第8話 肉体強化型兵士

都内の某所。


 ひとりの少女が歩いていた。黒い外套に身を包んだ彼女は、一見すると学生の塾帰りのようにも見える。


 その小さな女の子は、倒産した無人の工場で妙な連中に絡まれたいたクーカだった。

 あの時は『特殊な仕事』を実行する為、現場を下見をしに来ていたのだ。


 主な目的は射線の確認と逃走経路の確認。

 いくら超絶的な戦闘能力が有っても無限に闘える訳ではない。身体が小さめなので体力が続かないのだ。


(メンドイ事したくないし……)


 回避できるのであればそれに越した事は無い。自分の身の安全を最優先するのを命題としているクーカには当然の事だ。

 今回はトラックに同乗していた人物を始末せよとの仕事内容なのでここに来ている。対象は自分にも馴染み深い男だった。


「……」


 クーカがふと立ち止まった。そして、おもむろに後ろを振り返った。


「……」


 そこには誰も居なかった。郊外の住宅地にありがちな無機質な道路があるだけだ。

 しかし、彼女には確信を持っていた。


(着けられているわね……)


 彼女は普通の人間とは違っている部分がある。

 クーカは意図的に聴覚の感度を上げ下げできるのだ。彼女の耳には追跡者の息遣いや足音、心音などが聞こえて来ていた。


(そんなに焦っていては誰もでも気が付くわ……)


 確信を持ったクーカは住宅街を走り出した。

 彼女は角を曲がって二軒目にある三階建ての雑居ビルの屋上に飛んだ。角を曲がった瞬間にビルの屋上まで跳躍したのだ。

 追跡者も慌てて走りながら角を曲がって来たが、そこには誰もいない道が伸びているだけだった。


「え!? いねぇし……」


 髪の毛は中途半端な金髪で、安っぽいジャンパーを着た男だった。


「本当ですよっ! 一瞬で消えちまったんですよっ!」


 男は携帯電話を片手に、辺りを見回しながら誰かに話しかけていた。

 普通の女の子なら変質者やストーカーを疑う所だが彼女は違っていた。


(心配性の依頼主なのね……)


 男はクーカに仕事を依頼して来た組織の下っ端なのだろう。自分の仕事を見張っていたに違いないとクーカは考えていた。

 追跡者が見当違いな方向に走り出した。それを見届けてからクーカは屋上から道路に降りた。まるで、散歩の続きをするかのように舞い降りたのだ。


 クーカには普通の人間とは違う所がある。

 筋肉と骨格を薬物で強化されている上、幼い頃から軍人たちによって訓練を施されていた。彼女は作られた強化兵士だ。


 元々は米国軍の強化兵士作成プログラムだった。しかし、成人男性相手では研究成果が巧く現れなかった。そこで研究機関は子供用にアレンジしたものを使用してみたらしい。

 既に骨格や精神面が完成されている大人と違って、成長期の子供の場合には強化薬物の効果は抜群だった。


 薬品により常人の数倍の速度を出せる筋肉とそれを支える頑丈な骨格が作られた。彼女は五メートル程度の高さなら飛び上がれる。そして、瞬発力が優れてるので、目の動体視力とも相まって銃弾を躱せるように肉体が改造されているのだ。


 それは試験体と呼称されていた他の子供たちも同様であった。子供たちは貧民街などから親の居ない孤児を集められていた。まともな手段では人権団体などから激しい突き上げをくらうからだ。


 子供を試験体などと呼ぶ事で分かる通り、研究機関は試験体には一切の感情を持つ事を許さなかった。感情は任務の遂行にジャマなだけだからだ。彼等の興味は実験結果であり、試験体の健やかな成長では無いのだ。


 日中は体技の訓練。夜は爆発物や薬品などの座学の訓練。それを休む事無く続けさせられていた。


 物心付いた頃から毎日させられていたので、試験体たちは自分たちの処遇について疑問に思う者はいなかった。

 もちろん、訓練から落後していく者もいたが、いつの間にか見かける事が無くなっていた。消去。それだけだ。


 その何十人も居る試験体の中でもクーカは優秀な成績を収めていた。やがて、クーカはコードネーム『QUCA』を与えられ任務を任されるようになったのだ。


 十四歳になった時。彼女は麻薬密売組織殲滅の任務を受けて中南米のエバジュラム国に派遣された。

 だが、軍事作戦と言っても現地に精通している者が必要になる。表だけでなく裏の事情にも通じているコーディネーターだ。

 その時に知り合ったコーディネーターの紹介で、クーカは殺し屋家業を行っている。そうでなければ今頃は身体を売る商売をしていた事だろう。


 エバジュラム国に派遣されたクーカは、今回の麻薬密売組織が自分の両親を殺した仇だと知る。

 しかし、殲滅作戦は内通者の裏切りで、クーカの所属していた実働部隊は壊滅状態になってしまった。だが、クーカはたった独りで麻薬密売組織を壊滅させ、ついでにCIAの監視チームも壊滅させた。


 監視チームの一部に内通者が居たのだ。しかし、それを証明する証拠も手段も無く、唯一の生存者だった指揮官は植物状態になっている。身に危険を感じたクーカは脱走する事になった。


