シンデレラのカルチャー

突然なる本間海の来訪

「本城さん! 危ないにもほどがあるだろ!」

「すみませんでした師匠」


 某日、本城さんと鳴門くんの抗争がまた勃発してしまう。

 この時、鳴門くんの卑屈な悪態に心底怒った本城さんは我を忘れ。

 作家教室と吹き抜けになっているリビングに引っ込んだ。


 冷蔵庫にある彼女が買ってきた甘い物でも摂って、頭を冷やすのだろうと思えば。

 本城さんはキッチンから包丁を取り出した。


 この瞬間ほど俺は二人の喧嘩を一切仲裁しなかったことを悔いた試しはない。


 ――オラキモデブッ、テメエのその口二度と開かないようにしてやんぞ!

 ――上等だ本城、そんなしょぼい刃が俺の脂肪の鎧に通用すると思うなよ!


 とかなんとか喚き、二人は揉み合いになって。

 警察に通報しようと思っていた矢先――――ッ……。

 本城さんが所持していた包丁が、俺の頭の横を掠めて行ったのだ。


 掠めて行った包丁は放物線を描き、背後の床に突き刺さったところを見るに。

 相当な業物だったのだろう。


 だから今は危うく巻き込まれる所だった俺による当事者二人への叱責の時間だ。

 二人には二度と喧嘩しないよう言いつける。

 もしこの言いつけを破れば即破門。今日の作業としてはその念書を認めて貰う。


「……本城は来年受験だろ? 受験先はどうするんだ」

「ん? 私は受験しないよ」

「じゃあ就職するのか」

「いや、就職もしない」


「じゃあどうやって暮らしていくつもりだよ、っ言っただろ、師匠の迷惑になるような真似だけはするなって」


 念書を起こしている最中にも関わらずあの二人はまた剣呑な雰囲気を出すしな。

 案外あの二人はデキてるんじゃないか? などの妄想をして現実逃避している。


「三浦くーん、来たぞー」

「いらっしゃい若子ちゃん、宰子ちゃんはどうしたんだ?」

「宰子は今日学校の家庭訪問、先に行っててって言われたから先に来た」


「あー懐かしい行事だなー」

 小学校では毎年のように担任が各家庭を訪問する日がある。詳細な理由は知らないが、恐らく今も問題になっている児童虐待の防止や、家庭の雰囲気を把握するためのものだろう。


「鳴門くんと本城さんの二人は何をやってるんだ?」

「二人はまた喧嘩したから、今はもう二度と喧嘩しない証明書を作ってもらってる」

「ブププッ、二人ともごしゅうしょうさま。さてさて、私はネットサーフィンでもするか」


 この頃になると、若子ちゃんたちのパソコンの知識は本城さんと遜色ないレベルになっていて、やはりと言うか、英才教育が行き届いているという自負が拭えない。彼女たちの師匠として鼻が高いよ。


 この程度で鼻を高くするなって? ごもっとも。

 俺はこの教室からプロを輩出しなければいけないのだから。


 若子ちゃんはPCを起動させ、慣れた様子でランドセルを机の下に潜り込ませる。PCの準備が出来るまで、彼女は冷蔵庫から取り出したタピオカミルクティーで喉を潤し、瞳を爛々と輝かせていた。


「最近、若子ちゃんは特にゲームにはまってるみたいだな」

「うん、まあね~」

「……そう言えば、お母さんは今日はどうしたの?」

「母さんは急な用事が入ったとかって言ってた、恐らく男の部屋にしけこんでるんじゃないか」


 鈴木多羅の男漁りは、今も変わってないのか。

 これは八年後にして知った事実だけど、ウミンが大学を中退した理由は男だった。

 と言っても、ウミン自身の問題じゃなく、鈴木多羅が起こした痴情だ。


 俺たちの母校の寮は異性の立ち入りが禁止されている。

 鈴木多羅はその禁忌を破り、ある日男を女子寮に連れ込んだらしい。


 後々それが発覚、問題に発展して。鈴木多羅と同室でさらに事情を知っていながら止めなかったウミンにも、大学は留年処分を下したらしい。その頃にはすでに彼女はプロ作家デビューしていたため、留年してまで在学する理由はないと判断し、退学の道を選んだのだ。


 いかにも、合理的な彼女らしい判断だと思うよ。

 合理的と言うよりも、社会の事情を、闊達かったつな目で捉えたうえでの舵取りだった。


 ――ピンポーン。


 若子ちゃんがゲームやっている様子を享楽の一環で覗いているとチャイムが鳴る。

「師匠、俺が出ますよ」

 気遣いが出来ている鳴門くんが代わりに対応してくれたのだが、妙だ。


「いや、ちょっと拙いんじゃないでしょうか」

『いいから開けて、アキに話があるの』

 本城さんとガチンコの喧嘩を繰り広げている鳴門くんが、相手に鼻白んでいる。


 それとインターホン越しに聞こえた彼女の声を、俺が聞き間違うとは思えなくて。


「鳴門くん、ウミンだろ?」

「そうです」

「通して構わないよ。ウミンは俺の知己だから」


 そうして、悲恋的な最期を迎えた彼女がやって来て。

 彼女の顔を見るまではさすがに緊張していた。


「ようウミン、久しぶり」

「久しぶり、早速で悪いけどお願いがあるの」

「お願いって?」


 思わず首を傾げた。

 頼まれごとをされるほど、俺達の関係は単純ではない。

 出来ればお互いに距離を取っておきたいのが、正直な所だと思う。


「宰子をアキの家に引き取って欲しいの」

「……は?」

 と、猜疑心を全開にするほど、彼女の言葉は信じられなかった。

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