ミサキの星空
不来方しい
第1話 出逢い
同じようで異なる風景は、これで二度目だ。来年からは、また違った場所で、似た風景を拝むことになるだろう。目の前に散る桜は鼻の頭につき、そっと剥ぎ取った。
あいにく晴天とはいえない天気だったが、花曇りはこの数週間しか味わうことのできない天候だ。合計六年間走らせた自転車を置き、教室へ向かう。クラスメイトは変わらない。ただ教室が変わっただけなのに、随分と大人びた気がした。
「うす」
「新しい先生って、誰だろうね」
「さあ? 五十嵐みたいな奴だけは勘弁」
「でしょうね、その顔じゃあね」
またしごかれるわ、とけらけらと笑う女子生徒は世良といい、高校二年間、そしてクラブも一緒のちょっとした腐れ縁だ。前の担任は人事移動となり、あっさりした別れとなった。元々そりが合わないせいで、涙すら出なかった。それは隣の世良も同じだろう。
緊張の瞬間はすぐにやってきた。古びた引き戸が引かれ、入ってきたのは小柄な生徒……ではなく、担任であろう教師。
顔が小さいのか眼鏡が大きいのか、サイズに合わない眼鏡を掛け、顔の半分が眼鏡で出来ている。目に被るような長い前髪と、身体に見合っていないスーツ。ネクタイが曲がっている。
教師はチョークを手に取ると、縦書きで名前を記した。余計なお世話だろうが、字も小さい。
「おはようございます。皆さんの担任になります、
人間というよりロボットに近い。されるであろう質問に用意した答えを淡々と発し、目に映る感情は、諦めに近い。何に対して? 分からない。彼を廊下や職員室で見かけたことがある気がするが、名乗られてもピンとこないのだ。
クラスの女子の大半が、ため息を吐いた。美しさに目が眩んだわけでもない。落胆の色が乗っている。
「先生、質問」
「はい、なんでしょう?」
「担当は何の教科ですか?」
「言い忘れていました。国語です」
納得。字が綺麗なのも頷ける。小学生低学年で習うようなとめはねはらいをきっちりと使い、全体的に小さくとも字のバランスもいい。
「先生、俺も質問がある」
「……なんでしょう」
古賀の質問には、少しの間があった。いくらか、声が低くなったように聞こえた。
「彼女はいるんですか?」
古賀の質問に、何人かの生徒は小さく笑う。俺には、どんな意味のある笑いなのか分からなかった。
「…………いません。授業には関係のない質問ですね」
一瞬、ロボットから人間味のある驚きの色を浮かべた目になるが、すぐに元に戻った。
古賀は大きすぎる舌打ちをかまし、つまらなさそうに机に伏した。
始業式含め、去年と同じ一連の流れを終えた俺は、さっさと教室を後にした。
「一ノ瀬、明日はスイーツクラブの活動をするから」
「ああ、いつもの教室で」
「新しい子、入るといいね」
「おう」
たった五人であっても、されど五人。指五本分の人数が集まらないと、スイーツクラブとしてクラブが成り立たない。一年前は、俺たち一年生が三人で、三年生が二人、二年生はゼロ。三年生が卒業した今、メンバーは三人しかいないことになる。つまりは、存続の危機。
俺が入っているスイーツクラブがどんな活動をするのかというと、単純だがお菓子を作って食べるクラブだ。活動日は学校のある日と、かなり緩い。文化祭となると忙しくなるが、それでもまったりと活動している。
「ただいま」
一足も靴が置かれていない玄関だが、寂しいと思ったことはない。わちゃわちゃと靴がある方が落ち着かない。
制服を脱いでシャワーを浴びた後、干してある洗濯物を取り込んでたたんだ。夕食は、肉。とりあえず、肉。
鶏もも肉に片栗粉を満遍なくつけ、たっぷりと敷いた油にの中に投入する。枚数は二枚。俺と父親の分だ。この家は、二枚あればいい。けれどたまに三枚になったりする。
焦げ目がついたらひっくり返し、同じように焼いて中まで火を通す。余分な油を取ったら醤油や酒などを合わせた調味料を入れ、しばらく煮込む。
余ったタレで野菜を炒め、今日の夕食のメインは完成した。
