二十 義兄弟(九)

 真備まきびとわたしは吉麻呂よしまろとともに仲麻呂なかまろの宿舎に向かった。仲麻呂の太学たいがくの講義が終わるまでそこで待った。そのうちに真成まなりもやって来た。彼は金仁範きんじんぱんから二本の長剣を借り受けて隠し持っていた。

 太学から帰ってきた仲麻呂は真成の顔を見ると静かに目をつむり、ゆっくりと息を吐いた。

「無事でよかった……」

 真成は仲麻呂に頭を下げた。

「仲麻呂、本当にすまなかった。兄さまがおまえに知らせなかったのは」

「真成兄さま、真備兄さま、分かっております。わたくしたちは兄弟ではありませんか。もう謝らないでください。わたくしは弟として当然のことをしたまでです。とにかく無事に見つかってよかった」

と微笑んだ。が、どこか淋しそうな笑顔だった。

 真成は、

「もう二度とおまえに迷惑をかけない。おれたちは非力だが、もし今度おまえに何か困ったことがあったらおれはおまえを命を賭けて助ける。何でも言ってくれ」

 仲麻呂はその言葉にきらと目を輝かせた。

「……ありがとうございます、真成兄さま」

 仲麻呂は壁の方を向いた。

 わたしがその視線を追うと、そこには墨で書かれた小さな円があった。

 崇義坊すうぎぼうに戻ると真成は二本の長剣を持ってずかずかと張進志ちょうしんしを傷つけた唐人学生の部屋まで行き、また扉を蹴っ飛ばした。

 彼は怒鳴った。

「戦争だ! 戦争するぞ!」

 驚いた唐人学生が飛び出してくると、真成は彼の足元に二つの剣を投げつけた。

 周りの部屋からも学生たちが一斉に出てきて、あっという間にその場に人だかりができた。

 真成は剣を指差して唐人学生に、

「剣に細工をしたと思われるのは嫌だから、おまえがどちらでも好きな方を選べ」

「いったい何のまねだ」

「だから戦争だよ。おまえは一族を背負っていると言っていたが、おれは日本国遣唐使、一国を背負ってここ唐へやって来た。おれに対する侮辱は日本国に対する侮辱であり、この国辱に対しておれは命を賭けてその恥をそそがなければならない。おれはおまえに宣戦布告する。日本国に対する侮辱を謝罪し、発言を撤回しろ。さもなければおれはおまえのからだをなますの如く切り刻み、首を刎ね、酒に漬けて二十年後日本へ持ち帰る。そして帰朝の挨拶を主上にするときおまえの首を献上し、恥をかかされたことを詫びた上でおれも自刎じふんする。だがおまえにも言い分はあったよな。だから剣を取れ」

 真成は周りの学生たちを見回して、

「こいつの仲間も出て来い。小さな国相手に大国がわざわざ大軍で攻めるのは格好が悪いだろうから、ひとりずつ順番に相手して殺してやる。ほら、早く出て来い。誰が先鋒だ?」

 誰も動かなかった。

 足元の剣をちらちらと見ながらくだんの唐人学生は、

「おまえ、気でも狂ったのか? そんなことをすれば」

「うるさい! いいから早く剣を取れ」

 唐人学生は剣を拾った。

 真成は彼にもう一本を寄越すように催促した。

 唐人学生は地面の剣を拾おうとして屈んだが、突然手に持っていた方の剣をさやから抜いて真成に斬りかかってきた。

 周囲はあっと息を飲んだ。

 真成は彼を睨みつけてどんと構えたまま微動だにしなかった。

 わたしは思わず目をつむってしまった。

 真成!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る