第49話 墓石の陰に~木下俊道の落慶法要


 道応寺は創建600年以上と伝えられ、N市でも古刹の部類に入る。最初の住職が室町時代ごろの人ということになるが、寺には実際、そのぐらいの年代の物とみられる過去帳も残されており、あながち誇張とばかり言えない。立派な瓦ぶきの屋根は戦後、地域の寄進によって建て直されたのだと聞いた。漁師町だけあって海で亡くなる檀信徒が多く、死というものが身近だからこそ、近在の崇敬を集めてきた。


 「線香臭い」「お前の頭も木魚だ」などと子どものころは馬鹿にされ、木下は寺の子であることが嫌になった時期もあったが、大きな瓦屋根が辺り一帯のランドマーク的存在になっていることは誇らしかった。


 その大屋根が見当たらない。屋根どころか柱も壁も、あるべき場所から消失していた。堂宇の前にはそれこそたくさんの墓石が林立していたが、それらも外柵ごと流されてしまっていた。大屋根が張り出した本堂と庫裏、墓石がすべてなくなり、爆撃でも受けたかのように漁船や漁業用の浮き、どこかの住宅のがれき、水没した車がヘドロやワカメがへばりついた状態で散乱していた。


 木下と妻の真智子が道応寺を――、正確には道応寺があったはずの場所を訪れたのは3月12日午前。避難所の小学校から木下のムーブに乗ってやって来た。いつもならば郵便局の角を曲がって、雑貨店の脇を入ってと目印があったが、それらも皆、流失した。代わりにがれきが道をふさいでいたり、漁船がコンクリート造の建物の2階に突き刺さっていたりし、方向感覚を失いながら何とかたどり着いた。


 「こごだよな、寺」。木下が真智子を振り返る。真智子も驚愕した様子で、口元に手を当てたまま言葉が出ないようだった。


 創建年代によって違いはあるようだが、寺の建物はたいてい、束石の上に柱組が乗っかっただけの構造をしている。いきおい、津波の影響を受けやすかったのだろう。ほとんど何も残されていなかった。墓石も同様で、重量はあるものの、土台に載せてあるだけなので、やはり波に持っていかれたようだった。


 道応寺の脇、正確には寺と漁港の間には、藩制時代に掘削された堀が通っていた。寺の敷地はその堀に向かって一度高くなる築山があり、その手前に多くのがれきがたまっていた。がれきの下には墓石なのだろう、人工的に切り出された黒御影石がいくつも横倒しになっていた。津波に押し流されるうち、そこにたまったのだろうと想像された。


 何か見知った物はないかと、木下が築山の方へと足を向けると、手前にあったはずの池も、津波が運んできたとみられる土砂やがれきで埋まってしまっていることが分かった。真智子の話では、一人息子の俊大が最後に目撃されたのはこの池だ。まだ冬眠しているであろうザリガニをつついていたという。では、俊大はどこに――。胸が苦しくなり、木下は右手で胸を押さえた。


 木下はそのまま、さらに歩みを進めた。築山のふもとには、まるで津波がふるいにでも掛けたかのように、重い墓石が下に、がれきなどの軽い木組みが上の方にたまっていた。近在にある寺は道応寺だけだ。となれば、墓石は道応寺の敷地から流されたことになる。墓石は池を取り囲むように並んでいた。


 木下は突如、がれきの山へと走りだし、墓石の上に乗った物をどけ始めた。元が住宅建材だから、ところどころ釘が飛び出している。満足な装備もなしに、避難所から駆け付けたまま取りかかったものだから、木下の両腕はすぐに血だらけになった。委細構わず、上にある物から順に回りに投げ捨てていく。3月とはいえ、次第に汗が噴き出してくる。そのうち、俊大がこの下にいるのは確実なような気がしてきて、しまいには大声で叫んでいた。


 「俊大! いるなら返事しろ! 俊大! どこだ!」


 そのまま1時間以上、がれきと格闘した。禿頭に汗が浮き出し、滝のように流れる。汗が目に入る。腕に付いた傷にも汗がしたたり、染みる。それでも、我が子がいると思えば、何物でもなかった。だんだんと軽いがれきは減ってきて、墓石がよく見えるようになってきた。もう少しだ。いるはずだ。まだ1日だ。大丈夫。きっと、そのうち「お父さん」という声が聞ける。「大友家代々の墓」と彫られた墓石が見えたところで、その願いは虚しく打ち砕かれた。


 幼い子どもの細い脚が見えた。俊大のお気に入りだった「トッキュウジャー」の靴を履いていた。


(続)


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