 彼女は脱走兵として米軍とCIAに追われるようになる。しかし、彼女はそんな事は気にしていなかった。彼等の精鋭と言われる部隊は自分よりも明らかに劣っているからだ。


 彼女は身に振り掛かる火の粉は徹底的に払う事にしている。同情や施しは自分の為にならないと知っているからだ。


 追跡者を躱したクーカは大きめの橋に差し掛かっていた。車がひっきりなしに行きかっている交通量の多い橋だ。そこをトコトコという感じで歩いている。


「今、動画を送ったわ」


 彼女は携帯電話を耳に充てながら誰かと会話していた。

 肩にはエレクトリック・ギターの四角いケースを担ぎ、背中には亀の姿をしたリュックを背負っている。その姿は普通の女子高生のようだ。

 しかし、ギターケースの中身は遠距離狙撃用のロシア製ドラグノフ・ライフルだ。亀リュックの中身は夜間暗視用ゴーグルとライフル用照準器。

 そして、黒い外套の下には大型のククリナイフとグロックを携えていた。まるで移動する軍隊のようだ。だが、見た目が可愛らしい少女なので職質を受ける事などは皆無だ。人には人畜無害と映るらしい。


『ああ、見たよ…… チョウは一人じゃ無かったな……』


 電話の相手はぶっきらぼうに答えた。

 クーカは依頼を受けた時に一度だけ面会している。やたらと横柄な態度を取るヤクザだった。


「そうね、男と一緒だったわ」


 クーカは淡々と答えながら歩いてた。クーカを見て本当に大丈夫なのかと、何度もコーディネーターに質問していたのを思い出した。


『なら、その目撃者も始末しろよ』


 電話の相手はなにやら怒っているようだ。


「契約に目撃者を消せとは無かったわ」


 クーカはそんな事には気が付かないのか事務的に話していく。


『証人を消すのは殺し屋のルールだろう?』


 依頼主は何かの漫画の影響を受けているらしい。目的を達したら現場を速攻で離脱するのが正しい選択だ。余計な手間をかけるのは仕事とは言えない。


「それは貴方のルール。 私のルールでは無いわ」


 説明するのがメンドクサイ相手は良く居るものだ。ひとつ説明するのに十ぐらい話さないといけない人種だ。感の鈍い人と呼ぶべきだろうか、往々にして自分の方が立場が上だと勘違いしている人種だ。


『これは命令だ』


 相手はイライラしながら言っている。

 クーカが依頼主に逢うのが嫌なのは、彼女の見た目でトラブルを招く事が多いからだった。


「貴方に指図される筋合いは無いわ」


 クーカは相手の恫喝を意にも介してない。

 元々、今回のチョウもトラックの狙撃の時に一緒に依頼すれば良かったのだ。

 運転中に狙撃しろなどと注文着けて来たので妙だなと思っていた。だが、あの爆発を見て合点がいった。チョウも巻き込まれて死ぬと考えていたのだ。

 仕事の金をケチりたかったのであろう。

 しかし、意図に反してチョウが生き残っているのが判明したので再度依頼されてきたのだ。


『あんたには高い金を払っているんだ。 サービスぐらいしろよ』


 電話の相手は泣き落としに出てきたようだ。


(自分のせいじゃない……)


 自分のセコイ金勘定からの余計な出費だったのに随分と図々しいなと考えていた。


「予定外の仕事はやらない事にしているの」


 クーカはチョウと一緒に居た相手を思い出していた。目の前で人が狙撃されたにも関わらず、素早い動きで自分の身の安全を測っていた。兵隊か警察か。いずれにしろ数々の修羅場を潜り抜けた相手に違いない。


「それに今回の仕事はヨハンセンの紹介だから引き受けただけよ」


 ヨハンセンとはクーカの仕事仲間だ。移動を助けてもらったり、仕事の仲介などもしてくれている。


「それにトラックのターゲットが顔見知りで、ちょうど探してたのもあるわ」


 彼女が誰かしら探す目的は、相手を抹殺することを意味していた。


「それに…… 私がここに居るのは仕事が目的では無いわ」


 クーカは立ち止まって川面を眺めた。川を渡っていく風が気分を落ち着かせてくれるような気がしたからだ。


『俺に逆らったらどうなるか分かっているのか?』


 ところが、相手は恫喝をやりだしてしまった。話し相手がヤクザだと忘れているのかもしれないと思い始めているようだ。


「……」


 クーカは黙ったままだ。


『ああ?』


 電話が壊れるのかと思う程の怒鳴り声だ。

 クーカはそろそろ面倒になって来ていた。それよりチョウと一緒に居た男の情報を探る必要を感じていたのだ。


(アイツはきっと面倒な奴だ……)


 クーカの感が囁いている。裏の社会で生きて行くのに必要な能力だ。


「どうすると言うの?」


 クーカがぶっきらぼうに聞いている。しかし、その目が冷たく光り始めていた。


『お前もぶっ殺してやると言ってるんだよっ!』


 電話の相手は恫喝すればどうにかなると思っているようだった。何しろ見た目は幼い少女風だ。

 誰でも間違えてしまう。


「分ったわ……」


 電話の相手がため息を付いているのが聞こえて来た。安堵した様だ。


「貴方を捜してあげる……」


 敵対すると言っている相手を生かしておく訳にはいかない。クーカは依頼者を始末する事にしたのだ。


『えっ!? ちょっと待てっ!』


 電話の相手はかなりの動揺を見せた。自分が誰を脅したのか思い出した様だ。

 何しろ世界中で重要人物を始末して、各国の諜報機関が血眼になって探し回っている殺し屋なのだ。

 そして、クーカが相手を探すと言う意味も瞬時に理解出来た。


『……っ!』


 自分がターゲットになってしまった。


『…………っ!』


 電話の向こうで何がしか喚いているようだ。割れるようなドラ声が聞こえて来ている。

 だが、クーカは裏切りは許さない。彼女が極悪な世界を生き残って来れた理由だ。


『おいっ!』


 電話の相手は何事か怒鳴っているが、クーカは電話など何も気する素振りを見せずに川に投げ棄てた。


(少し寄り道をしないと……)


 例えヤクザであろうと相手を始末するのは、彼女にとって散歩のようなものだった。


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