第5話 東寺と空海の仏像曼荼羅
博物館デートの日がやって来た。美知は、いつもと変わりないそぶりで、友達と会うと言って家を出た。新幹線で品川まで出ると、そこから、山手線で上野まで向かった。道々は花見客で混雑し、見上げると青空をバックに満開の桜が咲き誇っている。しかし、華やかな桜の花とは裏腹に、美知の気持ちは沈んでいた。東京国立博物館に着くと、博物館前の正門プラザで待った。外は賑やかだったが、建物内は思ったより静かだった。
程なく黒神が現れた。
「お待たせ。今日は天気が良くて花見客がすごいですね。後で公園を散策しましょう。」
「そうですね。桜も満開できれいですしね。」
黒神は、二人分のチケットを買って一枚を美知に渡し、二人は特別展が開催されている博物館の平成館の方に向かった。
館内に入り特別展会場口でチケットを見せエスカレータを2階に上がると、特別展の主たる展示物を提供する東寺の大きな文字パネルが出迎えてくれた。
「美知さんは東寺に行かれたことありますか?」
「京都には数回遊びに行ったことはあるんですが、京都駅から近いのにまだ東寺に行ったことは無いんです。」
「じゃあ、今回の展示は新鮮ですね。僕は、東寺には何度も行きました。東寺と対を成す西寺の遺跡跡で、五重塔などの本格発掘が今年の秋頃から始まります。僕も参加する予定です。」
「お詳しいんですね。西寺というお寺もあったんですか?」
「東寺と西寺は、今から約1200年前に平安京に遷都された際に、官営の寺として創建されたんです。西寺は幾度かの火災などにより衰退してしまいますが、東寺は嵯峨天皇の時に、密教を携えて唐より帰国した空海に託され、真言密教の根本道場として、密教の流布に重要な役割を担って行きます。・・・前置きはこのくらいにして、さっそく見学しますか。」
「そうですね。何だか楽しくなってきました。」
展示は、第1章から第4章までの4つのテーマで再現されている。
『第1章 空海と後七日御修法(ごしちにちみしほ)』
展示スペースには、遣唐使として共に中国に渡った最澄へ、空海が宛てた『風信帖(ふうしんじょう)』という書状が展示されていたり、密教法具を使った後七日御修法の道場などが再現されている。
「空海は、経典を解説するだけの従来の仏教に対し、経典に従って修法を実践することでその効用を得るのが密教とし、修法の実践を説きました。空海が実践したさまざまな修法の中で、最も重要な儀式が『後七日御修法(ごしちにちみしほ)』です。この儀式は、天皇の安寧と国家の安泰・繁栄を祈って、毎年1月8日から7日間に渡って執り行われます。そして、驚くべきことに、この修法は千年以上経った現在でも、空海が持ち帰った密教法具を用いて続けられているようです。」
「空海は、神道みたいに、儀式や祈祷などを通して仏に祈ったということでしょうか?」
「そのとおりです。密教では仏を中心とした神々に祈るのです。だからこそ、神道の神々と神仏習合するのに都合がよく、古代日本に瞬く間に広まって行ったんだと思います。」
『第2章 真言密教の至宝』
ここには両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)や十二天像の掛け軸などが展示されている。曼荼羅(まんだら)とは、密教の経典にもとづき、仏を中心に集会(しゅうえ)する図像で、両界とは、インドの異なる時期や地域で個別に成立した『胎蔵界』と『金剛界』の両方を指す。両界曼荼羅は、日本密教の中心となる神仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現している。
宗派により異なるところがあるが、胎蔵界曼荼羅は全部で12の『院(区画)』に分かれている。その中心に位置するのが『中台八葉院』であり、8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来㊐が位置する。大日如来㊐の周囲には4体の如来である宝幢(薬師)①、開敷華王②、無量寿(阿弥陀)③、天鼓雷音④を四方に配し、更に4体の菩薩である普賢⑤、文殊⑥、観音⑦、弥勒⑧をその間に配して、合計8体が表される。一方、金剛界曼荼羅は、9つの場面に分かれていて、中心の成身会を核として、大日如来が衆生を救済する過程(右回り㋐)と、逆に修行により悟りに到達する過程(左回り㋑)を表している。
『胎蔵界曼荼羅』 南
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* * 除蓋障院 * *
外* ********************** *
* * * 金剛手院 *空*蘇*
金*文*釈****************** * *
* * ⑤ ② ⑥ * *虚*悉*
東 剛*殊*迦*遍知院*①中台㊐八葉院③*持明院* * * 西
* * ⑧ ④ ⑦ * *蔵*地*
部*院*院****************** * *
* * * 蓮華部院 *院*院*
院* ********************** *
* * 地蔵院 * *
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北
『金剛界曼荼羅』
