第117話12月23日チケットを買う、というのは その日の約束を買う、ということ

チケットを買う、というのは

その日の約束を買う、ということ

買ってしまうとその瞬間から観戦が終わるまで

場合によってはその後もずっと

気持ちを拘束する

もちろんそれは

ほとんどがいい意味


買うか買わないか迷った時がしんどい

検討を重ね相談を重ね

何度も決断を覆し

ようやく、買う


いかんせんお金がないので

なかなか決断できないし

一回にかける思いがまた

並外れて大きくなる


そうやって買ったチケットは、

その日を存分に楽しめる約束になる

だから、どんな事情があっても

行かないという選択肢はなくなる

はずなのだけど


相談して相談して買ったチケット

珍しく俺が行きたくて行きたくて主張して買ったもの

母が倒れる直前に買ったチケット

つまり、あの日々を象徴する最後のチケットなんだ


母は、あとはもうリハビリ頑張るだけ

俺は、年末年始に母の外泊が決まればその作業をするだけ

当面、暮らしのスケジュールが安定している

逆にいえば

母が退院したら

生活が母のそれに全て持っていかれるので

経済的にも気持ち的にもチケットを買う余裕がなくなる可能性が極めて大きい


つまり

手元にチケットがあり

時間や予定、暮らしを俺が回せている今日は

もしかしたら最後の観戦になるかもしれないということに


という、打算がある


それ以上に

連綿と続けてきた観戦を自ら途切れさせることが

今後の自分たちの有り様を暗示しているようで怖い


と思う一方


母なしの観戦、それもトナイだと

なにが面白いのだろうか

行けばその時間の分だけ

母がいない、という現状に直面し続けるだけだ

母への罪悪感もある

体調もよいとは言い切れない


その堂々巡りから抜けられない


前日は

母が

行ってこいと言ってくれたので少しそちらに傾いたのだけど

昨夜の電話ては真逆のことを言われた


優柔不断


でもさ

行かないとしたところで

それはそれで

その時間、家でぽつねんとしているわけだ

それもきついぞ

母のいない家が

この状況が

いつも以上に強調されるんだから


友達誘ってもね

気を遣うんだよ

気なんてつかわなくていいって人もいるんだけど

違うんだ

俺に気を遣っていることも

気を遣っていない風にされることも

気になるんだよ

こんな事態だからこそ

普段通りに明るく接しますを演出されるとね

それに乗っからないといけないじゃん

だってさ

いまの俺は、友達とわいわいする気がないんだから


同じ生活環境の中にいて

そういう精神状態を共有できるのが母だったから

一緒に行動することが多くなったんだけども

その母がいない、というか当事者なだけに

楽に接することができる相手がいない


その辺

色々やってきた結果なので

やってみなくても分かるんだよ


うちもそこそこ色んなことがあった家なので

俺もそこそこ色んなことをやってきたんだ

人づきあいもさ


破綻したよね


俺が悪いのアレをこうすればいいのって

あるんだけどさ

それに夢中になることがしんどいのよ


前述した通り

気を遣われても遣われなくても

気を遣っちゃうしさ

グチぐちいうばかりの時間を過ごすと相手に悪いって思うじゃん

無理してはしゃぐのはもっとキツいし

人といるとずっと営業スマイル

ビジネス対応

話をしてくれるその人に合わせて

必要なら笑顔を作り、言葉も選んで会話を弾ませる

そんなことしなくていいって言ってくれた人もいる

でも、じゃあずっと無言で

一生懸命楽しい会話をしてくれようとするキミに

声、小さめで、とか、しゃべるよりじっとしてたい、とか

言っちゃうのはどうよ

それでもいいよっていってくれるいい奴もいるんだよ

違うんだ

俺がキツいんだよ

そういう態度をとってしまうことが


そんなことを思いながら

初めて

観戦チケットが手元にありながら

時間も十分余裕がありながら

行かない、という決断をした


試合開始の時刻

はきそうになった

ぐしゃっと、胸のあたりの塊がつぶれた感じ

あーあ


行きたかった、のはもちろんある

それ以上に、行かない、という決断

行かない、という選択肢

を、作ってしまったという失意


つまりね

今後の生活を暗示しているんだよ

がんばってチケットを買ってもそういうことをしてしまうという

お金がないから

だからいよいよチケットを買わなくなる

買わなければ行けない

行かなければ話題にしない

これまでの思い出に触れるのもつらくなるので触れない

そうやって十数年楽しんできた記憶が

タブーになっていく

家族と過ごした楽しい記憶がなくなっていく

その怖さがある


そういうこと

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