第3話 奴は怪物(前編)

 幼馴染シリルは、たったいま勇者パーティを壊滅させた血に塗れた手で私の身体を抱き締める。


「アリシア、無事だったか? 奴らに何かされなかったか?」


 私を抱き締める手つきが優しい。

 私を縊り殺すつもりがないことが分かる。


「……っ」


 私は彼の問いにここぞとばかりに俯いて身体を震わせた。

 まるで山賊に慰み者にされた娘のように、自分の身体を掻き抱く。


 これはちょっとした賭けだった。

 私がもう生娘でないと知ったシリルは怒り狂って私を殺すかもしれない。


 でも、私と勇者ツカサが恋仲であるのは知られた話だ。

 何とかしてそれを「村を人質にとられ無理やり付き合わされていた」という事にしなければならない。

 だからこれは必須の演技だ。


「ごめん、シリル……」


 声を震わせ、それだけポツリと呟いた。

 後はシリルが頭の中で繋ぎ合わせてくれる筈だ。


 彼が私を抱き締める手にギュッと力が篭もる。

 このまま尋常でない膂力によって締め殺されるのだろうか。


「……いや、アリシアは悪くない。もっと早くに助けに来れなくてごめん」


 シリルは絞り出すように謝罪した。

 賭けに勝った! ほっと胸を撫で下ろす。


「だからせめて、君の身体が穢れた手に触れられたという忌まわしい記憶を洗い流させてくれないか?」

「……え?」


 私の身体がひょいと横抱きに抱え上げられる。

 見上げた彼の瞳には光が灯っていなかった。

 それを見て彼が完全に狂ってしまっていることを悟った。

 彼を怒らせない為には、従うしかない。


 勇者たちが惨殺されたこの村外れの宿屋で、私はシリルに身を委ねたのだった。


 *


「ねえ、シリル。シリルはあの時どうやって生き残ったの? それに、その黒い肌は一体……?」


 いくつもの吸い跡が着いた裸を肌着で覆いながら、ベッドの中のシリルに尋ねた。


 彼はすっかり油断し切って微笑みを浮かべている。

 今のうちに彼の強さの源は何なのか、どうして強くなったのか聞き出しておくのだ。

 そうすればいつか彼から逃げ出す機会が生まれるかもしれないし、もしくは私の攻撃さえ通れば寝ている間に殺せるかもしれない。


 殺されたツカサの仇を取りたい、というわけではない。

 私は生き残る為とはいえ、嘘の中でツカサの存在を穢してしまった。

 今の私がツカサの仇を討つ資格はない。

 この狂った男から逃れる手段として「不意を突いて殺す」ことが有効そうなら遠慮なくその手を取る。ただそれだけだ。


「……」


 シリルは何かを考えるかのようにすいと窓の外を見つめる。

 窓の外には月が出ている。


 まさか今の問いから邪気を気取られただろうか。

 そんなことはない、と思いたいが人智を超えた彼の力を考えると、人の心を読む力すら備わってるのではないかと思えてしまった。

 もちろん、そんな力があるのならば私はとっくのとうに死んでいる筈だけれど。


 シリルは自分の指を弄りながら口を開いた。


竜種ドラゴンに殺されそうになったあの時、この指輪を拾ったんだ」

「指輪?」


 よくよく見ると、彼の指には漆黒の指輪が嵌っているのが見えた。

 彼の肌の色に溶け込んで見えなかったのだ。


「この指輪の力で、オレは強くなれたんだ。この指輪には『神秘殺し』の権能が備わっている。この指輪のおかげであらゆる魔術はオレに通用しない。あの剣士の魔剣もこの指輪を装備したオレに触れた途端に折れたし、僧侶の防護魔術も貫通した。勇者の伝説の装備だって無意味だ」


