第2話 おっさん
あのおっさんが自首してから、半年以上が過ぎた。
おっさんの事件はそこそこ大きく扱われ、なんかいろいろニュースにもなった。やれ障害者の異常行動だの、社会の闇だの、いろいろだ。
でもあたしはそのどれもがみんな、無責任な推測ばかりだと思った。だって実際にあのおっさんと会って話してるしな。おっさんが事件を起こしたのは事実だけど、おっさんの人格だのなんだのについてはニュースやワイドショーで言うようなものとは違うと思う。世間って割と無責任なんだなあって思った。まあ実際に会って話してないのに推測だけでものを言うんだから当たり前だ。
親父がそんなワイドショーやらを見ながら納得顔でおっさんの悪口を言ってたもんで、ちょっと小突いてやったりもした。顔面に青あざを作った親父は怒りの形相だったけど、結局何も言わずに引っ込んだ。前までさんざんあたしに文句や罵倒ばっかり言ってきたのに、ちょっと小突くようになったら急におとなしくなった。その程度で引っ込むくらいならそもそも他人の悪口なんて言わなきゃいいのに。もちろん殴るのは良くないことだ。でも、相手が殴り返さないってだけでいくらでも相手に罵倒をぶつける親父はやっぱり好きじゃなかった。そんでもって今の殴られるようになったから逃げるって親父の態度も気に入らない。やれやれってやつだ。
で、結局おっさん自身はどうなったかと言うと。実はあたしも詳しくは知らない。ニュースなんかを見る限りでは結構騒ぎになってたけど、そのうち違う話題が増えて段々消えていった。だから今、あたしはおっさんがどこでどうしてるのかはよく知らないんだ。
●
その日、あたしは学校帰りに街をぶらついていた。時間は午後の十二時半くらい。今日は火曜日だ。なんでそんな時間で学校帰りかと言うと、自主的に下校してきたからだ。いわゆるサボり。
学校はつまらなかった。授業はものによっては好きだし、勉強も実は嫌いじゃない。と思う。だけどその授業を教える先生が嫌いだ。特定の先生というよりは、先生という存在そのものが嫌いだ。みんなあたしを腫れ物扱いするし、そろって全員威圧的な態度をとる。授業だっておとなしく聞いてみれば興味を引く内容が、先生の下手糞な教え方で何一つ入ってこない。だから授業は嫌い。そして授業以外も今は面白くない。おっさんと会ったその日から、まわりの奴らが途端に薄っぺらく見えたんだ。今まではなんかちょっとカッコよく見えてた不良仲間とか、そういうやつらがみんな薄っぺらい。なぜだかそう見えた。
だからあたしは学校をさぼって、ただ行く当てもなくぶらぶらとしていたんだ。
「あーあ、どうしたもんかなあ……」
呟く。
どうしたもんか、とは言ったけれど。あたしがしたいことは実はわかっていた。あのおっさんとまた話してみたい。そう思ってた。それがなぜかはわからない。けど、あのおっさんは他の奴らと違う、思ったことをそのまま受け入れて返してくれる。そんな気がしていた。勝手にそう思っただけなんだけど。
そう思ってなんとなく駅前を歩いていた。駅の東口、比較的新しくできたでっかいデパートの前。なんとなくデパートへ向かっていたその時だ。
「あ、おっさんだ……」
目の前を、あの時と同じような黒い服を着たおっさんがデパートへ向かって歩いていくのが見えた。
●
「おっさん!」
あたしは急いでおっさんに追いつくと、声をかけた。だけど声をかけられたおっさんは特に振り向くわけでもなかった。あ? 無視かこのやろう。あたしはおっさんの袖をつかんで引き留める。
「おっさんってば!」
ここで初めておっさんはあたしを見た。顔に驚きが広がる。
「ああ、私のことか」
どうやらおっさん呼びしたのが通じなかったらしい。そういえばお互いに名前も知らなかった。
「で、何か用かな?」
おっさんの言葉に思う。こいつあたしの顔忘れてんな。
「あたし、ほら、あの時橋の上で話しただろ!」
言うとおっさんは少し考えてから答えた。
「ああ、あの時の!」
思い出したらしい。
「すまんね、人の顔を覚えるのが苦手でなあ。特に女性は服とか髪型も良く変わるし」
あたしは思った。さてはこのおっさん女にモテないな、と。
「おっさん、今暇?」
あたしは言う。とりあえずこのおっさんとまた、ゆっくり話をしてみたかったんだ。
●
おっさんを捕まえたあたしは二人でゆっくり話をするためにデパートの喫煙スペースにいた。
なんで喫煙スペースかと言うと、あたしもおっさんも余計な金がなかったからだ。そして平日のこの時間、喫煙スペースは人がほとんどいなくて話をするにはちょうど良かった。
