10.第二のアンロック

 ミラ様がその後も、私を守り続けてくれたのか……みんなが必死に立ち回ってくれたおかげか、それとも、本当に運が良かっただけなのか。

 私たちはまた、支部の一室に集まることができた。

 誰一人欠けることなく、無事な姿で。

 だけど、机を挟んで座る皆の表情は、条約機構への協力を打診されたあの時よりも、深く沈みきっていた。

 私は軽い火傷を負っただけですんだものの、両の頬に貼り付けられたガーゼがまだ外せない。

 どんなに高度な魔法でも、失われた手足を生やすことはできない。そして無理な治療を施す魔法は、高い確率で後遺症を生じさせる。ポーラはそう言って、私を脅した。

 だから……決して無茶だけはしないでね、とも。

「戦場の空気を肌で感じてくれればいい、たしかに僕はそう言ったが」

 隊の中で一人、険しい顔つきのアリデッドが、おごそかに口を開く。

「正直、この結果は思わしくない」

「ぇぅ……」

 シセインはもとより、私とキョウヤも顔を伏せ、深く落ち込んでしまう。

 私たちは、何一つ戦果をあげられなかったのだ。

 任務である住民の避難誘導もまともに出来ず、ただ逃げ回ったのだ。訓練の成果も出せず、お互いの連係も取れていなかった。

「生きて帰ってこられただけでも、上出来と言いたいが……条約機構内での評価はさんざんだ」

「私、ダメだなぁ……」

 涙をにじませ、つぶやく声に、アリデッドは同情の意など示さない。

 アリデッドも、苦しい状況に追いやられていることだろう。罪人同然の私たちをかき集め、醜態をさらしてしまったのだ。その立場を想像するだけで、私まで胃が痛くなってくる。

「……キョウヤ君。現場で目撃した『バルバロイ』が、アルティールの手先だというのは……確かなんだね?」

 私たちが出会った仮面の男について、アリデッドが詳しく訊ねてくる。

 あの時キョウヤがとっさに口にした『バルバロイ』という単語は、この世界では違う意味を持っているらしい。『醜い言葉を話す者』『野蛮人』という意味が転化して、『条約機構で処置を受けられなかった、この世界の言葉を話せない者たち』のことを示すという。

「はい。アルティールは、俺の世界での『バルバロイ』について語ると興味を持ち……俺の世界史資料集の入ったバッグを持ち去りました」

「ふむ。……シセイン君」

「ひっ」

「君はキョウヤ君とともに、ずっとサオリ君を捜し回っていたそうだね?」

「は、はぃ……」

「そうか。……では、サオリ君」

 最後に彼は、私がフミと遭遇したことについて訊ねてくる。

 あの場で起きた出来事を、私が素直に、全て話し終えると……彼はうなずいて、了解の旨を示し、それから一拍置いて皆に告げた。

「さて……皆の話は、一通り聞いた。その上で訊ねる。……我々の活動を、まだ続ける意志はあるかね?」

 私たちを見回す、その視線の鋭さが、傷だらけの心身に痛い。

 意志は正直、折れそうだ。次は上手くやれる保証など、ない。

 それに……フミの言葉も気にかかる。

(みんなの居るこの場で、条約機構の真実について、訊いておいた方がいいのだろうか)

 そこで私は、カルルッカの地下にいた老人の言葉を思い起こす。

『ふたつ、条約機構に与えられたる平和』

 はたして、それは正しいものなのか。

 深く考えてみようとしたが……私の中での答えは、もう決まっていた。

 条約機構は、間違いなく必要な組織だ。

 ならば、何故そう言えるのかを整理してみる。

 まず、私やフミのような、この『C世界』に放り込まれて、右も左もわからずにいる人たちを、アルティールのような悪い奴から守らないといけない。アリデッドは、それをしっかりやってくれていた。言葉を教え、習慣を教え、ちゃんと社会に立たせようとしてくれていた。……ただ、私たちの方が、それを裏切ってしまったのだ。

 次に、燃えさかる村の光景。条約機構の加盟国軍が必死に守らなければ、幻宗皇国軍はああやって、罪のない人々の家を燃やしてしまう。たくさんの人が、死んだり傷を負ったに違いない。彼らの軍がどんな正義を掲げようとも、あんな行為が正当化されるなんて、あってはいけない。

 そして、私たちが目にした『バルバロイ』たち。条約機構が、間に合う内にちゃんと『処置』を行わないと、あのような話し合うこともできない、問答無用で襲いかかってくる人たちを生んでしまう。

 だから……私は、条約機構を信じる。たとえ、そこにどんな思惑が隠れていたとしても。

 もしも、条約機構が間違っているというなら……いつか、私がこの手で正す。

 これが、私の第二のアンロックだ。

「やります……。今度こそ、上手くできます!」

 保証はできない。だから、嘘になってしまう言葉かもしれない。でも、第二のアンロックが、そうはさせたくないという強い希望を生み、折れそうだった意志を再び強くさせた。

 私は……もう一度、立ち上がれる。

 シセインがおずおずとうなずいて、キョウヤも重々しく首を縦に振る。

「……そうか。……期待している、応えてくれ」

 重く告げる、アリデッドの声色が、心の底でほっとしているのが感じ取れる。隣でじっと成り行きを見守っていたポーラが、小さなため息と共に表情を和らげてくれた。

「では……現在の戦況について、君たちに話せるな。……実はつい先ほど、幻宗皇国に立ち向かう我々条約機構加盟国軍に、思わぬ勢力が加わった」

「思わぬ勢力……ですか?」

 キョウヤがわずかに身を乗り出して、訊ねる。

「……ラクタース科学帝国だ。すでに先遣隊がこの大陸に上陸し、この街を守るために部隊を展開させ始めた」

「ラクタース科学帝国が……ですか!」

 フミが言っていた、条約機構にとって頭の痛い、大きな戦争の引き金になり得る二国。それが、目の敵にしていた相手とではなく、互いにぶつかり合おうとしている。私たちの、すぐ目の前で……。

「……どうも、世の中は思いも寄らぬ方向へ進もうとしているらしい。これが、大きな戦争のはじまりでないことを、我々は強く祈るばかりだが……」

 戦争は終結に向かうのか。それとも、泥沼に陥ってしまうのか。

 フミを助け出す機会は、また訪れるのか。その時、私は上手くやれるのか。

 不安だけがつのっていく中……私は、必死にあのお方の名をつぶやいた。

 だけど……何故だろう。今だけは、その姿も声もぬくもりも、うまく頭の中に像を結ばない。

 ミラ様……。

 どうして、その御声が聞こえないのですか、ミラ様……。

 室内のよどんだ空気の中に、私の守護天使は影すらも見せてはくれない……。

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