二 防人(二)

 また春を迎えたある日のこと。里に役人が来た。

 里長さとおさは男たちを集めた。女たちは何事かと不安がった。

 集まりから帰ってきた伯父が、

「この里から防人さきもりをとるそうだ。三人だ」

 母と伯母がひっ、と短い悲鳴を上げた。

 防人というのは……へぇ、よく知っているね。そう、遠く壱岐いきや対馬などの島や土地を守る兵士のことだ。防人には上総や相模などの東国の男たちが選ばれて行ったんだよ。行ったら三年は戻って来れない。延長になることだってあったし、それでもなんとか務め終えたとしても、故郷まで帰って来る途中に飢えて死んでしまうことだってあった。要するに無事に帰って来る方がまれと思われていたんだ。

 防人に選ばれるのは正丁せいていといって二十一歳以上の男子だったから、まだ十六歳のわたしはもちろん選ばれることはなかった。伯父も選ばれなかったが、伯父はずっと暗い顔をしていた。

 里の女たちは防人に決まった男の家のことを噂し合った。この里から防人を出すのは初めてだった。夫や息子を防人にとられることになった女たちの話を、母は涙ながらにわたしに語った。それが毎日のことだったから、正直うんざりだった。

 数日後、事件が起きた。防人に選ばれた男の一人が姿を消してしまったんだ。それは二十一歳になったばかりの若い男で、里びと総出で探し回ったが何日経っても見つからなかった。

 防人として出発する日はどんどん迫っている。もしこのまま見つからなかったら、里全体が役人からきつい罰を受けるかもしれない。里びとたちの苛立ちは逃げた男の家族に向けられた。

 男の家族は家からほとんど出て来なくなっていたが、何人かの気の短い男たちが外に引きずり出し、罵倒しながら殴る蹴るをし始めた。騒ぎを聞きつけて里びとたちがみな集まった。

「やつをどこに隠しやがった! 言え!」

「本当に知らないんだよう。許してくれよう」

 逃げた男の年老いた父親は鼻から血を、目からは涙を流しながら地に手をついて訴えた。

「嘘をつけ!」

 男たちの一人が父親の顔を蹴った。父親は後ろに吹っ飛んだ。周りにいた女たちが悲鳴を上げた。

 なんなんだ、これは。

 わたしは人垣の後ろの方で見ていたが、あまりの胸の重苦しさに息が吸えなくなり、頬から首筋、背筋、そして全身がぶるぶると震えはじめた。

 なんなんだ、これは。なぜ誰も止めようとしない。あんなに防人の家族に同情して泣いていた母も、いまはまるで汚れたものを見るかのように眉をひそめて立っているだけだ。それに蹴った男もその仲間も、防人には選ばれていないのだ。

 わたしは周りを見回して、防人に選ばれた他の二人の姿を探した。

 二人はそれぞれ少し離れた場所で家族とともにいた。二人とも三十過ぎの男で、一人は両のこぶしを固く握りしめて騒ぎを睨みつけていた。もう一人は目をつむって下を向いていた。男の両腕には妻と幼い娘がしがみつき、妻は頬に流れる涙を男の腕にこすりつけていた。

 遅れてやってきた里長が暴れる男たちを一喝した。

「やめろ! さもないとおまえたちを代わりに防人に行かせるぞ!」

 男たちは舌打ちして、逃げた男の家族から離れた。家族たちは泣きながら倒れている父親を助け起こした。周りの女たちがすすり泣きし始めた。わたしの母も袖で目元を押さえていた。

 里長はそこにいるみなを見回してため息をついたが何も言わなかった。誰も何も言わなかった。

 なんなんだ、これは。この連中は。この里は!

 もう、うんざりだ!

「おれが行く」

 みなが一斉にわたしを見た。それでわたしはいまの言葉が自分の口から出たものだと分かったのだが、確かめるためにもう一度言った。

「おれが行く。おれが防人になる」

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