願わくば夢で在って欲しい

「今何て言ったんだ?」

「……宰子を貴方の許に引き取って欲しい。そう言ったつもり」


 ウミンは昔から変わらないポーカーフェイスで、謎めいたことを言っている。

 けど、彼女が本気なのは伝わって来る。

 ウミンの声音はいつもの冷静なそれではなく、感情的な抑揚が付いていたから。


「あの、もしかして千年千歳先生ですか?」

「そうですが何か?」

「感激ぃ! 私、先生の本一杯読みました、こうして間近で見られるなんてチョー感激です!」


 本城さんはウミンのファンだったのか、それは知らなかった。

 が――その時俺は気付いたんだ。


 ウミンの足元にいる宰子ちゃんの右頬が赤くなっていることに。


「ウミン、もしかして宰子ちゃんに手を上げたりしなかったか?」

「したけど、アキには関係ない」

「……正直な話、今と言う時ほど、君に失望した例はない」


 昔の彼女は今と違ってこんな支離滅裂なことを言い出す人じゃなかった。

 普段から大人しい性格をしている彼女が愛娘に手を上げたんだ。

 何かしら理由があるのだろう。


「どんな理由で宰子ちゃんを打ったんだ?」

「……言ったでしょ、アキには関係ない」

「――ッ!! 関係なくないだろッ!! 俺は彼女の父親だ!」


 彼女の突き放した言いぶりについ憤慨して、失望して、怒りしか湧いてこなくて。

 もしかしなくても、生まれて初めて彼女に怒鳴っていた。


「酷く怒った顔してるね」

「ああ」


「止しなよ、従順な貴方が怒っても、何の解決にもなりはしないんだから」

「――ッ、俺だって切れる時は切れるんだッ!!」


 と、姿勢を過度に前に出したため、車椅子から転げ落ちてしまった。

 ウミンはすぐさま俺に近寄り、手を差し伸べるが。

 今の状況で差し伸べられた手を、誰が取るって言うんだ。


「ウミンには俺の気持ちが判らないんだ」

「……そうだね」

「っ!」


 事故に遭ってから八年後、奇跡的に目を覚ました俺は生涯に残る絶望を味わっていた。売り言葉に買い言葉だったとはいえ、昔は心を通わせていた最愛の人に、こうも冷たくされることがどんな辛いことだったか。


 願わくば、これが夢で在って欲しいと、心の底から祈っていたこともない。

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