第21話 同行三人~江藤美智子の遍路道
江藤美智子は額からしたたる汗を手ぬぐいで拭きながら、空を見上げた。四国の空は快晴といっていい。何となく東北の空の色とは違うと感じる。抜けるような青とでも言おうか、ここは南国なのだと感じる時がある。10月に入ったというのに真夏のような暑さで、もう秋風が吹く地元とは大いに異なる。
美智子が歩いているのは高知県の遍路道だ。これで5度目となる「区切り打ち」で、1番札所から「順打ち」を続けてきた。前回までは夫の政彦も一緒だったが、家業の木工所がクリスマス商戦を控えて繁忙期に入ってきたとかで、今回は一人での巡礼旅となった。
「まあ、『同行二人』て言うしね。本当は孝則を入れて三人て思いたいけれど、さすがにお大師さまと同列にしちゃ失礼よね」。菅笠に白衣、金剛杖のお遍路スタイルに身を包んだ美智子は独りごち、寂しさを紛らわせつつ歩いた。
美智子は1949年、東北の小都市、K市に生まれた。県庁所在地のS市の南約40キロに位置する「田園都市」だという。市役所は都市だなんて格好付けるが、何のことはない、誘致企業以外は田んぼと畑ばかりの田舎町だと美智子は思っている。
同い年の政彦と出会ったのは高校時代だ。小中と別の学校に通ったが、市内に高校は一つしかなく、15歳で席を並べた。顔は特に好みではなかったが、柔道部らしい無骨な指が器用に鉛筆を削り出すギャップに好感を抱き、次第に惹かれていった。木工所の跡取り息子だと聞き、なるほどと思ったものだ。
卒業と同時に木工職人となった政彦と所帯を持ったのは74年。3年後に孝則が生まれた。当時は輸入材が次第に幅を利かせはじめ、木工所はどこも経営が苦しくなりつつあったが、実直に仕事をこなす政彦と孝則との3人暮らしは、ささやかながらも幸せな日々だった。
孝則は政彦に似て、子どもの頃から手先が器用だった。自宅に隣接する木工所が遊び場だったこともあり、就学前から小刀をおもちゃ代わりに人形などを彫っていた。本人は「宇宙刑事ギャバン」と言っていたが、戦隊モノに疎い美智子にはさっぱりで、後に孝則と一緒にテレビを見て出来栄えに驚いた。
勉強の方ははかばかしくなかったが、三角関数に出くわして勉学の道から早々に撤退した政彦と美智子は、遺伝だろうと諦めた。その代わり、体育の成績は抜群で、180センチ台の長身を生かして球技も格闘技もそつなくこなし、推薦で東京の体育大学に進んだ。
「俺、家、継ごうと思うんだわ」。大学3年のある日、帰省した孝則はやにわにそう切り出した。住宅産業は今や輸入材一辺倒で、国産材で建具などをこしらえてきた家業は見る影もない。政彦の代で屋号を下ろそうと考えていただけに、うれしかった。警備会社への就職の口もあったそうだが、「父ちゃんと母ちゃん、放っとがんねべ」と言ってくれた。
大学で知り合ったという千葉出身の娘さんを連れ、K市に戻ってきた孝則。住宅建材だけではおぼつかないと、おもちゃ関係の仕事も積極的に受注した。主に乳幼児の知育玩具に力を入れ、角のない積み木などを熱心に生産していた。地元に根付いた数少ない青年として消防団活動にも加わり、家業はぼちぼちながらも、まずは順風な暮らしぶりだった。
家族を愛し、地域に愛された青年がわずか10年後に突然、遺体で発見されるとは、美智子はもちろん、誰もが想像しなかった。
(続)
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