第33話 折り重なる二人~氏家悠吾の奉職
コンクリート製の基礎とカーポートの柱の残骸。氏家の自宅には、それしか残されていなかった。自宅「跡」と言ってよかった。
氏家宅だけではない。同級生の吉井の家も、ほかのご近所さんのところも、住宅と呼べる建物は根こそぎなくなっていた。鉄筋コンクリート造の漁協事務棟だけが、かろうじて原型を留めていた。もっとも、あの漁船が2階部分に突き刺さったままで、地上から見上げる位置に船底があるという、何とも不思議な光景が広がっていた。
「戦争でもあったみてえ。戦争、知らねんだけど」。高台から一緒に降りてきた吉井が軽口をたたく。普通、こういった場面でのおふざけは眉を顰められるものだが、吉井の表現が最も適切に思えた。何もかもが変わってしまっていて、本当にここが生まれ育った場所なのかと思った。
「兄ちゃん、父ちゃんと母ちゃんだ」と、伴ってきた弟が袖を引く。見ると、父母がそれぞれ、町道を自分の車でやって来るところだった。辺り一面、何もないので自宅の場所が分からなくなってしまったようだ。手を振り、合図をした。
「悠吾、無事だったが! いがった!」
父が開口一番、兄弟の身を案じたので、ああ、これはやはり現実なのだ、と強く思い知らされた。目覚めたら卒業式の日の朝だったーー。そんな夢オチを期待する自分がいた。人間、途方もない事態に巻き込まれると思考が停止し、脳が巻き戻しスイッチを押すのかもしれなかった。
聞くと、両親とも氏家の卒業式を終えてS市の会社に戻ったところで被災し、そのまま会社に足止めされていたという。比較的被害が軽微だったS市中心部は携帯電話がつながったようで、両親は互いに連絡がついたが、海沿いのS町には全くと言っていいほど連絡がつかなかったそうだ。
当然だ。家が、ないのだから。まだ小中学生の氏家兄弟は携帯を持っていなかったし、「オラだづは携帯、『不携帯』だがんな」が持ちネタの祖父母は本人たちの行方さえ分からない。
「なに、じいちゃんとばあちゃん、どごさいんだが分がんねのが?」。父が氏家の肩を揺する。氏家は、漁船を持ち上げて事務棟に突っ込ませるほどの津波が襲ってきて家も呑み込まれたこと、その後は中学の教室に弟と一晩泊まったこと、夜が明けると家がなくなっていたことを伝えた。
避難所に、惣一とカツは来ていなかったことも。
父はしばらくの間、うつむいて何事か考えていた。氏家の肩を両手で掴んだままだったので、「父ちゃん?」と呼び掛けたが、反応はなかった。そのまま、3分ほどだろうか、身じろぎもしなかったが、意を決したように顔を上げ、涙目で家族に告げた。
「安置所さ行ってみっぺ」
吉井とはそこで分かれ、父の車に母と弟、氏家の4人が乗って安置所に向かった。母の車は自宅まで来る途中、がれきの中に含まれていた釘でも踏み抜いたのか、パンクしてしまっていた。
高台の一角にある町営ホールが仮設の安置所になっていた。普段、催し物が開かれる会館は警察や消防、自衛隊の車両がひっきりなしに出入りし、物々しい雰囲気に包まれていた。泥まみれの彼らは黒いバッグを次々と運び込んでいく。明らかに人型をしていて、何が入っているかは一目瞭然だった。
後に分かったことだが、震災の発生間もないこの頃は、まだ遺体の身元はもちろん、照合する帳簿も何もなかった。係員に人相風体や居住地を告げ、探してもらうくらいしか方法がなかった。それでだろうか、この日は惣一とカツを見つけることはできず、4人で避難所となっていた中学校に身を寄せた。
「じいちゃんとばあちゃん、どこかにいるってことだよね?」。まだまだ幼い弟が、希望的観測を口にする。「そうだな。そうに決まってる」と氏家。母は同調してくれたが、父は何も語らなかった。
自宅は二階から釣り糸を垂れることができるほど、海の目の前だ。すぐそばを町道が通っているとはいえ、祖父母はかなり前に車を手放していた。バスは1時間に1本走っているが、地震の後に運行していたかは甚だ疑問だ。自転車に乗ることはあったが、1台しかない。2人を取り巻く環境が分かっているだけに、厳しい事態に直面していることは否めなかった。
そのまま6日が過ぎた。父と母は毎日のように安置所に通っていたが、祖父母は見つからなかった。むろん、どこの避難所にもいない。この頃には、行方不明は死と同義になりつつあった。諦めが氏家たちを支配していたが、口にはしない。どこかで、やはり生きていてほしいと強く願っていた。
1週間目の3月18日、二人は遺体となって発見された。自宅から30メートルと離れていない場所で、津波に流されてきた車の下にいるのを、救助活動に当たっていた警察官が見つけてくれた。
猛烈な勢いの濁流に巻き込まれただろうに、惣一が右手でカツの右わきの下に手を入れる形で、二人は折り重なるようにして一緒に倒れていた。戦中派にしては珍しく、二人が恋愛結婚だったことを思い出し、氏家は右腕で顔を覆った。嗚咽が止まらなかった。
(続)
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