九 玄昉(五)

 玄昉げんぼうと仲良くするのは良いことだったのだが、ひとつだけ困ったことがあった。

 それは水手かこたちの話に参加させられることだった。

 その日の船倉の話題は「唐の女を一発で落とす口説き文句を考えろ」だった。

 玄昉が、

「皆さん、わたしのはこうです。“天衣無縫てんいむほう”というのを知っていますか? 天女がまとうころもは天の不思議な糸でできていて、縫い目が無いそうなんです。それでまず、女を花のよう、蝶のようとさんざんおだてるんです。女が笑って口元を袖で隠したら、その袖を指差して、“あれ、おかしいな、縫い目がある、天女の衣には縫い目が無いと聞いたのに。あなたは天女ではないのですか、どうぞわたしに確かめさせてください”」

 水手たちからおお、と感嘆の声が上がった。

「さすが玄昉さま。しゃれてるな!」

 真成まなりが呆れ顔で、

御坊ごぼうはその名文句をいったいいつどこでお使いになるつもりかな?」

 玄昉は僧衣の袖をひらひらさせて、

「ははは、来世で使うとするかな。だから現世ではおまえに貸しておいてやるよ、真備まきび

 こちらに背を向けて寝ている真備は返事をしなかった。

 玄昉はわたしの隣にやって来た。そしてわたしの肩をぽん、と叩くと、

真海まうみ、次はおまえの番だ」

「はい! ……へ?」

 玄昉はわたしの耳に口を寄せて、

東人あずまびとは得意だろう? 歌垣うたがきでこういうやりとりをたくさんやっただろう?」

「え? ……歌垣?」

 玄昉はわたしの顔を覗き込んで、

「知らないのか?」

「は、はい」

 あとで玄昉に教えてもらったのだが、東国では歌垣といって、年に一度若い男女が集まって歌を歌い合い、互いにい相手を見つけるというものがあったそうだ。だが東国の上総かずさ国でも、わたしの里には歌垣は無かったんだよ。

 玄昉は少し声を高くして、

「真海、おまえまだ女を知らない?」

 わたしは顔が熱くなった。たぶん真っ赤になっていた。船倉が薄暗くてよかった。

 わたしは小さくうなずいた。

 と、一番近くにいた水手が、

「この兄ちゃん、まだ女を知らないんだとよ!」

 水手たちが一斉に騒ぎ出した。

「なんだ兄ちゃん、そうなのかあ?」

「やっぱりな。そうだと思ってたよ!」

「何から何まで知らんのかあ?」

「おい、誰かどんなもんか教えてやれよ」

「おめえがやれよ」

 ばん! と真成が荷箱を叩いた。

「うるさい!」

 まあまあ、と玄昉は笑いながら真成の肩に手を置き、

「真成、おまえの口説き文句は?」

「そんなもの無い」

「おや、そうか? おまえの下着の紐を結んだ女に、甘い言葉の一つもかけてやったことは無いのか?」

 

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