第11話 弥生の輪廻
美知は、取材してきた記事の編集で忙しかった。しかし、勾玉のネックレスは必ず身に着けるようにしていた。そうすることで、健に守られていると感じることができた。ライティングとレイアウト、主な写真関係は自分でこなしたが、イラストや校正などは、手伝ってもらう。そんな多忙な日々が二週間ほど続いた。そして、いよいよ雑誌の印刷に漕ぎ着けた。美知が担当した雑誌の特集記事は、概ね好評だった。そんなある日、編集長の宮田が美知を食事に誘ってくれた。
「今回はお疲れ様。美知さん、頑張ったわね。お蔭で雑誌の売れ行きも好調みたいよ。」
「まだ、慣れない作業で戸惑いもありましたが、そう言ってもらえると嬉しいです。」
二人は、ワインを片手にフランス料理を味わった。
「小出さんは、彼氏はいないの?」
「いえ、もう忘れました。」
「そう、言いたくないことだってあるわよね。」
「編集長は、どうなんですか?」
「私も、もう、忘れたわ。今は、仕事が私の恋人ってところかな。」
「そうなんですか。編集長みたいに多忙だと私生活との両立って難しいんでしょうね。」
「そんなことないけど、昔の思い出を引きずっていて、恋はもういいかな?みたいな感じかな。」
「私も、今は仕事が楽しいし、当分は勉強の日々です。」
二人は、食事を堪能して、店を後にした。
「編集長、今日は美味しい料理をご馳走いただいて、ほんとうにありがとうございました。」
「いいえ、どういたしまして。小出さん、これからも頼むわね。」
「はい、またよろしくお願いします。」
そう言って、二人は銀座の街で別れた。
美知は、横浜のアパートまで、東海道線に揺られて、帰宅した。アパートに戻り、シャワーを浴びていると、湯気に蒸せたのか、吐き気をもよおした。
「そんなに飲んでないけどな。少し疲れたかな?」
美知は、あまり気に留めず、その夜はゆっくり休んだ。
明くる日は、休日なのだが、朝から気分が悪く、起きるのが辛かった。
「やっぱり、二日酔いなんかじゃないわ。」
美知は、これまでのことを思い巡らせてみた。
「もしかして、妊娠?そういえば、このところ生理が遅れている。健さんの子を身ごもっているのだろうか?」
さっそく、薬局に行って妊娠検査薬を買い求めてきた。そして、検査すると、陽性と出た。健は居なくなってしまったが、彼は、美知の心の中でまだ生きている。そして、美知の身体の中にも生きているのだ。美知は、辛い気分が晴れて、何だか幸せな気分になった。
美知は、実家に電話して、このことを母に相談した。
「私、子供ができちゃったみたい。」
「えっ、それほんとなの?相手の人は?」
「この前話していた黒神健さんよ。」
「黒神さんは知ってるの?」
「それが、彼が居なくなってしまったの。」
「えっ、逃げられちゃったってこと?」
「そうじゃないのよ。私たちが結ばれることで、健さんは幽神界から解放され、遠い所へ行ってしまったんだと思うの。話せば長いので、電話じゃなんだから、うちに帰ってゆっくり話するわ。」
「それで、あなたはどうするつもり?産むの?」
「産むに決まってるでしょ。」
「一人で育てるつもり?」
「もちろん大変なことはわかっているわ。でも、私は、大切に育てるわ。」
「病院には行ったの?」
「まだ。でも、市販の検査薬で陽性を確認したわ。来週、産婦人科に行くつもり。母さんよかったら付き添ってくれるとうれしいんだけど。」
「仕方がないわね。母さんもいっしょに行くから、また、ゆっくり話しましょう。」
「ありがとう。母さんがいっしょだと心強いわ。また、時間と場所を連絡するね。」
そう言って、美知は電話を切った。自然と涙が流れてきた。健との繋がりを確認できたことをうれしく思いながらも、行方の知れない神の子を一人で育てていくことの大変さを改めて感じていた。
美知は、出版社の編集者としての華やかな生活を諦め、時間の融通がきくフリーライターに転身することにした。編集長は最初残念がったが、事情を聞いて納得し、「できるだけ仕事を回すから」と励ましてくれた。
数日後、美知は、母親の文江といっしょに産婦人科を訪れた。
やはり、医師から妊娠していることが告げられ、エコーで赤ちゃんの胎嚢を見せてもらうことができた。
二人は、そのまま実家に帰り、これからのことを相談することにした。父親の光一が帰宅すると、文江がそれとなく光一に事の経緯を話している。しかし、光一は、思っていたより冷静に応援の言葉をかけてくれた。
「美知、これから大変だが、心配するな。父さんたちは、お前を精一杯支援するからな。健君もきっと空の上からお前を見守ってくれているはずだよ。」
「ありがとう、お父さん。そう言ってくれるとうれしいわ。私頑張るから。」
美知は、予想外の父親の優しい言葉にまた涙が流れた。
それから、月日が経ち、美知は、両親に見守られながら、元気な男の子を出産した。美知は、自分の子にはもう神様になんかなってほしくないと思った。そして、健から一文字もらい、それに神様でない『人』という漢字を加えて、『健人』と名付けた。健人は、すくすくと育ち、物心がつく頃になると、時々美知に父親のことを尋ねることがあった。
「どうして僕にはお父さんがいないの?」
「お父さんは、みんなの平和を見守るお月さんになったんだよ。遠い所から健人のことも見守ってくれているんだよ。」
そう言って、美知が窓を開けると、空には煌々と丸い月が輝いていた。月には出雲大社の白兎も付き添っているようだ。
また、ある時、健人がこんなことを言った。
「お父さんはどんな人だったの?」
美知は、健人に見せる父親の写真が無いことに改めて気づいた。
「お父さんは、みんなが仲良くなるための縁結びをしてくれたのよ。顔はほらテレビに出ている佐藤健っていう人に似ていたわ。胸に『打ち出の小槌』のデザインがされた服を着ていたのよ。」
美知は、パソコンで佐藤健の写真と、打ち出の小槌の絵を、健人に見せて、改めて健のことを思い浮かべた。
また、ある時、美知と健人が街に買い物に行ったとき、人ごみで健人が叫んだ。
「あっ、お父さんだ!あの人、『うちでのこづち』を付けてたよ。」
美知が急いで振り向くと、健と背格好の似た男の人が人ごみに紛れていくのが見えた。二人は、急いで彼の後を追った。しかし、振り向いた彼の顔は健と似ても似つかない別人だった。
また、ある時、美知がテレビを見て健のことを想い出し、涙することがあった。すると、健人は美知に優しく言った。
「母さん、僕がいるから大丈夫だよ。父さんが居なくても、僕が必ず母さんを守るから、もう泣かないで。」
「ありがとう、健人。」
美知は、思わず健人を抱きしめた。日々逞しくなって行く健人が頼もしくて、うれしくなり、また涙が流れた。
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