「ただいま、我が息子よ!」
ガバッと手を広げる父を華麗に無視し、インスタントのみそ汁を作る。
「ええ……無視?」
「着替えてこい。それで、はよ座れ」
しょんぼりと背中を丸める父を微塵も惜しまずに見送り、お茶の準備をした。
二人きりで食卓を囲み、肉にかぶりつく。
「いつもすまないな」
「料理は好きだし、別に」
「薫子さんとこの母さんだけど、体調は少しずつ良くなってきてるらしい」
「そっか」
薫子さんとは、俺の親父が付き合っている女性だ。なんでこんな山男みたいな男があんな綺麗な人と付き合えるのか謎すぎる。
「店はどうなってんの?」
「薫子さんが一人で切り盛りしている状態だ。俺も手伝うくらいしかできないがな」
薫子さんの家は和菓子屋を営んでいる。薫子さんの父と母が和菓子を作り、薫子さんが店に立つ。ちなみに父は和食店で働き、俺はその影響も受けてかパティシエを目指していたりする。
大柄な男二人だと、夕食もあっという間に食べ終わる。食後のコーヒーを入れていると、親父は今日一日について聞いてきた。
「前の担任の先生は移動になったんだろ? 新しく誰になった?」
「なんとか……みさき先生って人」
「女性なのか?」
「いや、男」
「頼れそうか? 前の先生は相性が悪かったからなあ」
「さあ……まだ一言も喋ってないから何とも」
生徒のためというより、給料のために教師を演じているという印象だった。御託を並べてふりを装われるより、俺はその方がいい。
一年前、教師に対して目つきが悪いという理由で呼び出しを受けた親父には迷惑をかけた。親父は笑っていたけれど。悪かったな、元々だ。
「今度は相性の良い先生だといいな」
良いか悪いか白黒をつけるのではなく、相性で判断をする親父は尊敬している。学校の都合で寄せ集められたクラスメイトは、そう簡単に仲良くできるはずがないと、幼少期に酒に酔いながら言い聞かせてくれた。
屈託のない笑みを零す親父に、曖昧に頷いた。
見かけたことのあるはずの星宮先生の記憶があやふやなのは、普段の服装のせいだった。だぼついたカーディガンは肩幅があっておらず、今の姿なら何度か見かけたことがある。いつも下を俯き加減で、心ここにあらずだった。
「今から出席を取ります。呼ばれた方は返事をお願いします」
「ちょっと待てよ、みさきちゃんよお」
また古賀だ。悪ガキの代表は意地の悪い笑みを作り、くちゃくちゃとガムを口にしている。
「俺らまだアンタを担任だと認めてねえぞ」
「止めろ、古賀」
「うっせえよ」
俺の制止には怒声で返し、きょとんとした星宮先生は、小さく息を吐いた。
「どうすれば認めてくれるの?」
「そんなの自分で考えな」
「ふうん」
星宮先生は出席簿をぱたんと閉じ、教卓に置いた。
「有川さん」
「えっ、あ、はい」
「一ノ瀬さん」
「……………………」
「一ノ瀬君?」
「はい」
突如呼ばれた名前は、俺の名字だ。君付けで呼ばれた。素の言い方だった。こちらの方が、呼び慣れているのかもしれない。
担任は次々と名前を呼んでいき、最後まで一人も欠けることなく全員を読み上げてしまった。呆気にとられる古賀は口が開きっぱなしになっている。
「どんな手を使ったんだよ!」
「顔と名前を覚えただけだよ。みんなの担任だし」
微笑む星宮先生は、担任となって二日目で初めて見た。分厚い黒縁眼鏡の奥にちょっと無邪気な子供のような顔が見える。
「ホームルームで時間を取ってしまったね。次は僕の国語の授業だから、このまま始めます。教科書とノートを出して下さい」
それなりの経験、大人、日本語を扱うプロで生徒を波に飲み込むトーク術。どれを取っても古賀は勝てるわけがなかった。
苦虫を噛み潰したような顔で、古賀は星宮先生を睨みつけた。
放課後、俺はクラブに参加すべく、いつもの空き教室へ向かった。二年生になり教室も変わったので、階を間違えそうになってしまった。
「うす」
