第14話 怒濤の攻撃
採ったばかりの里芋の煮物は、自然の甘みで芋の味がしっかりと感じられる味付けだった。
美味しい、と漏らすたびに優しい顔がくしゃりとなり、おばあさんは嬉しそうに笑ってくれた。
今まで将来を共にしてくれる人ができるか不安だったと、みさきさんが食器を洗っている間に話してくれた。孫が誰かを好きになっても、気持ちを返してくれる人は難しいと。結婚もできない枠組みで生きている中、おばあさんの心配事は当然だ。ましてや男女が結婚をする世間が当たり前の時代に生まれた人だから。戸惑いもあっただろう。
孫を頼みますの言葉には、お任せ下さいと返しておいた。みさきさんが聞いたら卒倒するだろう。まだ付き合ってもないのに。とりあえず、回りから固めておく。
帰りは、みさきさんが送ってくれた。今は無風だが、風が強いと木々がざわめきそうだ。トラウマの絵本と同じ状況になりそうな気がする。みさきさんは平気だろうか。
「風が吹くと、森って人の声に聞こえませんか?」
「そうだね。昔はちょっと怖かったかも。でもそれより、熊や猪が出て農作物が無くなったりしないか不安だった。貴重な食料だし」
安全運転でゆっくりと走っていく。車は名残惜しいと言っていた。残り少ない時間を、最後にはしたくない。焦れば焦るほど、肝心な言葉は出てこなかった。みさきさんはのんびりしていて、何を考えているのか読めない。
「おばあちゃんの料理はどうだった? 味薄くなかった?」
「健康的だし、とても美味しかったです。野菜もたくさんもらってしまって、申し訳ない」
「高校生のコメントとは思えないね」
みさきさんにつられて、俺も笑う。ビニール袋にはいっぱいの野菜だ。
「ちょっと……公園に寄ってもいい?」
「ああ」
長くいられる嬉しさと、何を言われるんだろうという恐怖が交じる。
公園の駐車場に車を停め、みさきさんは室内灯をつけた。
「何から話そうかな……」
不安はつきまとうが、俺はみさきさんと同じ気持ちでいると確信がある。かと言って答えが同じになると、イコールではない。
「あの花、大事に持っててくれたんですね」
「花?」
「運動会で、俺があげたやつ」
ぽすんと、正義のパンチが届いた。机に飾っていたのを、俺は見逃さなかった。
「嬉しかったから」
「みさきさんが受け取ってくれて、俺も嬉しかった」
「借り物って、何を引いたの?」
「知りたい?」
「うん、知りたい」
「眼鏡」
「……それだけ?」
「ああ」
大きな目がこぼれ落ちそうだ。
「みさきさんに眼鏡を借りる手もあったけど。手を繋ぎたかった」
「そっ……そんな前から……」
理由をつけないと繋げなかったあのときとは違う。今は堂々と繋げる。こんな風に。
「なんか……気持ちを聞きたいけど、幸せで怖くなってきた」
「幸せなの?」
「嫌がられたらショックだったけど。繋がせてくれるし」
俺の心臓とは裏腹に、みさきさんは落ち着いた様子で口を開いた。
「いろいろね、考えてみた。今は生徒と教師って壁はなくなった。乗り越えなきゃいけないものは、性別と僕が無職だってこと。僕は男性としか恋愛ができないし、君は違う。女性と恋愛をして子供も設けて、そういうごく普通の人生を捨てることになる。だから……」
反論したいが、辛抱強く待った。
「だから……お友達として、お願いします」
「………………は?」
「あの……お友達として……」
「いやいや、無理だろ」
「でっでもさあ……」
「これだけ待たせて、それ?」
「だって僕、無職だし」
「俺だって無職だろ」
顔を近づけてみた。一瞬狼狽えたものの、顔を傾けてくれた。
肩に手を置く。息を止め、そっと唇を重ねた。数秒前のことなのに、緊張で感触を思い出せない。
「お友達と、キスするのか?」
「う…………」
「ほら、嫌がってないし」
「じゃあ、友達以上恋人未満で……」
「どれだけ頑固なんだよ」
