9.動き出す儀式

 冷たい風が吹き抜ける夜の街を、シセインの手を取って大灯台へ向かう。明かりの乏しいこの世界では、日が暮れてしまうと、あのバザールの広場すらも人気ひとけが失われてしまう。

 少年の言葉通り、満月は雲に隠れたまま空に昇ったようだ。シセインの明かりの魔法を頼りに足を進め、大灯台が海に向けて放つ放射状の光を目指す。

「やあ……来てくれたね」

 大灯台の入り口に、あの少年が立っていた。やはりフードは深くかぶったままで、声は平板で風よりも冷たい。

「彼は、来てくれなかったみたいだね?」

 キョウヤの姿が見当たらない事を確認され、私は深くうつむいてしまう。だけど、何故だろう、彼のその言葉は、この状況をなんだか予測していたかのようにも聞こえた。

「まあ、負担が減るから、その方がキミも楽ができるだろう?」

 私の背後に隠れるようにしていたシセインに、彼の金色の瞳が向けられる。人見知りも激しい彼女は、小さく怯えたような声を短くあげた。

「さあ、準備は整えてある……行こう」

 告げて、少年が大灯台の階段を上り始める。私もやや遅れながら、シセインの手を引きつつ、彼の後についていく。

 段を上りきった部屋は、普段は灯台守たちが詰めるために用いられているのだろう。夜の間に明かりが消えたりしないよう、誰か番をしているのではないか……そんなことを考えていたのだが、中には誰も見当たらない。

 それどころか、部屋の中は黒魔術に用いられそうなあらゆる器具で満たされており、それらは整然としながら、禍々しく部屋を彩っていた。

 石の床には、淡く光る塗料で複雑な紋様が描かれている。大小の円を基調にして、いくつもの図形と知らない文字が刻み込まれていた。魔法陣……というモノだろう。その周囲に等間隔で燭台が並べられ、さらにその間にテーブルが据えられて……いくつもの動物たちの切り落とされた首が、その上に並べられていた。

 供物、なのだろう。これは、私のワガママのために奪われた命たち。

 私は奥の歯をしっかりと噛みしめると、そっと背後のシセインに振り返る。

「すごい……みんな、整ってる」

 魔法に詳しい彼女が、息をのみながら口にする。

 たぶん、彼女がその手から放つ明かりで確認して回っているのは、私にはその意味も価値もわからないような、儀式のための設備の数々だろう。

「これだけの魔導具に……マナも集まってる……場所も、最適。あとは……」

 その時、さっと背後から光が射し込んだ、雲の合間から顔をのぞかせた月が、その明かりを魔法陣の中央へ向けて投げかけてくる。

「……この時の巡り」

「全て、そろったというワケさ」

 少年が、薄く笑みを浮かべてみせる。

「さあ……最適なタイミングは限られている。人払いも解けてしまわないうちに、終わらせてしまおうじゃないか」

 少年がそっと、手を差し伸べてくる。私は強くつばを飲み込み……腰の大切な物入れから、シセインから預かった『書』の写しを取り出した。

 彼はそれを受け取ると、片手に淡い金色の光を浮かべながら、その文字を目で追っていく。

「なるほど……こういうコードを用いるワケだね……」

 その姿を見て、私は確信した。この少年は、森の洋館でキョウヤと目撃した……キョウヤに、帰還の魔法を使わせたという少年だ。

 今なら、まだ引き返せるだろうか。そんな思いが脳裏をよぎるが、それは無駄なためらいなのだろう。私のために、すでに多くの動物たちが犠牲にされているし、条約機構支部をこっそり抜け出した瞬間から、もう後戻りする選択肢なんてあり得なくなっている。

「では……二人とも、位置に着いて」

 少年の指示に従って、帰還のための儀式が、始められる。

 燭台に次々に火が灯されて、風が緩やかに巡りだす。

 シセインが、魔法陣の一端、部屋の奥に立たされる。そこには書見台と呼ぶのだろうか、立ったまま書物を読み上げるための、背が高くて天板が傾いたテーブルが置かれている。

 私は魔法陣に描かれた二つの小さな円の、片方の中へ正座させられた。

「こっちの円からは、キミと等価の存在が現実世界から流れ込む」

 言いながら、少年はその円を見下ろしながら魔法陣の端に立ち、短い剣を抜き放つ。

「何が出てくるか分からないからね……ボクはここで備えておくよ」

 そうは言うものの、彼が一歩踏み出せば、私もシセインもその剣で斬りつける事ができそうだ。目の前で抜かれた刃物に、またあの時と同じフラッシュバックが起こりそうになるのを、私は必死でこらえた。

