第16話 いつかの心配ごとを今する

「そういえば、私まだ田崎くんから進路調査票を預かっていないわね」


 ここ一週間、ほぼ固定のように空き教室で弁当を食べている。桐ヶ谷の作った唐揚げに舌鼓を打っていた俺は、思い出して制服の内ポケットを探った。


「これでいいか?」

「確かに預かったわ。これで提出できるわね」

「……もしかして俺で最後だったか」

「もしかしなくても、そうね」


 思い返せばちょうど一週間。まさに今日が締め切りの日だ。


「それは……すまん」

「いいのよ。今の時期は何を書いたらいいのかで悩む人も多いでしょ」


 桐ヶ谷は俺の進路調査票を見るともなしに眺めて仕舞う。


「それにしても、三者面談に『ビデオ通話なら可』っていうのは時代よね」

「まあ、便利な世の中で助かるよ」


 紙をもらってから、両親に電話して日程を決めるのは中々骨が折れた。最終的に落ち着いた日取りだと、両親はイタリアのパナレア島というところからビデオ通話をするらしい。場所を調べてみると、かの有名なシチリア島の近くにある高級リゾート地だった。

 なんでも先の依頼人の別荘があるとかで。


「お仕事が忙しいのね」


 どこの世の中なら、バカンスの合間に息子の三者面談にビデオ通話で出席する、という親がいるんだろうか。石油王くらいしか思いつかないぞ。


「ああ……まあな」


 俺は愚痴りたくなった気持ちを抑えて言葉少なく返した。

 中学の時や小学校の授業参観の時も散々これで、その度信じてもらえなかった苦い思い出がある。桐ヶ谷が信じるかどうかじゃなくて、そもそも両親がぶっ飛んでるんだ。

 息子の俺は投げ与えられた1LDKで慎ましく暮らしてる。


「大学には行くのね。ご両親の仕事を継いだりしないの?」

「ん……」


 桐ヶ谷が差し出したミートボールを咀嚼し、俺はしばし黙考した。

 考えたことがないわけじゃない。子供の頃はアクション映画みたいな活躍に胸躍らせていたし、何度か連れて行ってもらった海外で有名な人に会う機会もあった。そんなことができる仕事はそうそうないだろう。過程が多少脚色され過ぎているとはいえ、世界を飛び回り人を笑顔にする両親には多少の尊敬の念もある。

 とはいえ、俺がなれるかどうかは別の話。


「いいか。人は鳥にはなれないんだ……」

「それはそうだけれど」


 具体的には幼少期に「なりたい」と言ってみたら、提示されたのはどこぞの諜報機関のエキスパートを育てるためのプログラムか、と悲鳴をあげたくなるようなキツいあれこれが待っていた。きっとあの数々は俺に夢を諦めさせるためのものだったに違いない。

 あれが本気だったら俺は両親を恐怖する。

 そう遠い目をしていると桐ヶ谷は引き気味に納得してくれた。両親のあれこれなんて対岸で見るくらいが丁度いいんだ。当事者になってはいけない。


「国公立って言ったって、どこの大学に行くかも決まってないけどな。学部も何があるか調べてないし」

「オープンキャンパスで決めたらどう?」

「そうだなあ。桐ヶ谷はもう決まってそうだな」


 茶化して流し目をすると、桐ヶ谷は得意げに微笑んだ。


「ええ。T大の法学部にしようと思っているの」

「T大か……ってあのT大?」


 東日本で一番の大学かと尋ねると肯定で返される。


「マジで?」

「伝統みたいなものよ。大学はT大に行けって」

「それはまた」


 家のしがらみみたいなものが背景にある気がして、なんとなく気の毒に思った。表立って口にしないのは、超絶放任の親を持つ俺が何を言っても、それはカケラも力のある言葉にならなそうだから。


「いいの。どうせなら高い環境で勉強した方が良いのよ」

「桐ヶ谷らしいな」


 その強さは純粋に眩しい。晴れやかに笑い飛ばす桐ヶ谷は俺の何十歩先を歩いているように思えた。

 俺も頑張れば、桐ヶ谷みたいになれるんだろうか。

 きっと桐ヶ谷はこの自問に頷いてくれる。ならわざわざ問う必要はないし、並びたいと願うなら一歩でも近づく努力をすればいい。ただそれだけのことだ。

 食べ終わった弁当を片付けて立ち上がる。


「じゃあ、俺は先に教室に戻るな」


 単語帳を開いて勉強しなければ、と浮き足立った俺をしかし桐ヶ谷は引き止めた。


「待って。なにか忘れてないかしら?」


 はてと俺は思い返す。別にこれといって変なことはなかったし、約束などを結んだ覚えもない。ますます首を傾げる俺の前で桐ヶ谷はニコリと笑う。


「実は進路調査票の締め切りって、今日のお昼前までなのよね」

「なっ」


 慌てて時刻を確認するまでもなくタイムオーバーだ。休み時間の間に言ってくれればとか言い訳がましい言葉が募るが、桐ヶ谷の笑顔がそれを許さない。

 そもそも俺が締め切り日前に提出すればよかったんだから。


「提出が遅れる原因となった田崎くんは、私のお願い事くらい聞いてくれるわよね?」

「……付き合えとかいうのはさすがに無しだぞ」

「そこまで鬼じゃないわ」


 両手を上げて降参のポーズを取ると、なにを勘違いしたのか桐ヶ谷は抱きついてくる。冬仕様の制服越しに柔らかい感触が当たった。


「これが願い事か?」

「まさか。田崎くんは本当に忘れん坊よね」


 俺の背中に腕を回し、肩に額を埋めながら桐ヶ谷はクスクスと笑う。俺はおろした手で指通りの良い髪をすいた。


「降参だからさっさと言ってくれ。見られたらどうする」


 昼休みの空き教室。抱き合う男女。どう考えても人目を忍んでいちゃついてるカップルにしか見えない。桐ヶ谷が顔を上げ、その涼やかな目と視線が合った。


「断らない?」

「断らないから離れてくれ」

「そう」


 やっとのことで桐ヶ谷が離れ、俺の側には残り香だけが漂う。


「田崎くん、ゴールデンウィークに私とデートしてくれる?」

「ああ。するか」


 二つ返事で了承した俺に満足したのか、桐ヶ谷は上機嫌な足取りで空き教室を出て行った。それを見送ってしばらく立ち尽くす。


「ゴールデンウィークか。忘れてたな……」


 俺は今更のように冬木からもらったシフト表を見直すのだった。

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