世良はすでに先に来ていて、机の上に壮大にお菓子を広げている。これも立派な活動だと、先輩に教えられた。俺たちは、代々受け継がれている活動を守っているだけだ。
「水島が後輩二人を誘って、もしかしたら入ってくれるかもしれない」
「それだと活動できるな」
水島は他のクラスで、同じ二年になる。なかなか部に顔を出さないが、本人曰く「レアキャラだから」だそうだ。
「あと必要なのは、担当の先生よ」
「手の空いてる先生っているのか?」
「うーん…………」
長いうーん、だ。
前の担任が形だけの監督であり、引き継ぎや挨拶もなくいなくなったのは、クラブの弱小さを思い知らされた。
「うちのクラスの星宮先生って、何か担当あったっけ?」
「どうだったかな」
「聞いてきてよ」
「俺が?」
「星宮先生ってどう思う?」
ちぐはぐなやりとりだ。
「まだ一言も話してない」
「どうぞ」
「結局俺かよ」
「私はほら、部と教室を守るという義務と責任があるから」
とか言いつつ、スナック菓子を食べる手は止まらない。
重い腰を上げ、多分いるであろう職員室へ向かった。忙しそうに動き回る教師がいる中、印刷機の前で立つ担任がいた。
「みさきちゃーん」
俺より先に話しかけた生徒は、慣れ慣れしくみさきの肩に手を置いている。
「みさきちゃんって部活に何か関わってんの?」
「特に、何も」
「俺らのクラブに入ってくんねえ?」
先を越された。考えることは一緒だ。
星宮先生は俺を一瞥した後、すぐに視線を生徒に戻した。
「クラブって何の?」
「映画鑑賞会」
「映画を観るの?」
「そう。形だけでいいからさ」
「形、だけ…………」
ぽつりと呟いた声は、なんだか寂しそうに聞こえた。眼鏡の奥の瞳は、揺らぐ。睫毛が長い。
星宮先生はもう一度、俺に視線を送った。これは、そういうことだ。
「ちょっと待て」
星宮先生の前に立ち、生徒二人と無理やり引き剥がした。
「俺が先に頼んでたんだ。スイーツクラブの担当になってくれって」
「はあ? みさきちゃん、本当かよ」
「うん、本当」
あっさりしすぎだ。少し笑いそうになる。
「なあ、代わってくれよ」
「あのことバラしてもいいのか? ん?」
もう一人の生徒は吐き捨てるように笑う。
あのことが何を指しているのかは俺には理解できないが、悲しげ……というより、教室で見せた諦めの色を宿して俯いた。それは事実だ。
「俺も譲る気はない。今から先生と話し合いをするためにここに来たんだ」
生徒たちは負け台詞のように、バラしてやるからなとえらく格好悪い醜態を晒し、職員室に平穏が戻った。
「ありがとう、一ノ瀬君。助かった」
「良かったのか?」
「うん……あの子たち、ちょっと苦手だから」
「生徒の前でそれ言ってもいいのかよ」
「だね。ごめん。それで、何か用はあった?」
「スイーツクラブの担当になってくれ」
意外と会話が弾む先生だ。爆弾発言は聞かなかったことにしよう。
「本気で?」
「先生も忙しいだろうし、無理はしてほしくないけど……」
「一ノ瀬君って、スイーツクラブなんだ?」
「そっちかよ。一年のときから入ってる」
「甘いものが好きなの?」
声が少し弾んでいる。先生の机には、大量の教材と、和菓子が一つ。先生の名にちなんだ本もある。恥ずかしそうに耳に髪をかけた。
「…………まあ。作るのも、食べるのも」
「作るのも? すごいなあ。僕で良ければ、喜んで」
あっさりと承諾してくれた。感謝しかない。
世良の元へ戻り、報告すると報告した。ありがとうありがとうと、それしか言葉を知らないのかってくらい、何度も述べた。ひとまず今日の活動はこれで終了となる。
先行きは不安だったけれど、世良と同じ言葉を繰り返した。
家に帰り、夕食を作ろうと準備をしていると、冷蔵庫のホワイトボードに綺麗とは言えない字で何か書いている。どう見ても親父の字だ。
──明日、見舞いの品を買ってきてくれ! 頼んだぞ!
持っていたピーマンが歪にはち切れた。
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