祝福の仔

めそ

出来損ないの化け物達

 記録を再び確認してみると、予兆はずっと前からあった。

 世界中で頻発する地震。

 気候の激しい変化や異常気象。

 未知のウイルスの世界的大感染。

 宇宙から降り注いだ小隕石郡。

 そして、空に開いた大穴。

 少しずつ、少しずつ。

 しかしかなりの速さで世界は変わっていた。

 たった、二百年。

 それだけの時間で、何億年と積み上げられた世界の歴史が塗り替えられてしまっていた。


 ※


 目が覚めたらまず空に開いた穴を見ることがレフの日課だった。

 レフは左腕を外套で隠しながら、傾いたコンクリートの柱に吊るされるフライパンを木の棒で何度も叩く。


「起きろー」


 耳障りな金属音を聞いて、穴の開いた布を幾重にも重ねて作った簡素なテントからライとリアの二人が這い出てきた。

 身体の右半分が岩のように変質したライ。

 自分の意思と無関係に動く髪を鍋で隠すリア。

 不気味に大きく膨れ上がった醜い左腕を持つレフ。

 三人は化け物と呼ばれる、人間から生まれ人間から忌み嫌われる存在だった。以前はそんな彼等を守り育てていた人間もいたが、他の人間達から三人を守るためにその人間は殺されてしまった。

 それ以来、彼等はたった三人で逃げ隠れながら生きていた。


「おあよ」


 髪に口を塞がれながら、頭に被った鍋の中からリアが言う。鍋には覗き穴が空いているが、中で髪が暴れるせいでよく前が見えなくなる。


「…………」


 生まれつき喋れないライは火起こし器を組み立て、おがくずに火を付け始めた。


「夜にこの辺見て回ったけど、生きてる人間はいなかった」

「じゃあ、ひばらくはゆっくりれきるってこと?」

「どれくらいかわからないけど」


 レフは外套越しに瓦礫を掴み上げ、ボロ布のテントが人目に付かないようそれをいくつも重ねていく。

 瓦礫の屋根が出来上がるのを待って、ライは以前レフが人間の集落から盗んできた燻製肉を軽く火で炙り、リアに渡す。


「んが……ありあと」


 自身の髪と格闘しながらリアが肉を受け取ると、彼女の髪がそれを細かく引き裂き次々とリアの口に押し込んだ。


「ライ、リアをよろしく」

「…………」


 ライは右手で瓦礫の床を三回叩く。その返答に頷き、リアは外套を羽織り直して瓦礫の山に消えた。

 異常に肥大したレフの左腕は、異常な再生能力を有していた。例え切り落としても数秒で治るその再生速度はレフの体力を大きく奪い、時にはそれが原因となり命の危険に瀕したこともあった。


 そして、それを解決したのもまた左腕だった。

 レフの左腕は、まるでレフに寄生した別の生命体のようで、レフの命が危険にさらされると勝手に動きだし土や樹木、瓦礫さえも喰らい主の命に変える。

 レフは三人の中で最も化け物然としており、左腕が暴走すればライやリアまで喰らってしまうかもしれない。そんな恐怖から、レフは二人から距離を置くようにしていた。


「…………」


 左腕に小さな瓦礫を食べさせながら、レフは瓦礫の山を漁りまだ食べられそうな保存食がないか、まだ使えそうな道具などがないか探していた。


「っ」


 そうやって瓦礫をひっくり返して見つけたのは、小さな白骨死体だった。まだ生まれたばかりの赤ん坊のものと思われるその骨は、頭蓋骨が半分砕かれ、右脚が三本あった。その子の物だったのだろう、屍のそばには朽ちた前掛けが落ちている。


「…………」


 レフはなにも言わず、祈るように数秒まぶたを閉じてから持ち上げた瓦礫を元に戻し蓋をした。

 瓦礫の山を漁っていると、死体がよく見つかる。それは人間のように見えることのの方が多いが、しかし明らかに化け物の骨も少なくなかった。

 人間に殺されたのか、それとも瓦礫の崩壊に巻き込まれただけなのか。名前も顔も知らない仲間の死体を見つけた時、レフは決まって後者であることを祈りながら空に開いた穴を見上げるのだった。