「本当はいかんのだがね」
おっさんは言う。でもそう言うおっさんの顔は悪びれてない。
「ま、いいじゃん。あたしのガッコ制服ないし、年齢なんてわかんねえよ」
そう、あたしは今私服だ。うちの学校は制服がなくて、ついでに頭もそんなに良くないところだ。
「やれやれ、とんだ不良娘だ」
おっさんの言葉に一言だけ、うるせえと返して喫煙スペース備え付けの、これなんて言うんだ? ベンチやいすの代わりに作られたあのパイプだけのやつ。座りにくくてしょうがない、嫌味としか思えないあれだ。あれに寄り掛かる。
「で、おっさんあれからどうなってたのさ?」
率直に聞いた。
「ああ、最初はいろんなところをたらいまわしにされたんだが、最終的には実家に戻ったよ」
おっさんの話では最初は警察の施設とかをたらいまわしにされてたんだけど、おっさんの母親と主治医がおっさんの理解者で、がんばってくれたおかげで実家に戻れたんだそうだ。
「ふーん、よかったじゃん」
あたしは素直にそう言った。
「まあね。でも家族と主治医にはかなり迷惑をかけたよ」
おっさんはちょっと悲しそうな顔をした。
「でも、後悔はないんだろ?」
あたしの言葉に、おっさんはうなずく。
「まあね」
まあね。ただそれだけをおっさんは口にした。
おっさんがなんで自分の親父を殺したのか、興味がないわけじゃない。だけど、それは聞かないでおいた。
「それで、おっさん今何してんの?」
話題を変える。
「特に何も。強いて言えば家の手伝いかな。今も頼まれた買い物に来たところさ」
「家の手伝いとか、小学生のガキかよ」
あたしは笑う。おっさんも笑った。
「まあ、やることもないしね。外に出ることはいいことでもある」
そう言っておっさんは煙草を取り出した。煙草に火をつけるのを見て、あたしも煙草を取り出す。
「それは没収」
おっさんはあたしの煙草を取り上げた。
「あ、ちょっと!」
あたしの抗議の声をおっさんはやんわりと遮る。
「橋の上で言っただろ? 煙草は大人になってから。せめて人目は気にしなさいってね」
こいつ人の顔覚えてなかったくせに変なとこだけ覚えてやがんな。
仕方ないのであたしは足をぶらぶらと揺らして手持ち無沙汰なことをアピール。
「喫茶店でも入れればよかったんだがな」
確かにお茶でもコーヒーでも飲んでいれば違っただろう。
「あたし金持ってないし。おっさんも余計な金は無いんだろ?」
「まあね」
おっさんは肩をすくめる。世の中何でも金がかかる。だから金を持たない人間は外に出ても何かをすることはできない。そりゃ不良みたいな人間はそこらで座り込むしかないよな。まあ金稼げばいいんだけど、さ。
「おっさんはなんか仕事しないの?」
聞いてみた。
「んー」
おっさんはぼりぼりと頭を掻く。
「さすがにね、この条件で雇ってくれるところはないし」
おっさんの言葉が重い。そりゃ精神障害で前科者だ。雇うところはないだろう。
「それに障害のせいでね、仕事って奴とは相性が悪いのさ」
「ふーん」
あたしは何の気なしに言った。
「おっさんて障害があるようには見えねえけどなあ」
「はは、よく言われるよ」
おっさんは本当に言われ慣れてるように、自然と返してきた。
「障害ってのは厄介でね。普段まともに見えて、その実特定の場所や状況で急に何かがおかしくなるのさ」
あたしには実感がわかない。そんなものなんだろうか。
「まあわからなくて当然だ。他人の苦しみを理解するっていうのは不可能なんだから」
「そんなもん? うちのガッコだとよくセンセーとか他人の苦しみを理解しろとか言うけど」
あたしの言葉に、しかしおっさんは言う。
「立場上言ってるだけか、それを妄信してるだけさ。人にはそれぞれの痛みや苦しみがあって、それは自分にしかわからない。だから他人のことを理解しようなんておこがましいことさ」
言われて思う。まあ至極当然のことではあるよなと。だっておっさんの抱える障害の苦しみなんてあたしにはわからない。逆にあたしが日々感じてる鬱憤とかもおっさんには伝わらないだろう。そういうものなのだと思った。
「でもさ」
あたしは疑問に思った。
「他人を理解できないなら、どうやって他人と接触すればいいのかな?」
わからないものに接触していく。それはとても怖いことじゃないかと思う。
「そうだな、理解はできなくても、尊重することはできる」
「ソンチョウ?」
言っとくけどあたしは頭が悪い。難しい言葉とかわかんないぜ?
