第23話 二人三手で歩こうか
そんな一幕があったものの、「わ、悪くないわね」というツンデレだかデレデレだか判然としない桐ヶ谷によって名前呼びをすることになった。
……そもそもツンであるはずの顔を見たのは数度もないな。
つらつらと雑多な事を考えてる余裕があるのは、隣で桐ヶ谷がスマホを操作しているからだ。突っ込みたいのはやまやまであるが、調べてる内容がショーの時間確認であるあたり、俺もそう強くは咎められない。
それにしても目立つな、と俺はひとりごちた。俺一人ならこうも視線を集めはしないだろう。そこそこ混雑している電車の中でまず間違いなく桐ヶ谷が一番異彩を放っている。それは桐ヶ谷の容姿や纏う雰囲気によるもの。並んで座る俺に「なんであいつが」という視線が飛んでこないのが不幸中の幸いか。
そんな周りなどお構いなしに、公式ホームページに掲載された、アシカショーやペンギンショーなどの間を桐ヶ谷は行ったり来たりしている。
「ううん……迷うわ」
「ショーはやめておいた方がいいと思うぞ」
「なぜ?」
画面を覗き込んでいるから距離はかなり近い。桐ヶ谷が身をよじって俺に顔を向けるのを感じながら、スマホの上で指を滑らせる。
「ほらここ。『席によっては水しぶきがかかる場合があります』ってあるだろ。タオルとか、カッパとかあるならまだしも、それじゃあな」
俺が指摘した『それ』はブラウスのことだった。下にキャミソールくらいは着てるだろうが、まず水を浴びたら透けるに違いない。桐ヶ谷も自らの服装を見直して苦笑する。
「そうね。残念だわ」
「まあ、次があればその時に考えよう」
「次があるの?」
幾分余裕のできてきた桐ヶ谷がクスリと笑う。
「ないのか?」
「……質問を質問で返すのは卑怯よ」
他愛ないやり取りは心地いい。それは桐ヶ谷が俺に合わせてくれているからだ。
脳裏にやおら紺野がちらつく。あのカップルも今頃どこかでデートを楽しんでいるのか。春の総体がもうすぐだから、彼氏の方は練習に忙しいかもな。
また蒸し返しそうになる思考に蓋をして端の方に追いやった。
「ところで水族館の後はどうする?」
「ちょっと時間が空いてしまうけれど、これを観ようと思っているの」
画面を切り替え、桐ヶ谷は水族館と同じ建物にあるプラネタリウムの関連記事を俺に見せた。去年だか一昨年だかに放映された、星に関するアニメ映画とのコラボがやっているらしく、その上映時刻が夕方に設定されている。
映画は話題になってたし、内容は知ってるものの見たことはない。
「面白そうだな。間は適当にぶらぶらしよう」
「そうね」
さすがは池袋。渋谷とかより劣るとは言われているものの、そうは思えないほどの密度で様々な店が立ち並んでいる。どこに行くかなんて話している間に、駅に到着していた。ダンジョンなんて呼ばれる構内を人の流れに沿って辿り、ビル群がそびえ立つ中に足を踏み出す。
それにしても人が多い。
「水族館はどっちに行ったらあるんだ?」
「えっと、あっちね」
桐ヶ谷はいくつか伸びる道の一つを指し示した。分かってはいたが、やはり繁華街に向かう道に加え、大型連休も相まってむせ返りそうな人の密度だ。
「行くか」
人を避けるため壁に寄っていた隅から抜け出す。その際スマホを操作していない、宙に浮いていた桐ヶ谷の手を取る。握手の変形版みたいな繋ぎ方の先で桐ヶ谷の手がびくつく。
「たさきく……」
「今日は名前で呼び合うんじゃないのか?」
「うっ……春人くん」
やっぱりすごい人混みだ。俺は桐ヶ谷の歩調に合わせ、腕の付け根までくっつくくらいに腕を絡める。二の腕に当たる柔らかな胸の感触については極力頭から追いやった。煩悩退散。心頭滅却。頭寒足熱。は違うか。
不満げに指を動かす桐ヶ谷に、俺は手を握る力をわずかに緩めた。するりと触れ合っていた肌が離れていく。
「嫌だったか」
「違うわよ。そうじゃなくてね」
今度は桐ヶ谷から絡まる手。指と指の間まで密着させる、恋人繋ぎと呼ばれるものだった。少し温度の低い細い指が手の甲を撫でる。
「こっちがいいわ。今日はいいでしょ?」
騒がしく忙しない流れの中、そんなしおらしい声がヒールの高さ分埋まった距離で響く。その表情は得意げだろうか。もしくは照れているのか。
俺はちょっと桐ヶ谷を直視できそうになかった。
「……そうだな」
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