 人間が三人を見つけることのないまま五日が経った。

 その間、仲間が増えることも減ることもなく、三人は瓦礫の下から見つけたいつの時代のものかわからない缶詰の中身をフライパンで炒めたりしながら食い繋いでいた。


「そろそろ移動しよう」

「えー、もうひょっとここにひようよ」

「足跡が近くにあったから、もうすぐ見つかるかもしれない」

「…………」


 レフの言葉でライはテント代わりにしていたボロ布を外し、まだ開けていない缶詰かき集めてをそれに包む。

 リアも名残惜しそうにしながらフライパンと水の入った水筒を鞄の中に仕舞った。


「わらひたち、いつまでこうひてなひゃいけないのはな?」

「人間が襲ってこなくなるまで」

「わたひらひ、なにもひてないのに……なんれ殺はれなきゃいへないの?」

「……人間に、生まれなかったから」


 人間に産まれたが、人間には生まれなかった。

 出来損ないなどではなく、そもそも生まれてはいけなかった。

 だから人間は化け物を殺す。


「私は、ライもレフらって、好きれこんな風に生まれはわけひゃないのに!」

「リア」

「なんれ、なんで! 生きたいらけなのに!」

「リア、静かに」


 レフは右手を鍋の中に突っ込み、リアの口を塞ぐ。彼女の髪の毛がその手を食べ物と勘違いしたのか、引き千切ろうと絡み付いてきたのでレフは慌てて手を引いた。


「あ、ごめ……」

「平気。ライも静かに」

「…………」


 三人が積み上げた瓦礫の下で身動きせずにいると、数人の足音が聞こえてきた。


「声が聞こえたのはこの辺だよな?」

「……なんか旨そうな匂いがするな」

「おい、肉焼いた匂いだぜ」

「誰かこの辺で焼いたんじゃないか」

「誰かって誰だよ」

「そりゃあ、化け物だろ」

「じゃあ人間の肉を焼いた匂いかもな!」

「おい、旨そうっつった俺が化け物みたいじゃないかよ。いや笑いながらこっち見んな」

「冗談だって、冗談。鳥かなんかだろ」

「コノヤロ」


 数人分の笑い声と足音が三人の頭上を通り過ぎる。


「…………」


 外套の下で蠢く左腕を抑えながら、レフは足音が通り過ぎ聞こえなくなってもしばらくその場から動かないでいた。


「……いっはかな?」


 圧し殺した声でリアが二人に問う。ライは首を傾げ、レフは首を横に振る。


「わからない」

「声ひないよ?」

「出してないだけかもしれない」


 レフは警戒しながら中腰になり、音を立てずにいくつかある出口のうち足音が消えた方と垂直になるものを選び歩きだした。ライとリアもそれに倣って這うように進む。

 半刻ほど歩いて、三人は瓦礫の壁に突き当たった。レフが壁に耳を当て、周囲の安全を確認してから左腕で瓦礫を持ち上げる。


「周りを見てくる」


 そう言い残し、レフは瓦礫の中から顔を出して周りに人間がいないことを確かめて後ろの二人に右手を差し出した。

 リア、ライの順に瓦礫の下から引き上げ、二人が歩きやすいように道を選びながらレフは瓦礫の影の中を再び中腰で歩き出す。

 やがて月が昇り、早朝から歩き続けた三人は、追っ手を気にして焚き火も出来ずに瓦礫の下に隠れて眠りについた。


 それから数日後、一日に数回言葉を交わすだけの逃亡生活を続けていた彼等は、やがて林を抜けて河にぶつかった。


「うわ、広いかはらね」

「どこかに橋があれば良いんだけど」


 対岸が遠くに見えるほど川幅が広く、泳ぎ方を知らない三人には到底渡れそうにない水深だと推測できた。


「この辺りに道はないみたいだから、少し休もう」

「あー、つかれはー」


 リアは草むらの上に転がると、背負っていた鞄から水筒を取り出して髪に水汲みをさせる。

 それを横目にライは火を起こし、レフは左腕で芋を掘っていた。

 三人は缶詰と芋で腹を満たしながら、二日後には大きな橋を見つけた。橋は中央が崩れ落ちていたが、レフが荷物や他二人を抱えて何往復か穴を飛び越えることで問題なく渡ることが出来た。