「せ、せめて職を見つけるまでは待って。それか、雅人君が卒業するまで」
「じゃあこうしよう。俺が卒業するまでに先生はやりたいことを見つける。それで、正式に恋人になってくれ。今は友達以上でいい。キスさせてくれて、たまに会ってくれるなら」
みさきさんははにかみ、頷いた。そこまでさせてくれるなら恋人でも変わらない気がするが、きっと『無職』がキーワードになっていて、社会人として譲れないのだろう。先生の気持ちは分からないでもない。未成年にしか理解できない悩みだって、俺は抱えている。
もう一度だけ唇を合わせ、俺たちは別れた。いずれ父に挨拶をさせてほしいと言って。職がないことに後ろめたさがあるみたいで、今は行けないと声が小さくなっていた。
啖呵を切って家を出たものの、やりきった後は羞恥心が溜まっていく。玄関先で大型犬のようにうろうろした後、結局いつも通りにドアを開けた。
「ただいま」
「おう」
いつもと変わらない家の中だが、親父は何を伝えるべきか、考えあぐねている。
「先生に会えたのか?」
「会えた。元気そうだった」
「良かったな」
「明日からは、ちゃんと学校に行くから」
謝りそうになり、声を引っ込めた。正しい道を進んでいる。頭を下げる必要はない。なのに、なんでこんな気持ちになるのだろう。
「お前が出ている間にいろいろ考えたんだが……正直、言葉が出てこない」
「ああ、だろうな。覚悟はしてたから」
「俺の時代では、男と女が恋愛をするのは当たり前の時代だった。それ以外では、気の迷いか生きづらい道を進む人間だとレッテルを貼られた」
「親父の生きてきた道を否定するつもりもないよ。理解してくれたとも思ってない」
「そうか。でも応援はしてるぞ。子供の幸せは、親の幸せだからな」
まだ理解は難しいが、応援はしている。充分すぎるほどの愛情だ。
土産の野菜を渡すと、親父は喜んでくれた。
部屋で端末を見てみると、みさきさんからメールが届いていた。
──ちゃんと勉強をするように。
好きでも愛してるでもない、ある意味まっすぐに突き刺さる。心得た。自慢できるほどの点数を取り、先生に褒めてもらおう。だがわざと点数を落とし、めっ、と怒られるのもいい。どっちも捨てがたい。
クリスマスも冬休みも俺にはない。受験はもう目前だ。休みを返上して机に向かっていると、電話が入った。一か月以上、メールすらしていなかった相手だ。
「もしもし」
『こんにちは。電話できる?』
「もちろん」
ああでもない、こうでもないと、なかなか話題に移らない。俺から話題を振ることにした。
「みさきさんは何してた?」
『雅人君のこと考えてた』
話題は尽きた。提供した材料が高級料理にしてもらった気分だ。
『あの……元旦とか、外に出られないかな?』
「出られるよ」
『本当に? 受験生になるのに駄目な大人かな……』
「さすがにずっと勉強してるわけじゃないし。どこかに行きたいの?」
『うん……行きたいって言うより、会いたい』
「お、おう……俺も」
屈折のない、みさきさんからの愛情は貴重すぎる。みさきさんはまっすぐで素直な心を持っているのに、愛情の示す先にカーブをかけてくる。俺としてはストレートで構わないのに、こればかりはどうしようもない。
「駅の駐車場で待ち合わせにします?」
『うん、それで』
気の利かない言葉も出せないまま、俺は電話を切った。
そんなやりとりをして迎えた元旦は、寒波に襲撃されたような午後となった。口に出したところで暑くなるわけでもないのに、つい独り言で寒いと口走ってしまう。
先生の車を見つけて、俺は手を上げた。
「あけましておめでとう」
「今年もよろしくお願いします」
よろしくに、はにかんでくれた。それは、よろしくしたいと取ってもいいのだろうか。運転席にいるみさきさんの手を握ると、暖かくてずっと握っていたくなる。
「今日は寒いね。どこか行きたい場所はある?」
