Permanent Exclusion 「追跡」

 マセラティ・クアトロポルテは快調な走りで高速道路モーターウェイを北西に向かっていた。クリスティアンの運転する車に乗るのは、もう何年かぶりだった。前方にベントレーが見えないかと注視しながら、ルカはふと荷物もなにもかも放ったまま来てしまったことを思いだした。

「……荷物、詰めてる途中で放ってきちまった」

「荷物なんかあとからどうとでもなるさ。そんなことより……ルカ、おまえ一度、アディに電話しろ」

「おふくろに? ……ちっ、しまった。モバイル没収されたままだ」

 ルカがそう云うと、クリスティアンは上着のポケットから自分のモバイルフォンを取りだし、ぴっぴっと何度かボタンを押してルカに渡した。画面には『 My Luv愛しい人 』と登録名が出ていて、思わず退き気味に父の横顔を見る。するとクリスティアンは「心の準備しとけよ」と云い、ルカがその意味を考える間もなくすぐに母の声が耳に届いた。

『あなた!? まだなにかあったの!? ルカは、ルカは今どうしているの――』

「いや……俺だよ。おふくろ、心配かけてごめ――」

『ルカ!? ルカなのね! ああルカ……あなた、なんてことを!! 全部聞いたわ、あなたがあの子とそんな仲だったなんて……信じられない!! どうして私に黙っていたの、あなたたちは私を騙していたの……!? それに、あの子が先生とだなんて……、あなたがそんな、ひどい暴力を振るうだなんて! 本当にもう、なにもかも信じられない!!』

 いきなり甲高い声で喚き始めたアドリアーナに、ルカは手にしたモバイルフォンを耳から少し離しながら表情を強張らせ、なにをどう云えばいいのかと途惑った。

「や、待ってくれよ、おふくろ。落ち着いて、俺の話も聞いて――」

『おまけに放校になったんですって!? ああなんてことなの……せっかく試験であんなにいい成績を取ったのに、学歴もなにもなくなってしまったのよ!? 大学にだって行けないわ、なんでこんなことになってしまったの!!』

「いや、学校はまたいろいろとやりようがあるみたいだから――」

『校長先生も云ってたわ……ルカみたいな優秀な生徒を放校処分にするのは本当に残念だって……! あの子は、テディは、家に来たときはいい子だと思っていたけれど、なんだか授業はサボってばかりだし、ドラッグまでやってたって云うじゃないの! そんな子だとは思わなかった――』

 話がテディのことになり、校長がそんな話までしていたと知ってルカは激しい怒りを覚えた。

「テディは……! 確かに問題はいろいろあったけど、あいつは――」

 云いかけて、自分が散々悩んできたいくつもの問題について、ルカは庇いようもなく言葉に詰まった。しかし。

「……俺は、真剣にテディのことを想ってるんだ! おふくろがショックなのはわかるけど、テディのことは悪く云わないでくれ!」

 きっぱりと、ルカはそう云った。束の間、しんと静寂が落ち、次に聞こえてきた言葉にルカは耳を疑った。

『……あなたは、私の息子じゃないわ……! 私の可愛いルカは、そんな愚かな子じゃなかった……悪魔だわ。きっとあなたは悪魔に取り憑かれてしまったのよ!! きっとそうよ! そうじゃなきゃ……おかしいもの。あんな子のせいでもう大学にも行けない、まともな就職だってできないかもしれない、それなのに、まだ……! 結婚だってできないわ! 小さい頃のルカにそっくりな孫を見ることだって、もう叶わない! 男同士だなんて、やっぱりおかしいわよ……!!』

「は……なに云ってんだよ!! おかしいのはおふくろだろ、惚れた相手が男だったからって、なにがそんなにおかしいんだよ!!」

『おかしいでしょう!! いいえ、もういいわ! あなたなんかもう息子でもなんでもない、勘当よ!! 二度とその顔を見せないで。家にはもう帰ってこないで! 出入り禁止よ!!』

「はぁっ!? いやちょっと待てよ! おふく――」

 耳に当てたモバイルフォンから聞こえるツー……という音に、ルカはぱたんとそれを閉じ、無言でクリスティアンに返した。クリスティアンは、苦虫を噛みつぶしたような顔でモバイルフォンを受けとり、ふぅと溜息をついた。