 彼の言葉にぞっとすると同時に、自身の選択が確かだったことが確認できた。

 彼の言葉が本当なら、私が決死の抵抗をして彼に魔術を放っていたら、私はあっさりと殺されていただろう。無駄なあがきをしなくて本当に良かった。


「この漆黒の肌も、指輪の副作用だ。代償に呪われたんだ」

「呪い……」


 確かに言われてみれば彼の黒い肌は禍々しいものに見えた。


 しかしこれは好都合だ。

 彼の人外じみた力が指輪によるものならば、どうにかして指輪を奪いさえすれば無力化できる。

 彼が隙を見せた瞬間を狙うのだ。


「でもその指輪のおかげでシリルが生き残れたんだもんね。だから私はシリルのこの肌の色、好きだよ」


 彼の腕を抱え込み、胸を押し付けて微笑む。


「アリシア……」


 シリルは嬉しそうに笑うと、私の頭に手を置き、私の細い髪を優しい手つきで梳る。

 この手が三人もの男を一瞬で殺しただなんて、信じられない気持ちがした。


 でも気を許してはならない。

 彼の気が変わらないうちに指輪を奪わねば――――。


 それから寝落ちてしまった振りをして目を閉じていると、やがて彼の寝息が聞こえてきた。

 ゆっくりと目を開けると、彼の胸が呼吸にゆっくりと上下しているのが見えた。


 寝ている。

 今なら指輪を盗れる。


 彼の身体の上に跨り、彼の指にそっと手を伸ばす。

 この体勢ならば、万が一途中でシリルが目を覚ましても「もっかいシたくなっちゃった」などと誤魔化しが効くだろう。


 窓からの月明りを浴びて、彼の黒い肌と指輪がほんのり乳白色の輪郭を帯びている。

 私はその指輪に意を決して触れた。


 指輪の冷たくひんやりとした感触が指から伝わってくる。

 心臓が破裂しそうなくらい痛い。

 心臓の鼓動が五月蠅すぎて彼の耳に届いてしまうのではないかと思うくらいだった。


 そのまま彼の指からスッと指輪を抜いていく。


 ピクリと彼が身動ぎしたような気がした。

 いや、気のせいか? 呼吸で彼の胸が動いているだけだ。

 神経が過敏になり過ぎている。


 呼吸を落ち着け、ゆっくりと彼の指から指輪を抜き取った。


「はあ、はあ……」


 私の手の中にシリルの指輪がある。

 自分のしたことが信じられない気持ちだった。


 これでシリルの力は無効化できたのだろうか?

 シリルの顔を見ると、彼の肌の色には変化がない。

 彼の肌の色は代償で呪われたと言っていたから、指輪を失ったくらいでは元に戻らないのかもしれない。


 私も今この指輪を嵌めてみたら彼のように真っ黒い肌になってしまうのだろうか。

 得体の知れない呪いにかかってしまうのだろうか。それは嫌だ。

 私自身はこの指輪には用はない。

 私には『理の紡ぎ手』とまで呼ばれた魔術の腕があるのだから。


(とにかく、これでシリルに魔術が効くようになった……)


 つまり私の魔術でもシリルを殺せるようになったということだ。

 私がシリルを殺す? この手で?

 考えて、ぐらりと眩暈がしそうになった。


 確かに彼はツカサの仇だ。

 でも私にツカサの仇を討つ資格はないし、それに指輪さえなければシリルは無力なのだ。

 何も殺すことはないのではないだろうか。


 それに……シリルを見捨てて置いてきてしまった日のことを思い出す。

 あの後しばらく私は自分の選択を後悔して泣き腫らしたのだ。

 シリルを置いていかなければ良かったと。

 あの時まで時を巻き戻せるなら何だってすると。


 その悲嘆をツカサに癒してもらい、ツカサを愛するようになり、私は記憶に封をするようにシリルの存在を忘れたのだった。


 一度は忘れてしまったとはいえ、そしてシリルが今では狂ってしまったとはいえ、あの時あんなに「生きていてくれたら」と願った存在を自分の手で殺すなんて。私にはできない。


 このまま逃げてしまおう。

 勇者パーティは壊滅してしまったから、魔王討伐もできない。

 王都に戻ればその責任が私一人に負わされるかもしれないから、それもできない。

 何処か人目に付かない場所で隠遁生活を送って、この指輪も封印しておくのだ。

 シリルも無力になれば正気に戻って、私の知らない場所で普通の人間としての生活を送ってくれるかもしれない。

 そうだ、それがいい。


 私はなるべく音を立てずに服を羽織ると、指輪を握って部屋を出た。

 抜き足差し足で階段を降りると、カウンターに倒れ込んでいる宿屋の主人の姿が見えた。


 宿屋の主人も殺されたのだとすっかり思い込んでいたが、よく見ると呼吸している。気絶しているだけのようだ。

 どうやらシリルも無関係の人間を殺すほど狂ってしまった訳ではないらしい。


「裏口……」


 表出口から出ていく勇気はない。

 シリルがたったいま目を覚まして窓から外を見下ろせば、コソコソと出ていく私の姿が見えてしまうことだろう。

 出ていくならば裏口からだ。


 裏口に行くために宿の食堂に足を踏み入れる。


「う……」


 食堂はツカサたちが惨殺された場所だ。

 身体を失ったエルネストの首、柱に剣で磔にされたラファエル、そして首の捻じれたツカサの死体がそこにある。

 立ち込める血の臭いに胃の中の物を戻しそうになった。


 やっぱり表から出ようかと足が竦むが、自分の頬を叩いて叱咤する。

 これは現実ではない、夢だ。今だけはそう言い聞かせる。

 今だけは怯えたり彼らを悼むことよりも、生きることを優先させなければならない。


 これは夢だ。

 ツカサの顔から目を背けて部屋の中央を進む。


 これは夢だ。

 ラファエルの磔にされた柱を超える。


 これは夢だ。

 首の無くなったエルネストの胴体を跨ぐ。


 ガタリ。

 自分の後方で物音がしたのも夢だろうか?


 いや、これは現実だ。

 浅く息を吐きながら、ゆっくりと振り返った。


「――――アリシア。夜の散歩か?」


 二コリと微笑むシリルがそこにいた。

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