足元を見るとスリッパをちゃんと履いていた。


「宮田も済まなかったと言っていた。 許してやってくれ、世の中にはああいうタイプも必要なんだ」


 先島は十人居たら十通りの答えが有っても良いと考える方だ。むしろ全員が同じ事を考えていたら、そちらの方が気持ち悪いと感じてしまうたちだ。


「もう気にするな…… さて、今夜は何にしようか?」


 先島は気持ちを切り替えようと夜のご飯の話を始めた。

 誰のせいでも無いのに議論しても無駄だからだ。


「お腹空いたーーっ」


 クーカが先島の考えを見たかのように返事をした。


「ん? ちょっと待ってろ……」


 先島は空に近い冷蔵庫から野菜とコロッケを取り出して来た。作るのはコロッケ卵とじだ。


「凄いーーっ」


 クーカは目を丸くしていた。何も無いに等しい冷蔵庫の中身で先島は料理を作り出したのだ。


「ん? どうした?」


 出来上がった野菜炒めを皿に盛り付けていた。


「ひょっとして料理は苦手なのか?」


 そう話しながらフライパンを水洗いをする。料理を作りながら調理器具を片付けるのは常識だ。

 しかし、クーカの生い立ちを知っている先島は質問を間違えたと思ってしまった。


「したことがありまっせぇーーん」


 クーカは人が料理する所まじまじと見たのは初めてだった。クーカのテンションが妙に上がっていた。


「しかも、美味しいし!」


 先島がよそ見をした隙に野菜を一欠けら口に運んでいた。先島はニコニコしながらコロッケの卵とじを作り始めた。

 先島は魔法使いなのかも知れないとクーカは思ったのだった。


 料理を食べ終えた二人はデザートのケーキを食べ始める。ひょっとしたらクーカが来るかもしれないと帰りがけに買って来たのだ。


「甘いものを食べないと身体が燃料切れ起こしちゃうの……」


 クーカが美味しそうに食後のケーキをぱくついていた。確かにクーカの身体能力は群を抜いて凄かった。

 代謝機能がずば抜けているので、カロリー消費がもの凄いのだ。だから、カロリーバーなどを常に携帯している。


「それで何時も甘い匂いがするのか……」


 うっすらと甘い匂いを残していくので、その手の香水を着けているのかと勘違いしていたようだ。


「?」


 先島が言うとクーカはキョトンとしてしまった。自分の体臭など気にした事が無かったからだ。


「いや、野菜をもっと取らないと……」


 ダイエットを進めるつもりは無いが、ケーキをモリモリと食べるクーカに言ってみた。


「先島さんもピーマン残してたじゃない」


 クーカが頬を膨らませて抗議してくる。その様子はちょっと怒っているリスのようだ。


「いや、実はピーマンが苦手なんだ……」


 先島が苦渋の告白をしてきた。


「何それ……」


 それを聞いたクーカがおかしそうにケラケラ笑っていた。ピーマン嫌いの刑事が面白いようだった。



 クーカが食後のコーヒーを飲みながら部屋の中を見て廻っている。

 何時もならソファーから動かないのに珍しいなと先島は思った。


「これは?」


 クーカは先島が映っている写真楯を手にしていた。

 写真には娘を抱き溢れるような笑みを浮かべる妻と、妻の肩を抱き照れくさそうにしている夫。

 それは先島の家族写真だ。


「可愛い……」


 先島と奥さんと娘らしき写真。クーカは子供の頭をなぞっていた。


「それは妻と娘だ……」


 クーカは先島をちらりと伺った。


「そういえば交通事故で死んだって言ってたわね……」


 以前に先島の部屋に着た時に言われたことを思い出した。


「ああ……」


 先島の口から素っ気ない返事が返って来た。


「俺の誕生祝をしようとケーキを買いに行ったんだそうだ」


 先島は直接は知らなかった。後で警察で事故の詳細を言われたのだ。


「ところが、携帯電話に気を取られたトラックに正面衝突されて…… それでお終いだ……」


 先島は台所に行って酒とグラスを持って来た。


「そう……」


 クーカは大人しく話を聞いていた。


「当時の俺は事件の張り込みをしていて、連絡が取れたのは翌々日だった」


 写真を見ながら先島は当時を思い出すように話す。


「妻のご両親には散々恨み言を言われたよ」


 勿論、両親は先島の職業は知っている。知っているだけに怒りの持っていきようが無い感じだ。


『君の仕事の事は理解しているつもりだ。 だが、家族を犠牲にしてまで、何を守っているというんだね?』


 泣く事も出来ず唖然とする先島に妻の父親が尋ねて来た。先島は何も言い返せないでいた。


「…… 何気ない一日の終わりに、お前の家族は居なくなりました…… そんな事を急に言われてもな……」


 先島は手にしていたグラスに酒を注ぎ入れている。


「俺には理解できなかった」


 酒の力を借りないと眠れない日々が始まりだった。


「そのトラックの運転手には逢ったの?」


 クーカが尋ねた。


「ああ、相手の住んで居るマンションに訊ねて行った」


 最初の一口を飲み込んだ。


「最初は気が付かなかったけど、俺の風貌を見て誰なのか分かったみたいだった」


 先島は寝る時以外に酒は飲まない。実は苦手だったのだ。


「そのまんまマンションの廊下に土下座して謝りはじめたんだ……」


 酒を飲むというより流し込むと言う方が合っている気がするとクーカは思った。


「俺は紋切り型の謝罪が聞きたい訳じゃない。 あの日に何があったかを聞きたっかったんだがな……」