「特に。みさきさんに会いたかっただけだから」
「じゃあ、プラネタリウムカフェに行かない? 空港まで」
懇親の愛情表現をスルーされた。でも首元が赤かったので、よしとしよう。
「俺も車が欲しい。いつでもみさきさんとドライブできるのに」
「免許は取らないの?」
「受験が落ち着いたら取りたいとは話してる」
「学校はどう?」
「平穏に戻ってますよ。教師って辞めても辞めたって伝えられないんですね」
副担任が代わりに仕切っている状態だ。みさきさんは病気でしばらく休みだと伝えられている。
「戸惑ってなかった?」
「正直、戸惑いはありました。古賀は自主退学だとはっきり言われたんで、みさきさんと何かあったんじゃないかとか、いろいろ噂は立ちました。世良にも聞かれたけど、俺は知らないふりをしてます」
「……お父さんは?」
みさきさんからしたら、一番聞きたいのはそこかもしれない。
「親父は仕事で、正月は家にいないんですよ。薫子さんがおいでって言ってくれましたけど、親子水入らずで申し訳ないから断った。今日は親父にみさきさんと会うって伝えてます。みさきさんの家は?」
「おばあちゃんたちは元僕の家に戻ってるよ」
「元? 今でも実家だろ」
「あはは……そうだね。しばらく帰ってないけど」
肩まで伸びていた髪がすっきりしている。ちょっと男らしく見えなくもない。
髪型のせいか、ちょっと表情も明るい。
「実は、やりたいことが見つかったんだ」
「職がってこと?」
「うん。なんだと思う?」
「んー…………」
先生の好きなものをあげてみる。芋、ハムスター、星、甘いもの。改めていくつか思い浮かべると、統一性の無さに笑う。
「星……プラネタリウムとか?」
「どうして分かったの?」
「そりゃあ……みさきさんのことだし」
本当は俺が一番驚いている。
「一月で人手が減るみたいで、二月から来られないかって言われた。教師の経験があるって話したら、即オッケーもらえたんだ。公務員で便利だね。実際に僕が役に立ったことはないのに」
「少なくとも俺は学んだことは多いけどな。やりたいことが見つかって良かったじゃんか。教師以外でも、いろんな経験を積んでいけばいい」
「…………だね」
空港の駐車場に車を停めて、五階を目指した。俺はただみさきさんの後ろをついて行くだけ。デートだけを楽しんでいるわけではなく、これからの人生に希望を見つけた彼は、とても輝いている。
「プラネタリウムだけどカフェ? 喋りながら観てもいいのか?」
「そういうコンセプトだからね。問題ないよ」
多分、みさきさんは来たことがある。堂々としすぎている。
「…………元彼?」
「違うよ、ひとりで来たの。嫉妬?」
「…………うん」
「かわいい。よしよし」
「…………いい」
めっ、と怒られるのもいいけれど、よしよしも最高だ。子供扱いは冗談じゃないと思っていた。前言撤回する。
夜空を見上げるのは昔ながらのデートっぽいのに、注文はタッチパネルを用いる。アンバランスさが俺たちみたいで、みさきさんは子供に戻って何度もペンを往復させた。
「暗いところでデートなんて、なんかドキドキしちゃうね」
俺は先生の言葉と息に心臓がおかしくなる。
頼んだホットドッグとナポリタンは、すでに冷めかかってしまっているが、手を止めてまで見てしまうほど星に圧倒された。例え人口であっても、美しいものは美しい。
「ナポリタン……食べたい」
吹き出しそうになった。星より食い気なんて珍しい。
「今、笑った?」
「そりゃあ笑う。確かに腹減ったけど」
「元旦初めての食事だよ」
「え? いいのか?」
ナポリタンが悪いと言っているわけではなく、元旦にしか食べないものがあるだろう。
「おばあちゃんたちが戻ってるからね。帰ってきてから、一緒に雑煮やカニを食べようねって話してた。カップラーメンでも食べてこようかなって思ってたけど……今年初の食事は雅人君としようと思って」
