第2話 大黒様との対話

 ホテルの部屋は思ったより広く、ゆったりくつろぐことができた。美知は、少しぬるめのお湯をたっぷりとバスタブに張り、ゆっくり浸かって今日の疲れを取った。そして、化粧を落とすと、全身をボディシャンプーの泡で包み込み、少し熱めのシャワーで洗い流した。タオルで身体を拭き、バスローブを羽織り、バストをアップして鏡を見ると、胸の谷間がまんざらでもないように見える。

冷蔵庫から冷えたスパークリングワインとチーズケーキを取り出し、ケーキをかじってはワインを味わった。

昼間に博物館を案内してくれた黒神からもらったパンフレットを何気なく取り出して眺めてみた。パンフレットに副えられている名刺には、次のように記されていた。


 島根大学 法文学部 社会文化学科

 考古学専攻 助教 黒神健(くろかみたける)


「島根大学の教員がボランティアしているんだ。」

美知は、もう会うこともないだろうと、パンフレットと名刺をゴミ箱に捨てようとしたが、思いとどまって、旅行の記念にと、名刺を御朱印帳の出雲大社のページに挟み込んだ。


 明日は、午前中にもう一社くらい神社を巡り、出雲縁結び空港から東京に帰るつもりだ。ネットで出雲の神社を調べていたら、『万九千神社』というワードが目に入った。出雲は他の地方が神無月のときに神在月で、各地の八百万の神々がこの地に集まるのだ。この神社は、どうも、方々から来た神々が最後に神宴を開くために集まる場所になっていたとの言い伝えがあるらしい。面白そうなので、明日訪れてみることにした。

就寝前のスキンケアとストレッチを済ませると、室内照明を消して布団に入った。


 目が覚めると、美知は巫女になっていた。そして、そびえ立つ社殿の奥に坐す大黒様へ、お神酒とお饅頭をお供えするため、長い階段を上り始めた。階段は登っても登っても辿り着けない。上まで登って大黒様にお供えできると、大そうな幸せが訪れるらしい。しかし、美知は途中で、堪り兼ねて、大黒様に大声で尋ねた。

「大黒様、私はどうして辿り着けないのでしょうか?」

「そなたの修行がまだ足りないのだ。この鳥が指し示してくれるだろう。」

大黒様はそう言って、一羽の青い鳥を放たれた。

青い鳥は、美知の足元に飛んで来て、尾を振りながら同じ段を右に1mほど歩いて止まった。美知も階段を登らずに、右に従った。そして、そこを上ると、しばらく階段を上ることができた。しかし、その先には、毒蛇がとぐろを巻いて行く手を阻んでいる。

美知は、もう一度大黒様に尋ねた。

「大黒様、毒蛇が居て登れません。どうすればいいでしょうか?」

「蛇はそなたを待ち受けている試練だ。自らを振り返るがよい。」

美知は過去を振り返って、妙案がないか思案した。そして、登って来た階段を一度降りて、残してきた青い鳥を手のひらに乗せた。すると、鳥の羽がみるみる紫色に、そしてもうしばらくすると赤色に変化した。美知はその赤い鳥を手に乗せたまま、再び階段を上り、毒蛇に立ち向かった。赤い鳥はピーピーと鳴いて毒蛇に突撃したが、毒蛇は赤い鳥を飲み込んでしまった。すると、毒蛇は粉々にちぎれて風に舞い、跡形もなく消えてしまった。

美知は、毒蛇の居た階段を再び真っ直ぐ上り始めた。しばらく上るともう少しで大黒様のところに辿り着きそうなところまで来た。しかし、まだ障害が横たわっている。前方には糞尿が積まれ、左前方には金銀財宝が積まれている。そして、右前方は階段の端になり通れない。美知は、同じ段を左に歩いて金銀財宝を手中に収め登りたいと思ったが、ここは思案のしどころである。大黒様も金銀財宝がお好きだろうから財宝の一握りをいただいて、お供え物といっしょに残りの金銀財宝を捧げれば喜ばれるに違いない。しかし、『舌切り雀』や『おむすびころりん』などの昔話にもあるとおり、財宝に眼がくらんだ欲張り婆さんや欲張り爺さんのことを考えると糞尿を避けては通れないのではないか。

考えあぐねて困った美知は、思い切って大黒様に尋ねてみた。

「大黒様、金銀財宝をお供えするきれいな巫女と、糞尿にまみれたくさい巫女では、どちらがお好きですか?」

「そなたは正直者だな。しかし、目に見えるものに惑わされてはいけない。見えないものにこそ真実が隠されておる。」

美知は、心を決めて、袴の裾を絡げると、真っ直ぐ糞尿の中を上り始めた。すると、糞尿は消え去り、遂に大黒様のところへ辿り着くことができた。美知は、台座に坐す大黒様の御前にお神酒とお饅頭をお供えして、神式と仏式での参拝を行った。先ほどはお声をかけていただいたはずなのに、大黒様は仏像のごとく無言で微動だにせず、大きな袋を担いで打ち出の小槌を持ち、昼間出会った黒神によく似た笑顔と体形でにっこり微笑んでおられる。そして、大黒様の周りは黄金に包まれ、燦然と光り輝いて眩しく、美知は思わず目を閉じた。


 そして、再び目を開けると、美知はベッドの上で、カーテンの隙間から射す陽光で目を覚ました。

「やっぱり夢だったのか。昨日の出雲大社や博物館での出来事が頭に残っていたからだろうか。でも、大黒様が現れるなんて、何かよいことが起こるかもしれない。」

美知は、顔を洗って、ぼんやりと昨夜の夢を思い出しながら、何気なくテレビを点けた。朝のニュースで、平成20年から始まった出雲大社の式年遷宮に関して一連の平成の大遷宮事業が完遂されたことを告げていた。そして、今年は新天皇が即位し、新しい元号に変わるのだ。

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