 謝罪されても被害者は帰って来ない。残された遺族を納得させることが出来るのは真実だけだ。


「そしたらさ…… 運転手の幼い息子が部屋から出て来て、両手を広げて俺の前に立ちはだかるんだ……」


 先島が両手を広げて見せた。手にしたグラスから酒が零れていった。


「パパを虐めるなってね」


 自分の家族を奪った犯人には家族が揃っている。子供が無条件で味方をするような良き父親だ。

 そんな父親が自分の家族を奪い恨む事さえ出来ない。


「初めて人を殺したいと思ったよ……」


 その理不尽さに怒りが湧いて来たのだ。


「もう、折り合いが付くようになったの?」


 そんな先島を見ながらクーカが尋ねた。


「いいや、忘れちゃいない…… ひょっとしたら、事故と言うのは間違いで、帰って来るかも知れないと今でも思ってるよ……」


 先島の家の違和感の正体に気が付いた。家族が亡くなってから部屋の配置を変えていないのだ。ひょっとしたら戻って来るかもしれないと、模様替えをしないのかもしれない。

 何よりもダイニングの上には三人分の食器が用意されたままだった。それもピカピカに磨かれている。

 先島は飲んでいたグラスをテーブルに置こうとしたが上手くいかないようだ。


「俺には…… 正義が何なのか分からないんだ……」


 グラスが音を立てて床に落ちた。しかし、先島は俯いたままだ。

 どうやら酩酊して眠ってしまったらしい。

 クーカはどうして良いのか分からず、ソファーに横になっている内に眠ってしまった。



 夜中過ぎに雨が降って来た。その雨音でクーカは目を覚ましてしまった。


(え? ここは何処だっけ………)


 そこまで考えた時に先島の部屋に来ていたのを思い出した。


(しまった……)


 目が覚めたクーカは素早く周りを見渡した。傍には誰も居ない。自分は一人でソファーで寝ていた所だった。

 先島の方を見ると椅子にもたれ掛かったまま寝ている。傍には空の酒瓶が見える。酩酊したまま寝てしまったのを思い出した。

 安心したクーカは雨を見詰めていた。


(あの時も雨が降っていたな……)


 幼い日。両親がいきなりクーカを起こしグズル自分を建物の外に追い出した。

 訳も分からずにドアに縋ったが、室内からいきなり男の怒鳴り声と父親の怒鳴り声が聞こえ始めた。

 怯えた彼女はゴミ箱の中に隠れてやり過ごした。しばらくするとぐったりとした両親が抱えられるように、車に運び込まれて行くのを見ていた。

 やがて、雨が降って来てビニールシートの切れ端に包まりながら、小声で母の名を呼び続けていたのを覚えている。


 翌日から見知らぬ異国での過酷な日々が始まった。面倒を見てくれる人も無く、ゴミ箱から腐った残飯を漁る日々。夜中に星の数を数えながら過ごした日々。言葉が分からず大人たちから怒鳴られ怯える日々。


 餓えで死にそうになりフラフラしていたら、見知らぬ女に捕まって施設に放り込まれた。周りには似たような子供ばかりの所だった。

 辛い事ばかりだったが、食料と粗末ながらも毛布があったのが有難かった。

 愛想を振りまいても冷たくあしらわれるだけなので、何時しか表情が消えていったのもその頃だったと思う。

 訓練は辛かったが雨に濡れないのだけは良かった。


 優秀な成績を収める事が出来たクーカは、専門の軍事訓練所に入れられる事になった。良く分からない注射を受け続け、何年かすると戦場へと連れまわされるようになっていった。


 初めて射撃した相手は少年兵だ。スコープの中に映った少年の目と視線が合ったような気がした。しかし、次の瞬間には彼の頭部の半分は吹き飛んでいった。

 その時は何の感情も沸かなかった。そして、今も何も感じる事は無い。


(何も無い…… 何も無い…… 私には何も無いんだ……)


 クーカは生まれた時から何も持ち合わせていなかったのだ。悔しいのは自分でもその事が分かっている事だった。


(貴方は何を信じて毎日闘っているの?)


 うたた寝をしている先島に心の中で問いかけてみる。もちろん返事は無い。雨の音だけがクーカには聞こえていた。

 寝入ってる先島を見ている内に、クーカは再び寝入ってしまった。



 クーカは再び目を覚ました。何かの気配に気が付いたわけでは無い。

 ここは戦場に特有のピリピリとした空気とは無縁の場所だ。

 だが、椅子でうたた寝をしているはずの先島がいなかった。


 雨はいつの間にか止んでいて月が出ているようだ。その月明かりだけで照らされる薄暗い部屋はシンとしている。


「?」


 クーカは何故目が覚めたのか不思議に思ってしまった。

 部屋の中を見渡していると、寝室の方からボソボソと人の話し声がする。


「……」


 クーカは静かに寝室に近付き、ソッと部屋を覗き込んでみた。


「…………」


 すると、月明かりの中で先島が写真楯に向かって絵本を読んでいた。


「………………」


 まるで子供に読み聞かせるようにゆっくりとゆっくりと読んでいる。

 絵本を優しく読む声が月明かりに照らされた部屋の中に広がっていくようだ。

 きっと彼の中では時が止まったままなのだろう。妻子が生きていた思い出をなぞっていくような感じだった。

 先島はしばらく絵本を読んでいたが、やがて嗚咽を上げながらむせび泣きを始めてしまった。


「……」


 彼もまた、孤独の中をさまよっているのだ。

 クーカは先島の背中を見ながらそう考えた。


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