第5話ただただ元気なのは俺だけ

本当にね

今年はどういうことなんだろうかと思ってしまう

手話団体、 福祉推進会や防災、傾聴、認知症サポーター その他もろもろ 色々な役を背負い込んでしまう人でもありその過労も大きかった

何度も何度も 役を降りてしまえばいいのにと言ってもその 役があるからこそ手話団体の コネクションも大きく広がったりいろんな活動ができると主張されてしまうと何も言えない

今年は 様々な ストレスや過労が押し寄せてくる 場面が多く毎年参加しているイベントも法事のため欠席

その法事の後に参加できるかなど 検討したのも 母には大きなストレスだったと思う

そっち方面じゃないことでも 例えば ガラケーをスマホに する ために市内中を走り回り、 車検を目の前に車検料よりも中古車を買った方が安ければと 車を探し。

本当にそういう刷新することが多かった

別の話だけれど台風が来た時 数十年ぶりに 雨戸を降ろしてもらった

俺がちょっとだけ下ろしておいたのがいつのまにか全部下まで降りていて 母の異様なパワーに驚いた

例年にはない いろんなストレスも多くかかっていた

思い返せばほぼ俺の 自己満足に過ぎないような 高い高い 理想の押し付けで 母を無理させてしまってきた ことが殊更多かった

小学生の手話学習会も検定もイベント参加も すべて 俺のわがままから端を発している

そもそもこの10月31日を迎える 直前 10月30日は お墓参りをし リサイクルショップで蛍光灯を買い そのまま手話学習会をし 帰宅する予定だったものの 調子に乗ってしまい オペラグラスを買うため 遠方のリサイクルショップまで走らせてしまった

夜の ドライブは とても疲れるとわかっていたのに ただ一緒に遊びたかったと言う その一念で 飛び出してしまった おそらくは 最終的な引き金はその時の 夜の自動車運転による過大なストレスだったんだろうと 思えて ならない

父を 追い込み続けたのも 俺のわがままで幼い 適当な生き方だったし そのせいで 弟は 十分な生活を送ることもできず、 17年間暮らしてきた 大切な大切な愛猫も 俺の アルバイト生活のストレスを受け また 体調が悪かったのにちゃんとした治療をしてあげる前に 事態が起こって しまった

本当に 俺が原因で 周りの多くの人が なくていいはずのストレス を受けてしまっている そしてただただ元気なのは俺だけと言う ひどい話だ

どうすればよかったんだろうか

例えば 親父に対しては大学を出てしっかりと就職して働いてさえいればあの人は笑顔で 日々を送れたはず そうすれば弟も まだまだ落ち着いて 違う 人生送ってきたかもしれない 家出をして 遠くまで流れていってしまうようなことはなかったかもしれない 本当に何をしてるんだろうかと 自分が情けない

それでも母はそんな状況を許してくれる 俺も母もそういうような状況を よしとしたからこそ これまで何も壊れずに頑張ってこれたんだと思う もし俺が普通に就職してしまっていたら 俺は自分の 人生になんのアイデンティティも 得ることができなかった もちろんあのスポーツも観戦しなかっただろうし そうなると母と一緒に博多に行ったり 大阪行ったりファンでもなかなか知らないようなマニアックな選手の話をしたり、 そんなこともなかった

手話も たぶんやっていなかった そうなると街中ですれ違っただけで 俺に気づいてくれる あの子達 とも出会わなかったわけで すれ違う時に 何の感情もなく なんならキモいおっさんだなぐらい な こと 思われたり して 終わりだったんだよなと思うと 薄ら寒い怖いさもある

母に してもそうで 手話の活動が あったから 小学校や高校で 手話を教える 経験ができたり 多くの教え子が 慕ってくれている

そんなことはなかなかないことで 何が凄いって そういう団体を 母が作り上げたということが 他の人にはできない 大きな 財産なのかなとも思う それを顧みると 不甲斐ない俺の人生の選択も それしかなかったのかなとも思う それを言い始めると全て言い訳になってしまってくるので できれば 口にはしたくない部分ではあるのだけど 今までの 状態が とても 経済的に苦しく 精神的体力的にも圧迫されるものがありながらも それでも俺が 幸福だと言い切れるのは 母と一緒にスポーツ観戦したり 子供たちと一緒に手話をしたり そういう日々があるからで

もしなければ 俺は一体何者だったんだろうかと 思ってしまうんです

そういった日々が 10月31日に 突然途切れました

俺と母のアイデンティティは 今後どのような 形になっていくんだろうかと

どんな形になっても構わないんだ ほんとはね それが幸福でさえあれば 本

当にお金がなくて お金がなくて大変な数年を過ごしてしまったけれども それでもその中から必死にお金を捻出して スポーツ観戦したり 手話をやったり リサイクル屋を回ったり 安い食材を買って回ったり そんな そんなことが もうただただ幸福で バイト先で牛乳を並べながら 明日の休みは 富士宮までお墓参りに行って リサイクル屋行って 本屋さんに寄って 途中で母が作ってくれた焼きそばのお弁当を食べて そんなことを思うだけで楽しくてワクワクして 幸福だった

俺にはあまり幼い頃の記憶がなくて かっこつけてるわけじゃなくて そんなに反芻して 楽しめるような 日々を送ってなかったからだと思う

みんなと一緒に野球に興じたり 鬼ごっこをしたり そういった事もあまりなかったし 家族との思い出というのもあまり良いものが残ってるわけでもなく だから母と一緒に色々行動したというのは ただただ俺のわがままながら 人生において欠落していた家族との幸福な記憶というものを 必死にし補完ていたのかもしれないし、 そんな面倒なことじゃなくて ただ 家族と一緒に 遊ぶと言う 幸福に 浸りたかったということなんだろうと思う

本当に家族と一緒に何かをしたという記憶が すごく少なくて だから 母と出かけるのがとても楽しくて 傍から見ると気持ちが悪いかもしれなくても それでもそんなことが気にはならないぐらい 気にしたこともないぐらい 一緒に 遊ぶのが 楽しくて 幸福だった もし この幸福がなければ 俺はもうめちゃくちゃな廃人になっていたような気もする 音楽や何やらで 人間不信、人との距離感をはかるのが 辛くなり その現場から離れてしまい かといって いわゆる そういうの をしない人達と 交わるというのも 浮いてしまってどうにもならない スポーツ観戦で出会う仲間や 友達 が俺の大事な人間関係になってしまったというのは良いことではないのかもしれないけれども 母と一緒に何年も何年も通ったからこそできた 仲間でもあるし そういったものも なかったかもしれないと思うと やはり怖いものがある 友達がいないわけでもないし人付き合いができないわけでもないし

どちらかと言うと みんなとワイワイやれるタイプではあるんだけれども 音楽だとか何だとか自分の好きなものになると 色々とこじらせてしまってきた

それをすくいあげ みんなと同じ世界に返してくれたのが 母と一緒に行く観戦だったりするわけで 母と一緒に活動していた 手話だったりするわけで

そう思うとね これからの日々が とても息苦しい 正直どうしたらいいかが分からない部分がある そのスポーツ観戦はしたい それは俺自身好きだから行きたいというのがある でも やっぱり母にもまだまだ見せてやりたいと思っている 手話はどうなっていくんだろうか

母が復帰できるまでは休止状態になってしまうんだろうか


こんなことを音声入力していた。

まだ少し、事態が飲み込めておらず、どこか他人事のようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る