 それから、半月後。

 草原にいくつものテントを見付けた。羊を放し飼いしている様子を三人は緑色のボロ布を被りながら草の上に寝転がって観察していた。


「なんは……人間じゃないっほひ?」


 リアは鍋を脱ぎながら二人に問う。その問いにライはしばらく目を細めてから頷き、レフは首を傾げた。


「昼間はよくわからない」

「ライはろう? あはまがひふひみたいな人がいるよね?」

「…………」


 ライは首を横に振り、リアの手に指で文字を書いて訂正する。


「ひぬ? あ、しっほらったんだ、あれ」

「…………」


 ライは頷き、レフの手にも同じ文字を書いた。


「犬……それなら、ここが風上に変わった時に気付かれるかもしれない」

「え……それっへ、いひこと?」

「良いこと。逆に気付かれなかったらあれは人間かもしれない」

「ひゃあ、きふいれ欲しいね」


 しばらく観察していると、ライは犬頭が三人の臭いに気付いた。そのことを二人に伝えると、レフは布の下から這い出て犬頭に向かって右手を振る。


「ふりかへしてう」

「行こう」


 三人が犬頭の少女に近付くと、近くのテントから蜥蜴人間が出てきた。


「リーダー、仲間です」

「うわ、ひゃべった」


 犬頭が喋ったことに驚きを隠せなかったリアは、失言からライに小突かれる。

 蜥蜴人間はチロリと三人を睨むと、リアやレフを見て怪訝そうに首を傾げた。


「鍋と外套を脱いでもらえないか」


 リアとレフがそれぞれ鍋や外套を脱ぎ、意思を持つように蠢く髪や不気味に膨れ上がった醜い左腕を太陽の下に晒すと、蜥蜴人間は嬉しそうに目を細めた。


「無理を言ってすまなかった。私達は君達を心から歓迎しよう」

「ありがとうございます」


 多くの仲間と合流したその日の夜、三人は犬頭のペロと同じテントで眠ることになった。


「ふかふはー!」


 初めて布団の上で横になる三人、特にリアは夜にも関わらず興奮してはしゃいでいた。


「いひててよかっらー!」


 相変わらず鍋を被るリアはしばらく興奮して布団でばさばさと遊んでいたが、やがて疲れたのかふつりと糸が切れたように眠ってしまった。それを見守っていたライも、しばらくするとうつらうつらと舟を漕ぎ始める。


