満月の夜

桐生 初

第1話





ー満月の夜、人は狂気に陥るというー






梅雨時の日もとっぷりと暮れた午後7時、踏み切りに飛び込んだ中年男性が、電車に轢かれた。

その惨状は推して知るべし。

肉や血が飛び散り、中年男性の原型はどこにも無い。

それを1人の少年がじっと見つめていた。

その目はキラキラと輝き、喜びに満ち溢れ、少年だけを見たら、感動的で美しい風景でも見ているかのようだった。

少年は恍惚とさえして、目を背ける事も無く、バラバラの遺体を見つめていた。





夏目達也は、大学を卒業した後、警察学校に入り、交番勤務をしていた。

夏目が勤務しているのは、品川区内の中学校のすぐ側にある交番だ。

毎朝通学していく中学生に、おはようとドスの効いたダミ声で声をかける。

大抵は、若干怯えた様に、挨拶を返して行く。

夏目の迫力のある声のせいもあるかもしれない。

尤も、姿形も決して優しげでは無い。

176センチの長身。短い髪に、胴縁の眼鏡をかけ、その目は警察官というより、ヤクザと言った方がしっくり来る程キツイ。

そして、剣道で鍛えた物差しでも入っているかの様ないい姿勢で、交番の前にビシッと立ち、微動だにしないのだから、威圧感は相当なものかもしれない。

それでも、何人かの子は、笑顔で返してくれる。

だが、たった1人、あからさまに馬鹿にした様な顔で夏目を見て、薄笑いを浮かべ、無視して行く少年が居た。

今朝も、いつも通りおはようと声をかける夏目を馬鹿にしたような目で見上げ、薄笑いを浮かべて、通り過ぎて行った。

少年は割と可愛い顔をしていたが、あれじゃ性格は最悪だろうと思っていると、先輩警察官が苦笑しながら声をかけた。


「あの子は、昔からそうなんだよ。家がガス爆発事故起こして、家族全員に死なれて、天涯孤独になっちゃって、叔母さんて人と住んでんだ。可哀想だと思って、こっちは声かけたり、困った事は無いかって聞いたりしたけど、ああいう感じ。『警察みたいな無能なところに助けて貰う程困ってません。』て言われた事もあるぜ。」


「ー無能呼ばわりですか。その事故で、警察が恨みをかったとかでは無いんですよね?」


「うーん…。初め、風呂の改修を担当した業者のミスじゃないかって話もあったんだ。改修工事の翌日で、爆発の原因は、風呂場のガス漏れだったから。だから、警察と消防も動いてさ。ガス漏れの原因は、風呂場のガス管のネジが緩んでて、風呂場全体にガスが漏れてたんだろうって結論。でも、業者の方は、大事な所だから、何回も確認して閉じたって言い張ってさ。結局示談になって、結構な額があの子に入った筈ではある。」


「改修工事業者に、罪を償って欲しかったんでしょうか。」


「そうなのかなあ。でもさ、敢えて原因を言うなら、あの子のお父さん、何故か風呂入りながらタバコ吸うらしいんだな。それさえ無ければ、ガス臭いって気が付いて、事無きを得る話だったみたいだよ。」


