第47話 三者三様

「またあなたはいるのね……」

「今回は怒らないんだー」


 あっけらかんとのたまった高坂に、桐ケ谷はため息をついて「なんで怒るのよ」とリビングに戻っていった。その背中を真っ赤なオーバーサイズのパーカーを着た高坂が軽い足取りで追いかけて行って、申し訳なさそうに縮こまる林と俺が取り残される。


「すみません……勉強会のことを話したら『あたしも行く』と言われてしまって」

「いやいや、構わないよ。意外だっただけで」

「喫茶店のことで、少し……」

「ああ」


 思わぬところで林と高坂が仲を深めていたことに驚きつつ、林が持ってきた紙袋をありがたく受け取った。小奇麗なレース模様が描かれたそれはどこかの洋菓子店のものらしい。


「ありがとう」

「わたしこそ、誘ってくださってありがとうございます。勉強会なんて初めてです」

「そうなんだ?」


 とたとたと控えめな足音を奏でる林をリビングに通して、林と高坂の分の麦茶をグラスに注いだ。両親がどこかの国で買ってくる食器ばかりだからグラスにも統一感がない。

 それを持ってリビングに顔を出すと、そこには不思議にも桐ケ谷しかいなかった。


「二人は?」

「春人の部屋に行ったわよ。何とは言わないけれど捜索しているんじゃないかしら」

「ベッドの下とかか?」

「その様子だとベッド周辺にはなさそうね」


 おどけてみせたらあらぬ誤解を与えてしまったようだ。なお不審物の所持の有無については黙秘権を行使する。


「馬鹿なこと言ってないで勉強するわよ」

「へいへい」


 思考を読んだわけでもなくそんなことを言う、桐ケ谷の隣のクッションにぼすんと腰を下ろした。クッションは三つしかなくて、高坂がどこに座るかが問題だったが高坂は平気な顔をしてソファで漫画を読みそうだから深く考えないことにする。

 俺は中断していた、欠席分の板書をルーズリーフに書き写す作業を再開した。相変わらずきれいな、それでいて可愛げのある字がつらつらと連なっている。見返した時に分かりやすいように体裁が整えてあるあたりに桐ケ谷らしさが現れたノートだ。


「高坂さんとは」


 そこで切られた言葉に視線だけ向けると、桐ケ谷は数学の参考書から目も離さないままつかの間の沈黙を挟む。


「委員会がいっしょだからと納得できるけれど……林さんは?」

「……たまたまかな。図書館で勉強してた時に知り合った」


 確かに桐ケ谷から見たら不思議だったんだろう。林は授業中以外でも基本的に大人しくて、そこまでクラスメイトと積極的に関わっている様子は見受けられない。クラスメイトも林の醸し出す独特の神聖な雰囲気に近づけないでいるみたいだった。

 俺が林と高坂のことを気にしたみたいなものか。

 そんな俺の予測は裏切られることになる。


「それだけじゃないでしょう」


 ほぼほぼ確信を持った一言。まあ、高坂みたいな距離感がゼロみたいなのはともかくとして、知り合った程度で勉強会に呼ぶこともないから追及もやむなしだった。

 それに桐ケ谷は林がスケッチブックを渡す時に一緒にいたからなおさらだろう。


「林に頼まれて創作の手伝いをしてる。それだけだよ」

「創作って絵とかかしら」

「絵だな。ちょっと持ってくる」


 俺は借りっぱなしだったスケッチブックの存在を思い出して部屋の方に足を踏み入れる。なにやら林と高坂はピクシブの画面を前に話し合いをしていた。俺は「忘れ物」とだけ返してスケッチブックだけ回収する。

 捜索していた訳じゃなかったらしい。初めて入る他人の家なのに自由だな、と高坂の評価を改めた。ほどほどに切り上げろよ、とだけ高坂に投げて扉を閉める。

 戻ってきた俺を見上げる桐ケ谷にスケッチブックを渡そうとした手が止まった。

 脳裏にふとよぎったのは酷評を下した紺野の姿。


「桐ケ谷がどう思うかはともかく俺は林を応援してる」

「なにその日本語。人の好みを悪くなんて言わないわよ」


 そうだよな、と安心してスケッチブックを預けた。乾いた厚紙の音を立ててそれを開いた桐ケ谷をしり目に、俺は残りの少なくなったグラスを持って再びキッチンに引き返す。麦茶を注ぎ足して補充分の菓子をポケットにしまい込む。


「綺麗な絵ね」


 それはとても短く、そして言葉以上の感情がこもった一言だった。俺はいくらか湿った布のコースターにグラスを置いて、首肯しつつグラスを傾ける。

 桐ケ谷が林の絵を好意的に見てくれたことにほっとしている自分がいた。

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