第9話 帰宅する
間延びした空気の中行われていた文化祭実行委員の役職決めが終わると、外はもう夕暮れを過ぎてすっかり夜の空気を纏っていた。俺は図書館へとは向かわず校門へと歩き出す。グラウンドでは打倒バスケ部を目指すサッカー部が部活に精を出していた。ゴールデンウィーク周辺に春の総体があるから運動部はどこも精力的だ。
それを少しばかり懐かしく思う。
外周から戻って、ダムダムと球を衝く音が響く体育館へ帰って行くバスケの新入部員の背中に懐かしさを覚えた。今は運動してないから怪しいが、あの頃が一番体力がなかったな、と振り返る。
「田崎くん!」
横手から声を掛けられたのはそんな時だった。
昇降口からこちらに小走りで駆けてくる桐ヶ谷の姿がある。
「そっちもさっき終わったのか?」
「ええ。学級委員は生徒会の下部組織みたいなものだから、話すことなんてほとんどないはずなのにね。あなたも?」
「暇すぎて単語帳を見てたよ」
冗談めかして言うと桐ヶ谷はクスリと笑った。
「勤勉ね」
まったくその通り、と鷹揚に頷いて帰宅の足を再び動かす。自然一緒の下校になるがこれといって特別感はない。それもそのはずで、学校近辺に住んでいなければ最寄りの駅から電車通学がほとんど。加えて冬木のマンションは駅から近い。優馬たちとも何度も一緒に帰ったことがある。
学生にとっては微妙な時間帯。代わりに駅から家路を急ぐ定時上がりの会社員たちと数多くすれ違った。単語帳繋がりで今度の英語の小テストがどうだとか、そんな話をする。その延長で桐ヶ谷がなんでもないことのように話を振った。
「そういえばさっきバスケ部の人たちを見てたわね。桐ヶ谷くんは何か部活には入っていないの?」
「ああ……」
実際その質問に深い意味はないんだろう。
いつもなら、例えば去年の今頃なんかは、遊ぶのにバイトに自炊に忙しいからと言い訳をして軽くいなしていた。若干一名には通じない手だったが黙ってくれたからそのはぐらかしは通用した。
それを桐ヶ谷にもするのは、義理というか人情に欠ける。
真っ直ぐに想いを告げられている身なら尚更。
「今は、な。中学の時はバスケを三年間やってたよ」
「……モテたんじゃないの?」
「ははは、全然」
確かにバスケ部と聞いたら、運動神経のある奴らが集まってワイワイやっている部活のイメージを多くもたれるのは確かだ。去年みたいな格好ならより注目を集めるだろう。
だが俺は高校デビュー。今のこの地味な姿がほぼ中学の頃と同じということを考えれば、モテたかどうかなんて火を見るより明らかだ。
「そう。高校でバスケ部に入らなかったってことは、部活は強くなかったの?」
「少なくとも優勝は一度もしたことがなかったな」
ひたすらバスケにのめり込んでいたあの頃は、見た目なんて思考の埒外だった。見た目で強さが変わるなら多少は考えただろうが汗だくになる競技だ。髪をセットしたって試合が終わる頃にはへにゃへにゃになっていただろう。
「そう」
「桐ヶ谷は……弓道部だったっけか」
なんと言ったものか、弓道だから道着でいいのか。ともかく桐ヶ谷は羽織袴がとてもよく似合いそうだ。俺の脳内イメージで弓を番えた桐ヶ谷は遠くの的を寸分の狂いもなく打ち抜いた。
「そうよ。敷地内に道場がないから、隣の高校のものを使わせてもらっているの。だから活動はまばらね」
「へー。知らなかった」
やけに広いグラウンドとか、体育館とか、図書館とかを狭めれば弓道場の一つくらい用意できたんじゃないかと思う。しかしそれは考えても栓のないことだ。
「興味ある?」
イントネーションの機微を読み取ってか、桐ヶ谷がそんなことを言う。正直弓道自体にはそこまでの興味を覚えない。眺めるだけなら簡単そうに見えるものほど、やるとなったら難しいのはどの競技でも共通することだろう。
道着を着て矢をまっすぐ飛ばす自分を上手く想像できなかった。
「弓道じゃなくて、桐ヶ谷の道着姿には興味あるな」
「……なんでそういうこと言うのよ」
「すごい似合いそうだし、絶対サマになるから一度見てみたい」
何も変なことを言ってないのに、それに対する桐ヶ谷のレスポンスは皆無。不思議に思って様子を伺うと耳を赤くしてそっぽを向いている桐ヶ谷がいた。
「……そ、そう……考えておくわ」
「……おう」
なんとなく言葉を継げないまま歩いて、駅のロータリーに出る。バス停とコンビニが一軒、あとは居酒屋などが入った雑居ビルとマンションが並び立つ、ごくごくありふれた駅前だ。
「ここまででいいわ。じゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
すっかりいつも通りに戻った桐ヶ谷は黒髪を揺らして改札を抜けていく。それが完全に見えなくなってから俺は脇道十数メートルの帰路を進んだ。
「……」
あんな風に照れるんだな、なんて考えながら。
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