「『聖なる炎』を」

 少年の求めに、シセインがためらいがちに、私が預けていた黒い箱を差し出す。

 それは、まだ強い熱を放っていたのだろう。少年は箱に触れようとして、その指先を驚いたように跳ねさせた。そして一旦手を引くと、彼の頭を覆い隠していたフードをぎ取って手の中で折り畳み、その上に黒い箱を載せて受け取った。

 彼の、透き通るような金色の短い髪が露わになる。肌の色は白く、瞳はやはり輝く濃い金色。箱に火傷やけどでも負わされでもしたのか、その表情がやや苦々しげに歪められている。

「……さすがのエネルギーだね」

 感嘆した声を漏らすが、妙に声が固い。

「……できそう? この世界と現実世界はかなり離れているはずだ、って……」

「『星の柱』を、利用する」

 シセインが、ここに来てからようやくの言葉を発した。その声に、芯がしっかり通っているのが感じられる。

「『星の柱』の内部に生じる上昇と下降の流れに触れれば、上下への移動に必要なエネルギーがわずかですんで……ともに『星の柱』に近い『C世界』と『現実世界』は、極めて近くにある世界と呼べるようになる。この魔法陣には、すでにそのコードが組み込まれてる」

「……キミは賢いね」

 少年が浮かべる、ニヤリとした笑みが、隠される事なく目に飛び込んでくる。その彼に、シセインは珍しく、問いただすような口調をぶつけた。

「それを知ってるなら、その秘術は……」

「必要なんだよ」

 短いひと言、それだけで、少年は彼女を黙らせてしまう。

「ボクはこれから、多くの人間を移動させたいんだ。これさえあれば、それが可能にできる」

 真っ直ぐに立つシセインが、その姿勢を崩さないまま、青ざめだしたのがわかる。もしかしたら私たちは、なにか取り返しのつかない事をしてしまったのだろうか。

「サオリ・ホシミヤを送り返すのは、その見返りの一環、そしてこの秘術が実際に有効かどうかを確かめるためさ。これが上手くいくならば、実に多くの人間がこの世界から解放されるんだ。……協力してくれるよね……シセイン・リュミエール君?」

 刃物のように鋭い、拒絶を許さない物言い。弱気なシセインが、それに逆らえるはずはなかった。そして……私もまた、彼女をかばって何か行動を起こすべきだったのだろうけど……刃物を手にした彼が、さえぎる物を取り払われた金色の瞳を向けてきた瞬間に、私の心の中で何かが折れる音がした。

 私は、何もできない。これは口を出せる話題ではないし……なによりこの少年は、私の知らない、得体の知れない力を持っている。

 たぶん……それは圧倒的な魔力か、あるいは私に理解できる言葉にするならば……『殺意』だ。

「さあ……はじめようじゃないか。時間がないんだよ?」

 告げて、少年は秘術のメモを懐にしまい込む。

 ……今は、信じるしかない。シセインが自信を得て、私が現実へ帰り着くために。

 少年は、黒い箱を布ごと魔法陣の中央に丁寧に置いて、所定の位置に戻る。

「サオリ・ホシミヤ。これから行われる儀式は、かなりの苦痛をキミにもたらす」

 キョウヤが言っていた通りだ。それはいったい、どれほどのモノなのか……私は下腹部にぐっと力を込める。

「苦しくなったら、キミの故郷と、そこで待っている人を思い浮かべて、名を呼ぶんだ……いいね?」

 続けてシセインに指示を出し、私の安全のために呪文の詠唱を止めないよう、命じる。

(……ちゃんと後から追ってきてよ、キョウヤ)

 あんなヤツのことを、何故、今になって思うのか、わからない。

 ただ……アイツは、この儀式に失敗して、私を喚びだした。

(私は、そんな風にはならない。私にはミラ様がついている。アイツを……超えるんだ)

 少年が儀式の始まりを高らかに宣言し……シセインが、呪文をゆるやかに唱えだした。

 強い風が、室内で渦を巻き始める。円の内側に座り込む私は、胸を激しく高鳴らせながら、それをじっと浴びていた。

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