第22話 刺激と危険の相関関係~江藤美智子の遍路道
江藤政彦は自宅の隣にある木工所で、とあるプレート作りに精を出していた。妻の美智子は一昨日から、5度目のお遍路に出掛けている。今回の作業内容は美智子には内緒だ。クリスマス商戦に備えて積み木細工を量産する必要がある、と説明してある。
下地作りの一環で板にかんなを掛けながら、政彦は10年ほど前の長男孝則の行動に思いを馳せていた。「どうして警察官になど志願したのだろう」。大卒後の就職口を蹴ってまで木工所を継いでくれたというのに、知育玩具の受注もあいつが決めたというのに、なぜ――。思いはいつも堂々巡りだ。
予兆はあった。孝則が木工職人になって3、4年した頃だろうか。田舎町では数少ない根付きの青年ということで、消防団に勧誘され、のめり込み始めた頃のことだ。
消防団活動と言っても、内容はさして厳しいものではない。60歳を過ぎて引退したものの、政彦自身、若い頃は同じように活動していた。月に1回程度、分団に配備されたポンプ車の手入れがてら地域を回る。後は年に2回ほどある演習に参加するくらいで、広範囲を受け持つ訳でもないから火事などによる出動もそうそうない。
ただ、飲み会は多かった。消防団員にはおおむね、農林漁業者や自営業者などの地元出身者が就く。いきおい、子ども時分からの人間関係を引きずるもので、K市のような地方の小都市ならばなおさらだった。週に何度も、「会合」と称して誰彼の家で酒杯をあおる。気の利いた飲食店どころか、嫁の来てもない田舎のこと、青年たちは各々の自宅に集まっては飲んで憂さ晴らしをした。
木工に飽いたという訳ではないようだったが、東京暮らしを経験した孝則にとって、地元はあまりにも刺激に乏しかったのだろう。会合ではよく、「演習は興奮する。何て言うか、こう、ガーッと血がたぎる。出動はなおさらだ」と語っていたそうだ。
火に油を注ぐ存在も身近にいた。政彦の弟、良彦だ。高校を出てすぐ県警に奉職し、不法投棄事件や少年犯罪、薬物捜査などを担ってきた。酔うと1990年代に社会を震撼させた少年事件などを挙げ、やりがいを語って聞かせる悪癖もあったものだから、感化されたのかもしれない。
「父ちゃん、ごめん。やっぱり俺、警察官になりたい」。地元に戻ってから8年ほどした頃、孝則からそう告げられ、心のどこかで納得した覚えはある。
とにもかくにも、孝則は2009年、巡査を拝命する。採用に当たっては徹底した思想・身元調査が成されると聞いたことがあったが、伯父が県警本部の課長級の警視だとあって、ほぼスルーパスだったようだ。K市の北、I市にあるI警察署に配属された。
あまり前例のないことだそうだが、1年後には良彦が署長として赴任する。一族が近隣に顔をそろえ、孝則に男の子が生まれたこともあって、皆がめでたい、めでたいと言っていた。
一人、政彦ばかりは手放しでは喜べなかった。
「刺激」なるものを求めて転職した孝則。若く健康な男子ならばその思考に不思議はないし、木工に未来があるとは言えない現状もある。とはいえ、刺激とはそもそも、危険と隣り合わせということでもある。消防団時代、消火活動中に現場近くの用水路に転落し、脚が不自由になった仲間がいるだけに、「警察官としてのやりがい」とやらが孝則の身を危うくはさせないか懸念した。
漠たる不安は最悪の形で的中する。
11年3月11日。孝則が大地震後、津波からの避難誘導に出掛けたまま消息を絶ったと、良彦が知らせてよこした。
(続)
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