「……可愛い」
「カップラーメンが?」
「……ちなみに何味?」
「カレー!」
元気よく答えるみさきさんは、教師をしているときより生き生きしている。
「元旦には食べ慣れないものが並ぶんで、カレーやラーメンが食べたくなりますね」
「……行っちゃう?」
「この後に?」
「お腹に入る?」
「俺は平気だけど……」
どう見ても入りそうにない小さな身体の持ち主は、相変わらず頬を膨らませてナポリタンを頬張っている。
「カレーならいける、うん」
「カレーは飲み物って? 確かにラーメンよりは食べやすいな。さらっとしたカレーはあるかな」
生憎、空港とは縁のない生活のため、まさかこれほど広がっている場所だとは思わなかった。
「みさきさん大変だ。ちょっと検索しただけでカレー屋が多数ある。空港の外にもいっぱいだ」
「それは行けっていう神様からの道標だね」
鉄板の上のナポリタンも綺麗に食べた。星も美しかった。味覚も視覚も充分に堪能した俺たちは、カレー屋に移動した。胃の中が空であれば、もっと匂いにつられていたはず。食券を購入し、待っていると頼んだものは同じだった。
「高校生でもさすがにカツカレーは無理?」
「けっこう食べるけど、大食漢ってわけでもないし無理」
数種類の野菜が乗ったカレーだ。ふたりで笑い、カレーに口をつけた。スパイスが利いて、ナポリタンの入った身体でもするするスプーンが動いていく。
「おばあさんの家では食べないの?」
「食べるよ。おばあちゃんが好きって言うより、僕が好きだから作ってくれる感じ。芋がごろって入ってるの。いつも甘口だから、こういうスパイシーなのは滅多に食べない」
みさきさんはご飯を少なめで注文したため、間食した。普通盛りの俺も。さすがにお腹がきつい。コーヒー一杯も入らないだろう。
手繋いだら離されるだろうか。ふたりでいられる幸せを壊したくはないし、先に進みたい。
「雅人君、これからのことを少し話してもいい?」
「あ、ああ…………」
「別れ話でもないんだし、緊張しないでよ」
どんな顔をしていたんだ、俺は。
「受験生でしょう? 勉強はどう?」
「成績は送った通りだよ」
親が二人いる感覚だ。教師であった癖が抜けないのか、みさきさんの心配は尽きることはない。
「まさか一年会わないとか、言わないよな?」
「えーと……そうだね」
「目が泳いでるぞ。そんなの俺が耐えられない」
「そこまでは言わないけど……控えるべきとは思う」
「うん。それは俺も思ってた。恋愛だけに全力投球するつもりはない。みさきさんも、新しい仕事で大変だろうし」
「雅人君なら、そう言うと思ってた。これからの付き合いを考えるなら、しっかり話し合いをしないとって考えてて」
「未来に絶望しないで、前向きに俺との付き合いを考えてくれているから、俺も受験頑張れる」
カレー屋で話すべきではないが、こういう話をできるのは将来を見据えた相手だからだ。腑抜けになるのは俺のプライドも許さないし、恋愛だけの人生を送りたくない。夢もみさきさんも、手に入れたい。
「僕もね、雅人君がまっすぐに将来を見続ける姿を見て、諦めることを止めようって思えた。今はもう行ってないけど、ゲイバーに行くのも止める。今は無職で自信の持てるものはないけど、職について生活が安定したら、雅人君のお父さんにもご挨拶させてね」
恥じらうみさきさんを見ていたら、なぜか俺が泣きそうになって、米粒ひとつ残っていない皿を見た。皿を見たって楽しいものは何もないのに。お腹がいっぱいすぎて、むしろ皿はこちらを見るなと言っている。やっぱりみさきさんを見た。俺も泣きそうで、みさきさんはすでに涙を流している。
拭っても拭っても溢れるだけで、ハンカチを用意しておいて心底良かった。
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