夏目も相当なヘビースモーカーだが、風呂場ではタバコは吸わない。

変わった癖だが、それが家族の命を奪ってしまった様だ。

しかし、それで警察に恨みを持ったのだとしたら、普通は睨みつけたりするものではないだろうか。

そういう事はせず、あの馬鹿にした様な目はなんなのか。

それに、その感じ悪さを差っ引いても、彼は何かとんでもない事を裏でやっていそうな気がした。

性格が悪そうどころではない。

ー邪悪ー

その言葉が一番相応しい目をしていると、夏目は感じていた。

年相応の子が見るものと違うものを見ているような。

そんな気がしていた。



その日の夜、夏目は夜勤で交番に詰めていた。

自転車で見回りをしている最中の無線で、自殺事件発生との報を受け、管轄内のマンションに向かった。

中学生の女の子が自宅マンションの屋上から飛び降り自殺を図ったという。

救急車はもう手配済みらしい。

顔見知りの中学生でない事を祈りながら、現場に着いた。

自転車を停め、走り出すと、マンションの植え込みで、少年が立っているのが見えた気がした。

夏目の近眼の目ではっきり見えた時、立っているように見えた少年は、血だらけになりながら、人工呼吸をしていた。


「もう死ぬってメールが来て、ここへ来たら、美咲が落ちてたんです!」


少年はあの少年だった。

夏目を馬鹿にした目で見て笑う、あの少年だ。

夏目は、美咲と呼ばれた少女の首筋に手を当て、脈を測った。

もう脈は無かった。

このマンションは10階建てだ。

その屋上から飛び降りたら、即死だろう。

しかし、夏目には何かが引っかかった。


ー屋上から飛び降りたという情報だったな…。

この子は、来たら落ちてたって今言った…。

屋上から飛び降りたっていうのは、誰が通報したんだ…。


現場には、この少年しかいない。


「君が通報したのか。」


「そうです!」


夏目は心臓マッサージを手伝いながら聞いた。


「君は今、来た時には、彼女が落ちていたと言ったな。屋上から落ちたって、どうして分かったんだ。」


ほんの一瞬だけだが、少年の表情が固まった。


「書いて…あったんですよ。メールに…。」


「そのメール、見せて貰いたい。」


冷静に言う夏目の目を見据える様にして、少年は感情の無い目で答えた。


「お巡りさん、僕を疑ってるんですか。」


「そうじゃない。証拠として確認したいだけだ。」


少年は何故かしばらく黙り込んだ。

そして、冷たく、感情の無い目のまま言った。


「ー後でいいですか。携帯に血が付いちゃうんで。」


少年の答えは奇妙で不自然だった。

血だらけになるのも構わず、友達を助けようと取り乱している先ほどまでの少年と、同一人物には思えなかった。


ーこの少年は、彼女の死になんらかの形で関わっているのではないかー


夏目が少年に疑惑を抱いた瞬間だった。



救急車と所轄刑事が現れ、立場上、夏目は事後処理に回るしかない。

少年は所轄刑事が現れると、再び、取り乱し、心配しきった友人になり、事情聴取を受け、パトカーで送られて行った。

パトカーに乗る直前、夏目を見て、いつもの馬鹿にした笑顔をした。

それは勝利の笑顔にも見えた。


ーもしかしたら、刑事は携帯を見せろと言わなかったのかもしれない…ー


そう思った夏目は、翌日の夜勤明けに、昨日の担当刑事の所に寄ってから帰る事にした。


刑事はあっけらかんと言った。


「携帯見せろなんて言ってないよ。遺書が側に落ちてたって、あの男の子、えー、福井悠斗君が渡してくれたんでね。」


「あの少年が落ちていたと言って、渡したんですか。そんな物は自分が到着した時には落ちていませんでしたが。」


「君が来る前に拾って、渡し忘れてただけだろ。もうどう見ても即死なのに、あんな頑張って、血だらけになって人工呼吸してるんだもん。嘘つく筈ないし、なんの為にそんな嘘つくんだよ。」


確かに、夏目の感覚的なものであって、少年が少女を殺した確たる証拠は何も無い。


「では、少女の携帯などには、その福井悠斗へのメールの送信履歴はあったんですか。」


「携帯は粉々だったよ。一緒に落ちたんだろう。本人のパソコンも無いし、通信機器は携帯のみ。

大体、なんでそんな事確認する必要がある。福井悠斗君は、成績もトップ。先生の信頼も厚い。それに、あの救助活動。彼の行動にどんな不審点があって、何を疑ってるわけ?

夏目君て言ったっけ?一体何が言いたいわけ?君さ、国家公務員試験受けたキャリアだろ。交番勤務なんか適当に済ませて、警視庁行ったら、何にもしなくても、俺たちに威張り腐れる立場になるんじゃない。あんまり、所轄のやる事に口出したり、管轄外の事しない方がいいんじゃないの。出世に響くよ。」


夏目はムッとしたのを隠しもせずに、刑事に凄んだ。


「自分は出世の為に警察官をやっているわけではありません。交番勤務も、立派な警察官の仕事として誇りを持ってやらせて頂いております。どんな立場にあろうとも、手抜きの仕事なんかしたくないだけです。」


