第21話 そこに扉があるんだからさ
俺はそのお願いを、結論だけ言えば受けることにした。
窓の外はすっかり暗く、開けっ放しのカーテンのせいで適当な部屋着を着ている俺の全身が窓ガラスに反射している。眼鏡は重いからつけてない。日常生活にギリギリ差し障らない程度の近視だ。実際に中学でバスケをしていた時は外して部活をしていた。
「……案内、ねぇ」
受けた、と一口に言っても俺は絵描きの世界については林以上に無知だ。それは林も承知の上で、俺に求められているのはどちらかといえば、一緒に模索するような同行者のポジションに近い。
どの道に進んでいくのかは林自身が決める。俺がするのはその選択肢を増やすことと、選んだものが良いかどうか客観的な意見を言うだけ。
こんな協力関係に落ち着いたのは、お互いがお互いのことに手探りだからだろう。林が林の価値観で去年の俺を照らし合わせたように、俺は去年の俺に照らし合わせて林の価値観を補強していく。
そんな不思議な繋がりが俺と林の間に結ばれた。
俺はキッチンで作ったインスタントのコーヒーを片手に部屋の机に戻る。今は参考書とノートではなく、一台のデスクトップPCが起動していた。部屋と一緒に投げ与えられた、そこそこ高性能なマシンだ。
傍らにあったスマホのロック画面を見ると林からの返信が表示される。
『たくさんの人に見ていただきたいです』
それは数時間前、冬木の手伝いの昼休憩に送った『林は具体的にどうしたいんだ?』という問いに対するものだった。俺はラインを開き返信を打ち込む。
背中を反らすとメッシュの背もたれがきしりと鳴った。
『そっか。見てもらって、その先は?』
返信してきたのがついさっきだったから、まだ時間に余裕があるだろう。その予想は当たってすぐに既読が付けられる。その割には返しがゆっくりだ。
俺はスリープモードに移行していたノートパソコンを叩き、調べものの続きをする。
ウィンドウはいくつも開きっぱなし。明日が桐ヶ谷の決めたデートの日だから、一応予習というか、桐ケ谷が選びそうな店をピックアップしている。初デートは無難に水族館なもののそれ以外は知らされていなかった。桐ケ谷がリードするつもりのようでも、俺は俺でデートプランを考えていても悪くはない、はず。
およその行き帰りとかかりそうな金額の計算、桐ヶ谷の最寄りまで戻ってくる時間を考慮に入れる。去年の手伝いで貯めた金を少し崩しておいて正解だった。
念のためもう一度頭に入れなおしているとスマホが震える。
『分かりません』
その短い文が、林の内心を表しているように俺には思えた。
『そっか』
俺は明日のデートに関するウィンドウを全て閉じ、その下に埋もれていたものを全画面に表示する。昨日承諾してから「絵を不特定多数の人に向けて発信する」というのがどういうことか俺なりに調べていた。
『今時間ある?』
『あります』
『じゃあ通話していいか?』
ラインには通話機能がある。文字でやり取りをするのもいいけど、今は口で話した方が俺にとっても、林にとっても伝わりやすい気がした。
『はい』という了承と同時に着信が告げられる。
俺はスピーカーモードを起動して電話に出た。
『こ、こんばんは……』
「こんばんは。夜中に電話して悪いな」
『いっ、いえっ……まだ寝る前ですし』
ガサゴソと衣擦れの音といくらかくぐもった声。
時計の針は九時過ぎを指している。まだ寝る前、か。
「もしかしてもうそろそろ寝るとこだったか?」
またも布が擦れる。どうやらベッドの上らしい。
「当たりか」
『うぅ……田崎くんはいじわるです』
カマをかけられたことが不満だったようで、スマホ越しの林の声は拗ねた雰囲気を帯びていた。それがおかしくて喉から笑声が漏れる。
『普通笑いますか!?』
「いや、電話だとテンション高めだなぁと思ってな」
『……うっ』
人見知りだから、顔が合わない通話の方が巣が出るんだろう。俺がそんな風に考えてると林が思いがけない方向から言葉を投げてきた。
『だってわたしの趣味を知ってる人と電話するの……初めて、なんですから』
「……」
『田崎くん?』
「……あぁ、すまん。ちょっとぼーっとしてた」
なんだろうな、一瞬もやっとした。
俺は気遣わしげな林に正気を取り戻し、本来の話題に頭を切り替える。
「それで、描いた絵をどうするかなんだけど」
『はい』
「俺としてはそういう投稿サイトとか、SNSとかにまずはアップしてみるのがいいと思う」
調べてみて分かったのは、小説とか漫画、イラストが俺の想像する以上にネットの世界に転がっていたことだ。いくつもの発信手段や投稿先があって、有料無料ライブ配信グッズ販売などクリエイターとの繋がり方も様々。質や量も玉石混交で、すごい人は数枚の作品を世に出すだけで考えられないほどの反応をもらっている。
アカウントひとつ取得するだけで、自分の作品を世界に流せる場が広がっていた。
俺としては驚きだったが林の反応は芳しくない。
『インターネットに、ですか……』
「林はあまり見ないのか?」
『はい。どちらかと言えば画集とか、実物の方です』
「そんな気はしてた」
『ネットは……苦手です』
こんな素人ですらない俺が知ることができるほど身近にあるのに、林がしてないということはそういうことなんだろう。俺は背中を押すことにする。
手軽に発信できる手段があるんだから使わない手はない。
それに他ならぬ俺が、林の絵をたくさんの人に見てもらいたかった。
「アカウント作る時とか手伝うからさ、やってみようぜ」
『わたしにも……できるでしょうか……?』
「できる。俺が言うんだから、できるんだよ」
鼠はかつて夢を見たい猫に言った。
【やれることからやってみたらどうだい? ぼくをたべるのは、ぼくがかんがえたことをぜんぶやってからでもおそくはない】
今は不確定な未来を、物語になぞらえて肯定する。
スマホの向こう側で林の声が弾んだ。
『はい!』
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