「……あなたは眠らないの?」


 ペロは三人が持っていた穴の開いた布を毛むくじゃらの手で畳みながらレフに問う。


「夜行性だから、夜は眠れない」

「昼も眠れてないように見えるけど」

「明日から眠れる」

「良かった」


 レフは左腕を外套で包み隠し、布団の上で胡座を掻く。


「ここにはいつから?」

「もう三年になるかな。リーダーがアタシ達を集めて、人間から守ってくれてるんだ」

「ここにも人間が?」

「うん」


 不意に、ペロは鼻をひくつかせながら四つん這いでレフに近付き、口、喉、そして、左腕を嗅ぎだした。


「……あなたは、人間食べたことあるでしょ」


 ペロはレフの耳元で嬉しそうに囁く。彼女の尻尾は大きく横に揺れていた。


「わかるんだ。アタシと似た臭いがするから。人間の血と肉と、脂の臭い」

「それは……」

「うん、食べてる。美味しいよね」


 ペロはベロリと長い舌でレフの頬を舐め、そのまま抱き付くように倒れかかる。


「嬉しいなあ、アタシとおんなじことしてる人がいて。ね、レフ?」

「……あんまり嬉しくない」

「ん? あ、大丈夫だよ。他の人には言わないから。この事は、アタシとあなただけの秘密。

 特に二人には絶対に言わないから、安心して?」

「……助かる」


 レフは疲れたように息を吐き、ペロを身体から押し剥がした。


 ※


 数ヶ月後、レフは前触れもなく姿を消した。そのことに最初に気が付いたのはライだった。


「…………」

「ん? ろうひたの?」


 ライが説明すると、リアは楽観的に笑う。


「まら木陰でねへるんひゃないの?」

「…………」


 それから、夜になってもレフの姿が見えないことで二人はレフがいなくなったことに気付いたが、その頃にはもうレフはペロと共に山を越えていた。


「二人を置いてきて良かったの?」


 山の中腹に見つけた横穴で一休みしながら、ペロはレフに問う。


「あそこは二人がいるべき場所だ」

「あなたはいちゃいけないの?」

「隠れて人間を食べる化け物がいたら駄目な場所だ」

「ちょっと、睨まないでよ。確かに私だって食べてたけどさ」


 ペロは反省したように耳を伏せ、目を俯かせる。


「……二人は、人間と仲良くなりたいんだ」

「なにそれ」


 ペロはレフの言葉を俯いたまま鼻で笑う。それから顔を上げ、


「あー、だからいつも二人と距離置いてたんだ」

「たった一度でも人間を食べたことのある化け物がいたら、人間は二人と、あの人達と仲良くなりたいと思わないだろうから」

「んーまあね。でも、人間にとってアタシ達はみーんな人喰いなんじゃない?」

「…………」


 その通りだということは、瓦礫の下で人間の会話を聞いたときからレフもなんとなくわかっていた。そして恐らく、ライやリアも。

 にもかかわらず、二人は人間と仲良くなることを諦めなかった。

 自分達を守り育ててくれた人間がいたから。


「そう思わないでいてくれた人間もいた。化け物なんかじゃなく、人間として扱ってくれた人間もいた」

「へえ、面白い人間もいたんだね」


 興味なさそうに話を聞いていたペロは、突然満面の笑みをレフに向けた。


「……もしかして、もしかしちゃって、あなた、その人間食べちゃったんだ?」

「…………」

「んーふふふふふ! 食べちゃったんだ、その人間も、あの二人も裏切って!」


 ペロは爛々と瞳を輝かせ、人を喰った話をする時にしか見せない猟奇的な笑みを浮かべた、


「食べちゃったんだぁ……! ね、ね、性別は? 味はどうだった? どこから食べたの? 生きたまま? 骨まで食べた? 歯応えはどうだった? 血は抜いた? 生のまま食べた?」

「ペロ」

「ん?」


 興奮で身を震わせるペロの左腕が、千切れ飛んでいた。


「……え?」

「悪い、外した。次は当てる」


 心臓に向かって伸びる醜い左腕をペロは辛うじて避ける。その顔は驚きと恐怖で歪んでいた。


「なんで… …なんで! 愛してるって言ってくれたのに!二人だけで生きようって言ってくれたのに! 沢山生きようって言ってくれたのに!」

「嘘を吐いた。予想以上に油断してくれて助かった」


 レフは逃げようとするペロの両脚を潰す。恐怖と悲しみの色が強く出た悲鳴が横穴の中で何度も反響した。


「なんで、やめてよ、もうしないから、人間を食べないから殺さないで! アタシはレフのこと愛してるから、なんでも、なんでもする! だから殺さないで!」

「あの夜から、ライとリアのために殺さなきゃいけないと思ってた。けど、あそこで殺すのは他の皆に迷惑だから、面倒だけどこうするしかなかった」

「やめて、お願い、レフの子供も産む、レフに言われれば人間の子だってたくさん産むから! やだ、死にたくない、死にたくないよ!」


 ペロは残った右腕だけでレフにすがり付き、血と泥と涙で青ざめた顔をぐちゃぐちゃに汚しながら必死に命乞いをする。

 レフは疲れたように息を吐き、ペロを身体から押し剥がした。


「隠れて人間を食べる化け物は、生きてちゃ駄目だ」

「あなただって――!」

「コイツは」


 レフは起き上がろうとするペロの頭を左腕で掴み、地面に押し付けた。


「コイツは、あいつらの目の前で、あいつらの母親を食べた。俺はそれを止めることが出来なかった」


 その言葉の意味を理解する間もなく、ペロの世界は終わりを迎えた。


 ※


 雨に打たれながら、レフは空に開いた穴を見上げていた。

 晴れた日も、曇った日も、雨の降る日も変わらず開き続ける穴。

 今までその穴がなんなのかレフにはわからなかったし、わかろうともしなかった。

 だけど、良い機会かもしれない。


「…………」


 レフは左腕を外套で隠し、山を下る。

 物心ついたときから、この世界は人間と化け物が廃れた大地の上で争っていた。頭の上にはどこに続くかもわからない穴が常に開いていた。


 ふと、この世界について、知ろうと思った。

 人間が化け物と呼ぶ自分達について、知りたいと思った。

 そのための手段を全く知らなかったが、それでもレフは足を止めなかった。

 自分を追ってくるありもしない幻から逃げるように、ひたすら歩き続けた。


 やがて、数年の月日が経った頃。

 レフはひとつの朽ちかけた建造物を見つけた。

 中には瓦礫の下でよく見かけた物に似た機械がいくつもあり、そのほとんどが壊れていない状態だった。

 その機械のひとつにレフが触れると、機械が音を立てて動き出す。

 驚くレフをよそに機械は辺りに光を撒き散らし、


「これは……」


 この世界の記録を映し出した。

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祝福の仔 めそ @me-so

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