「尊重。簡単に言えば相手のことを大切にして、馬鹿にしないってことさ」
「んん?」
あたしにはもう少し、ちょっと意味が分からない。
「そうだなあ――」
おっさんは少し考える。
「例えば私と君、二人が話し合うとして、お互いを同等なものとしてみるということだ。私の苦しみは君にはわからない。逆に君の苦しみも私にはわからない。だから、自分も相手もその重さはとにかくお互いに苦しんでいるのは同じ、そう考えられる。そう考えれば相手を必要以上に敬うことも、馬鹿にすることもないだろう?」
おっさんの言葉。確かにそう言われればそう思える。あたしもおっさんもどっちも苦しみを持ってる。お互いそれがなにかは詳しくわからないけど、苦しみを持ってるということでは同じなんだ。
「相手と自分が対等だとわかれば、あとは失礼じゃなければ話は通じるってことさ」
なんとなく合点がいった。あたしが親父や母さんと話が通じないのは、あたしも向こうもお互いを対等だと思ってないからだ。親父はあからさまに私の事を馬鹿にしてるし、母さんは下に見ている。だから話が通じないんだ。相手側に話を聞くつもりが最初からないんだ。
で、そこであたしは思ったことを口にした。
「でもそれって、相手もそう思ってくれないと対等じゃなくない?」
そうだ。例えばあたしが親父や母さんに対して対等だと思っても、あっちがそう思ってくれないと話し合いはできないはずだ。
「その通り」
おっさんは言う。
「対等に思ってくれない相手とは話し合いの余地がない。向こうがそもそも話を聞こうとしないからね」
「じゃあ、結局無意味じゃん!」
そう、無意味だ。そんなんじゃ相手と話し合うとか、仲良くとか、ただの理想論じゃん!
「だけど、そういう考えやそういう心を持ってる人間とは話せるだろう?」
そういっておっさんはあたしと自分、交互に指さしてみる。何だよその唐突にキュートな顔としぐさは。
「じゃあさ、話が通じないやつとはどうしたいいのさ」
そのしぐさにちょっと笑いそうになって、つい強がるような口調になった。
「そういう人間からは距離を取るんだ」
おっさんは言い切った。
「周りの人間が言うようなみんなと仲良くとか、そういうのは無理だし無駄だ。自分にとって悪影響しかない相手からは距離を取る。逃げたっていい。とにかく近くにいることが害悪だから」
おっさんが言うからなんていうか、優しく真実味を帯びて聞こえるけど、実際言葉だけ見たら相当すごいこと言ってるなと思う。
「逃げる――。それでいのかなあ?」
あたしの言葉に、おっさんはいいのさと言った。
「無理やり話しの通じない人間と一緒にいても、お互いを傷つけあうだけだ。力ずくで言いなりにすれば、それは犯罪だし言いなりにされた方は傷を負うだけだ。離れてしまうのが一番いい解決方法なのさ」
「ふーん」
この時、あたしの中でちょっとしたプランが生まれた。実行してみてもいいかもしれないな、とだけ思う。
「さて、もっと話してもいたいが、買い物もしないとな」
煙草を仕舞いつつ、おっさんが言う。なんだかんだで結構話し込んでた。
「なあおっさん」
「ん?」
あたしは思い切って言った。
「その、また話したいからさ。連絡先、教えてくれよ。LINE交換しようぜ」
おっさんはちょっと迷ったように考えたが、すぐに頷いてくれた。
●
「なんだ? 話っていうのは」
家のリビングルーム。そこであたしは両親に自分の意志を伝えたくて、無理やり座らせた。親父はいらだっているのか足をゆすってせわしない。母さんは横を向いていて、こっちを見る気も無いようだった。
「あたし、ひとり暮らししようと思う」
あたしはあたしの考えたプランに向けて、一歩踏み出した。
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