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*↓㋑理趣会㋐→ * ←㋑降三世会㋐→ * ←㋑降三世三昧耶会*
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*↓㋑一印会㋐↑ * 成身会 ㋐→ * ←㋑三昧耶会㋐↓ *
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*→㋑四印会㋐↑ * →㋑供養会 ㋐← * ↑㋑微細会 ㋐← *
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「密教では、その教えが奥深く、文章で表す事が難しい事から、図画で表現するのに曼荼羅図が多く描かれています。そのため、密教が美術の発展にも寄与したんです。仏教では宇宙を構成している要素を『地』『水』『火』『風』『空』の『五大』と考えます。密教ではこれに『識大』を加えて『六大』とします。胎蔵界曼荼羅は、宇宙の根源である大日如来を中心に『六大』の内『五大』(物質世界)の理(ことわり)を説いたものです。金剛界曼荼羅は『六大』の内『識大』を説いたもので「五大」(客体)を認識する主体(智)から生ずる曼荼羅なんです。『五大』と『識大』は対照的であると同時に本来は一つのものです。男と女、時間と空間、部分と全体・・等、この世界には対照的なものが存在しますが、片方だけでは成立しえません。両界曼荼羅はそれを現したものなんです。」
「むずかしいですね。でも、何となくわかるような気がします。大日如来が天照大御神と同一神ということは、卑弥呼でもあるんですよね。以前に聞いたことがあるんですが、128億光年という途方もなく遠方のビッグバン宇宙論における初期宇宙に存在するという天体が『ヒミコ』と名付けられたそうなんです。仏教の教える宇宙は、ビッグバン宇宙論の教える宇宙と同様、宇宙の根源を卑弥呼と捉えるところなど、きっと共通点があるのかも知れませんね。それに、人を宇宙と捉えると、『五大』は身体(五体)で、『識大』は心と考えらませんか?どちらが欠けても成り立ちませんよね。」
「おっしゃるとおりです。宇宙には無数の天体があってそれぞれ個性があるように、人はみなそれぞれの個性を持った小宇宙であり、そこにも神が存在するのだと思います。我々人間は、これまで宗教によって外なる宇宙の神のみに頼って生きてきましたが、これからは、外なる宇宙が投影された、人の内なる小宇宙の神の存在を自覚して、『五大』と『識大』を磨き高め、外なる宇宙の神と対話しながら、自らを宇宙と調和させて行くことが求められるのではないかと思います。そこには、キリストも、釈迦も、マホメットも、大日如来も、関係無くて、宇宙を創造した神から受け継いだ無数の個性を持った分身の神があるだけなんです。」
『第3章 東寺の信仰と歴史』
ここには、毘沙門天立像、空海ゆかりの舎利信仰を伝える遺品、八幡信仰を伝える遺品、東寺の歴史や宝物についてまとめられた『東宝記(とうぼうき)』などが展示されており、東寺の信仰と歴史を今日に伝えている。
「この毘沙門天立像は、芥川龍之介の小説『羅生門』などで有名な平安京表門の『羅城門』の楼上で邪鬼が入らぬように見守っていたものを東寺の金堂に移されたと言われています。」
「毘沙門天とは、武勇に関係する仏様なんですね?」
「そうです。毘沙門天は武神ですが福の神としても人気が高く、四天王や十二天、七福神にも名を連ねています。」
「舎利信仰って何ですか?」
「仏舎利とは釈迦の遺骨を意味します。釈迦の遺骨やそれに準ずる遺品を祀り、それを信仰することが広まり、特に鑑真請来の唐招提寺の舎利と、空海請来の東寺の舎利が神聖視されたようです。」
「八幡信仰って、八幡神社を詣でることですよね?お寺と関係があるということは、ここでも神仏習合がなされているんですね?」
「そうです。神仏習合は、まず八幡信仰から始まったのかも知れません。八幡神とは新羅征討などを行った神功皇后とその御子の応神天皇を武神として祀る信仰ですが、仏教においても早くから八幡大菩薩として神仏習合がなされたようです。」
『第4章 曼荼羅の世界』
ここには、東寺の講堂に安置された21体の仏像から構成される立体曼荼羅が展示されている。
「これだけの仏像に囲まれると圧巻ですね。ここに並べられた仏像が、立体的に曼荼羅を表現しているということですね。」
「そうです。空海は、先ほど見た曼荼羅図を仏像で立体的に表現し、密教の教えを説いていたのだと思われます。大日如来を中心に、21体の如来・菩薩・明王・天部の仏像が展示されています。」
「空海は、密教を広めるのに儀式や曼荼羅と共に、神仏習合を進め、それが功を奏して日本に仏教が根付いたんですね。」
「そう思います。空海が居なかったら日本の仏教はこれほど普及しなかったでしょうね。教えを乞うた中国や韓国も日本ほど仏教は広まっていません。」
「とても参考になりました。ありがとうございます。」
「なんか、僕の癖でこの前みたいにガイドの話ばかりで退屈だったんじゃないですか?」
「いいえ、そんなこと、とても深く知ることができて面白かったですよ。」
「そう言ってもらえると、ガイドのしがいがあります。」
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