「……わかったろ? ま、こういう感じなんだ」

「……先に云えよ……。どうしよう、なんか勘当だって、もう家に帰ってくるなって云われたぞ」

「いた。あのベントレーだ」

 えっと声をあげ、ルカは前方を見た。紫がかった青のベントレー・コンチネンタルが車三台分ほどの距離を空け、一本左側の車線を走っている。

「……追いついたけど、どうするんだ?」

「おいおい、俺に訊いてどうする。おまえが考えることだろう」

 それはそうだ。ルカは、とりあえずテディを追いかけてきはしたものの、どうするかはまったく考えていなかったことに気がついた。とにかく、もう一度テディとちゃんと話をしたい。テディの本心が聞きたい。このまま自分と離ればなれになって、今まで金を出す以外になにもしてくれはしなかったらしい祖父のところで、これからずっと暮らすつもりなのかどうなのか。

 ――そこまで考えて、ルカはやっとに思い至った。

 もしもテディがそれを、厭だけどしょうがないと答えたら自分はどうするべきなのだろう。これまでは同じ大学に進んで、寮かアパートメントで一緒に暮らすことを考えていた。それは、自分の甲斐性によってすることではない。学生のあいだはまだ親の臑齧すねかじりだ。だがその先、大学を出て就職をしたら、自分はテディのためにしっかり働いて、共に生活をするつもりだった。それは、テディが同じように収入を得ていようがいまいが、である。

 けれど、もうその道は断たれてしまった。突然学生ではなくなって、学歴さえもないことになって、自分はテディに、なにをしてやれるというのか。

 ――いったい自分は、なにを思いあがって、ここまで来たのだろうか。

「……おやじ……。俺……、なにも考えてなかった。とにかく、テディをこのまま行かせちゃいけないって、そんなふうに身勝手なことを思ってただけなんだ。……どうしよう。俺、もうなにも持ってない。あいつを引き留めに行ったところで、なんにもしてやれない……」

 生まれて初めて、ルカは自分が無力であることを知った。

 これまでの傲慢さが恥ずかしく、なにもない自分が酷く情けなく感じた。だいたいこうして、愛しい存在を追いかけることにすら親を頼っているではないか。自力で一ペニーも稼いだことさえない、自分ひとりの力ではなにもできない青二才が、なにを勘違いしていたのだろう。

 ルカは黙って俯いてしまったまま、ぽろぽろと零れる涙を拭おうともせずに、ぐっと唇を噛みしめていた。

「まあな、みんな、そうやっておとなになっていくのさ」

 クリスティアンはそう云って、煙草を咥えて火をつけると、運転席側のウィンドウだけを細く開けた。

「そこに気づいただけおまえは立派さ。それに、そんなに悩むこともないじゃないか。あの子を迎えに行こうがどうしようが、どのみちおまえ、家に帰ってくるなって云われたんだろ?」

「そうだった……って、ええっ!? おやじ、それってどういう意味だよ!」

「ほれ。これやる」

 クリスティアンはごそごそとなにかを探すようにしてポケットから出し、カードのようなものを投げて寄越した。わわっと両手を出し、キャッチしたそれを見て、ルカは大層驚いた。

「これ……銀行のキャッシュカード?」

「そうだ。おまえ名義のな。暗証番号は7217だ、持ってろ。好きに遣え」

「7217?」

「おまえの誕生日を末尾から逆順に四桁。ハンガリー式で」

「ああ、なるほど……でも、好きに、って――」

「与えられたものは有効に使え。それでどん底から這い上がって道をみつけるか、バカになるかはおまえ次第だ」

 依然として臑は齧ったままだが、まずはこれで独り立ちしろということか。ルカは手にしたカードをじっと見つめながら「おやじ……ありがとう」と、素直に礼を云い、ブレザーのポケットにしまった。

「で? どうするかは決まったのか?」

 再度尋ねられ、ルカはじっと青いベントレーを見据えたまま云った。

「ああ。とりあえずこのまま尾けて、途中でどこかに停まらないか様子を見る。もしどこにも停まらなかったら、もうバーミンガムの家まで行ってしまおう。それ以外、どうしようもない。とにかく俺の目的は、まずはテディと話すことだ」

 クリスティアンはルカの答えを聞いて満足げににやっと笑い、「了解Alles Klar」とアクセルを踏み込んだ。

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