今度は刑事がムッとした。


「おい。誰が手抜きの仕事してるって言うんだよ。遺書も原田美咲の自筆で間違い無いんだ。自殺なんだよ!自殺!グダグダ訳の分かんねえ事言ってないで、さっさと帰れ!」




翌日の朝も、夏目は交番の前に立っていた。

おはようと声をかけると、いつもは笑顔で返してくれる少女が、暗い顔で夏目を見て、立ち止まった。

そして夏目は思い出した。

その少女といつも一緒に登校して、やはり笑顔でおはようございますと返してくれる少女が、一昨日自殺と断定された原田美咲である事に。


「ー残念だったな…。友達…。」


夏目も暗い顔で声をかけると、少女はコクっと頷いた。


「お巡りさんなんでしょう?美咲の所に駆け付けてくれたお巡りさんさんて…。」


「ああ…。」


「あの…、お巡りさん、私…。」


少女は深刻な顔で言いかけ、そして突然止まった。


少女の背後には、あの少年ー福井悠斗が立っていた。


「どうしたの?遠藤さん。今日は終業式だから、俺たちは仕事あるでしょ?早く行こうよ。」


「う、うん…。」


少女は夏目にぺこりと一礼し、足早に立ち去った。


福井悠斗は、夏目を見た後、俯いたが、笑っていた。


「何がおかしい。」


夏目は、不敵にニヤリと笑い返した。

雲泥の差の迫力に、福井悠斗は一歩後ろに、よろめくように後退した。


「俺は、後3ヶ月で自動的に刑事になるんだけどな。」


「………。」


福井悠斗の顔色は若干悪くなっている。


「俺はガキだからって甘い顔はしねえし、ガキだからまさかとも思わねえ。よく覚えとけ。」


福井悠斗は、怒った様な顔になると、走り去った。


ーあいつは間違い無く何かやってる…。


今のやり取りでその思いを強めた夏目は、勤務時間外に、福井悠斗周辺を調べ始めた。


福井悠斗の名前が出てこなくても、この管轄内は、不自然な程事件が多かった。

それに、管轄内と言っても、極めて限定的だった。

つまり、福井悠斗が通っている、品川区立森川中学校の関係者が、この3年の間に起きた事件、事故、自殺の被害者なのである。


1番初めは、一昨年の8月に起きた、少年失踪事件だ。

当時、森川中学一年生だった安田裕翔13歳が、自宅で1人で留守番している最中に失踪。

しかし、玄関には本人の靴が全て残っており、携帯電話や財布なども部屋に置いてある事から、誘拐の線も出たが、賊が押し入った形跡も無く、何の手掛かりも無いまま、2年が過ぎようとしていた。


2番目は、先輩刑事も言っていた、福井悠斗の自宅のガス爆発事故である。

安田裕翔が失踪した年の12月、悠斗が塾に行って留守の間に、ガスが漏れて充満している浴室内で、父親が喫煙の為、ライターの火を点けたところ、ガスに引火し、爆発。家は全焼し、父親、母親、弟の3人が死亡した。


福井悠斗は、当時中学一年生であったが、多額の保険金と示談金が入ったにも関わらず、他の場所に引っ越す事もせず、家族3人が死亡した土地を整地し、再び小さめの家を建て、父親の妹である叔母と住んでいる。


普通の神経では考えられない行為に、夏目はより疑惑を深めた。


ー家族まであいつが殺したんじゃないのか…。


でも、一体何故と考える。

答えは今の段階では出てこない。


3番目は、翌年の春、福井悠斗が中学二年生の時に、やはり森川中学校二年生の里村友弘が自殺している。

遺書は無かったが、この少年は、先に失踪した、安田裕翔の大変親しい友人でもあったので、友達の失踪のショックと淋しさからの自殺ではないかと、処理されている。

本人の自宅マンション屋上から飛び降りて即死。

不審な点は無く、目撃証言も無い。


4番目は、森川中学校の生徒ではないが、同じ学区内に住む中学二年生の男子生徒が2人同時に事故死している。

赤信号を無視し、横断歩道を斜めに走って横断中に、直進して来たトラックにはねられて即死だった。


ー中学二年にもなって、そんな危ねえ真似するか…?


しかも、2人揃ってである。

不自然極まりないが、じゃあどうやってと考えると、訳が分からなくなってくる。


5番目は、森川中学校の理科担当教師の踏み切り飛び込み自殺である。

これは管内ではないが、電車が止まってしまい、また現役教師の自殺という事で、ニュースにもなり、夏目も覚えていた。

先月の6月の事だ。

ここで、福井悠斗の名前が出てくる。

福井悠斗の証言では、自殺とされた室田教諭は、福井悠斗を誘い、自宅に帰ろうとしていたところ、原田美咲との交際を告白し始め、突如、


『俺は教師失格なんだ!。』


と叫び、止める間もなく、来た電車に飛び込んだという事になっている。

通報者も福井悠斗だった。

援助交際の真偽は明らかにされていないが、室田教諭の学校のデスクの引き出しから、原田美咲のあられもない姿の写真が出てきた事で、ほぼ断定され、警察関係者に知り合いの居た校長が、躍起になって揉み消したらしい。


ーそんなもん、学校の机に入れておくか?


