母の半分がなくなった
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第1話母の半分がなくなりました。
母の半分がなくなりました。早朝のことです。
ろれつが回らない。右半身に力が入らない。どこにでもある、よく聞くその言葉を聞き、跳ね起きた俺は即、救急車の手配をしようとしました。母は、「大したことないのに救急車を呼ぶことが問題になっているから」と嫌がり、それでもというと、服を着替え始めました。救急車がくるまで、玄関に、凛と、座っていました。背筋を伸ばしまっすぐ正面を見るその姿勢は、殊更に綺麗で、悪寒に指先が震えました。
言葉は多少、もごつきますが、しっかりと受け答えもでき、救急病棟で待機している最中も軽口が飛ばせるほど。メニエールの持病を持っているので、その症状だろうと踏んでいたためです。俺は、起こるべき事態から目をそらそうと必死でした。
教え子の発表会の日だったこともあり、時計を見ながら、今からならまだ間に合うなぁ、などと笑う余裕がありました。
MRIを撮り、医師や病室が決まり、移動。俺は入院の手続きをし、一時、帰宅。諸々の支払い処理をし、必需品を持って再び病院へ。その道すがら、高校生に成長した母の教え子たちに会いました。事態を伝えることができず、バカな話をして別れた瞬間、頽れそうに。
病院で、お医者から病状説明。お医者は「よくこの時点で電話して連れてきてくれた」と言ってくれたのですが、実際は、発症確認からすぐではなく、いくのいかないの、服を着替える着替えない、様子をみるみない、の問答がありましたし、実際、問答だけではなく一時横になって様子を見てしまっていました。それを告げると、お医者は、無言に。
病状は、脳梗塞。一過性ではなく。今後も症状が進行する可能性が。リハビリ病院への転院。自宅の改装。
現状の処置については、放り込める薬は全て放り込んでくれたとのこと。病状ゆえに、開頭手術等の処置はなく、点滴による投薬で症状を抑え、安定させることだけが唯一の。
めまいがひどくなりました。喋ると唇がひりつきました。それでも、異様なくらい言葉が出てきます。色々なことを確認しましたが、そのたびに舌が痛みました。
病室で母は、意気消沈ではありましたが、事態に直面、把握していないので、まだ朗らかで、いつごろ退院になるのか、それまでの予定をどうしようか、退院後の活動はどうしようかと、その心配ばかりをしています。誰に連絡をとってどうしてもらおうかと。3週間後に迫る「地区交流会」の出演者オファーの成功を伝えてくれと。
お医者の話では、原因は過労とストレス。母は、本当にたくさんの役を抱えこんでいました。たくさんの責任を抱えこんでいました。福祉推進会。防災会議。傾聴。認知症サポーター。手話の先生。その全てで役付きでした。そして、その全てを完璧にこなしていました。日々、会議に追われていました。
ようやく、あらかたの予定を消化し、ゆっくりできる時間ができるはずだったんです。本当に全部が片付き、教え子の発表会を楽しもうとしていた矢先、全部がなくなりました。
なくなったのは体の半分でしたが、人生の全部がなくなりました。
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