夏目は違和感を感じずにはおれなかった。

仮に援助交際が事実だったとしても、そういった写真を公的な場所に保管するというのは考えにくい。

しかも、自宅から、原田美咲に関するものが出てきたという記述は無い。


ー学校なら、誰かがこそっと入れられるんじゃないのか…。


そして、その交際相手とされる原田美咲の自殺と続く。


一見疑問の余地は無いが、立て続けに自殺の現場に立ち合うというのは、そうある事では無い。


捜査の基本は、第一発見者を疑えだが、原田美咲の時の様な、夏目には演技にしか見えなかったあの必死さと、誠実さ、そして、遺書の存在で、福井悠斗の事は誰も疑っていない様だが、美咲から来たという自殺宣言のメールは、福井悠斗の証言だけで、誰も見ていないのだ。


パソコン上の警視庁の事件ファイルを前に唸っていると、同棲相手の美雨(みう)が夏目の肩に頬を載せて、画面を覗き込んだ。


「お仕事?困ってるの?」


本来なら、家族と雖も、事件に関して話すのは良くないとされているが、美雨は犯罪心理学を専攻し、現在も大学の院生をやっている。

ちょっと意見を聞いてみたくなり、普段の福井悠斗の様子や、今朝の様子、原田美咲の遺体発見現場での様子も交え、説明した。


「達也さん、サイコパスって知ってる?」


「いや、知らねえ。」


「簡単に言っちゃうと、人に同情するとか、思いやるとか、そういう他者へのあったかい心が一切無いの。平気で人殺しを楽しむような犯罪者は、大なり小なりその可能性があると言われてるの。」


「善悪の区別も付かない?」


「いや、悪い事だというのは分かってる。だから隠すし、救助行為や、捜索にも、積極的に加わるわ。サイコパスは大体において、知能が高いの。」


「それが福井?」


「様子を聞いてて、本当に彼が自殺にみせかけて殺したんだとしたら、そうかなってだけなんだけど…。ただ、一応、18歳以上にならないと、正式には、判定出来ない事にはなってるわ。でも、もう、出てもおかしくない年齢ではあるよね。」


「で、お前どう思う?」


「ー私は刑事さんじゃないから、分からない事は沢山あるけど、少なくとも、室田先生と原田美咲さんは、福井悠斗が犯人なんじゃないかなとは思う。2人は、なんらかの理由で、彼にとって邪魔だったんでしょうね。」


「中3で、殺したくなるほどに邪魔に感じるったあ何だ。」


「多分、大した事じゃないと思うよ。そんな事で?っていうのが理由な事が多いわ。要は殺したいの。そして、通報者になり、救助者になっていたという事は、恐らく、死ぬ現場を見たいのよ。室田先生は、電車に轢かれた。それって、凄いスプラッタな光景よね?普通の人間が目を背けるその光景を、彼はまた見たくなったのよ。だから、原田美咲さんを殺す時も、危険を顧みず、グシャっとなる所を見たんじゃないのかしら。達也さんが駆け付けたのは、誤算だったんでしょうね。室田先生の時みたいに、警察は演技で騙せると思ってたんだろうから。」


「はあ…。怪物だな…。しかし、ほっといたら、もっとやるだろ?その感じだと。」


「多分ね。」


「調べてえけど、交番勤務の巡査じゃ、身動き取れねえんだよな…。」


「これは、普通の警察じゃやってくれないんじゃない?自殺、事故で片付いてんだあ!でしょ?」


「そうなんだよな…。あ、待てよ…。」


夏目はふと思い出し、警視庁のホームページに移動して、ある記事を美雨に見せた。


それは、警視庁第五課設立のお知らせだった。

新設の第五課とは、猟奇犯罪や連続殺人事件などを専門に扱う、犯罪心理学の見地から捜査を進めて行くという課らしい。


「おお!いいじゃない、これ!ここの人なら話が通りやすいと思うよ!?」


「ちょっと相談に行ってみるか…。」


「あ、達也さん。その前に、動物虐待事件は、この界隈で無かった?大体は、本番の人間の前に、動物殺してるものなんだけど。」


そのセオリーは、警察でもやっと定着してきて、データベースにも載せるようになっている。


調べてみると、安田裕翔君失踪事件の一年前、森川小学校で飼っていた鶏が全羽毒物で死亡した事件があり、更にその二ヶ月後、民家で外飼いにされていた雑種の犬が農薬で殺害されていた。


「森川小学校は、福井悠斗の学区内だし、この犬が飼われてた住所…、福井悠斗の隣だ!」


「うーん、達也さん。ビンゴみたいね…。刑事さんになる前から、なかなかの強敵だけど、頑張って。」


「おう。」










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