Summer Holidays 「疑惑」
「ねえ、今日のお茶菓子はなににするの?」
「私、ベリーのタルトがいいわ。お手伝いするからそうしない? イヴリン」
「バカねロティ。昨日もラズベリーのケーキだったじゃない。今日はチョコ系がいいわ」
「バカはそっちでしょレクシィ。ベリーの季節なんだから続くのはしょうがないのよ」
双子たちが競ってお喋りをするのを聞くのは、ブランデンブルク家では小鳥たちの囀りに耳を傾けているようなものだ。小競り合いが絶えないのに片時も離れようとしない、ふたりでひとりのような可愛らしいレディたちは、ダイニングテーブルに身を乗りだすようにしてイヴリンの顔を覗きこんでいた。イヴリンはラップトップを開き、かたかたとキーボードを叩いていたが、双子たちが今日のケーキについて言い争いを始めると手を止め、顔を上げた。
「残念ね、ロティ、レクシィ。今日はトライフルよ、ラズベリークリームとレアチーズのね」
「トライフル? ならいいわ」
「やっぱりラズベリーなのね」
トライフルとはクリームやスポンジケーキ、フルーツなどを器の中で何層にも重ねて作る、イギリスのデザートである。『つまらないもの』という意味があり、余ったスポンジケーキやフルーツなどで簡単に作れるので、家庭で食べる定番のデザートになっている。
イヴリンはロールケーキのスポンジやラズベリークリームをわざと多めに作って余らせ、昨夜のうちからもう準備していた。
「ええ。もうできあがったのを冷やしてあるからね……お手伝いしてくれるなら、明日はチョコのケーキにしましょうか」
「明日はバレエの日よ」
「
「あっそうか……わかったわ。明後日はチョコね」
納得したのか双子たちがいつの間にかいなくなり、暫く仕事に集中する。子供たちは長い休みだが、おとなはそういうわけにはいかない。フランツとクリスティアンは貿易会社の役員、イヴリンは宝飾デザイナーを生業としている。アドリアーナは仕事を持っていないが、婦人会の活動としてボランティアに精を出したり習い事をしたりと忙しく、この日もフィルを迎えたあとすぐに出かけていた。
一区切りついてふぅ、と息をつき、イヴリンはラップトップを閉じた。眼鏡を外しながらふと時計を見るともう十時二十分だった。あらいけない、と椅子から立ち、冷蔵庫からトライフルを出して籐のバスケットに並べる。ラズベリーを散らしたサンデーグラスを眺め、今日はキーマンブレンドかなと思い、
芝の広がる庭を横切ると、母屋のテラスまではすぐそこだ。イヴリンの姿を見て嬉しそうに寄ってくるツコルとテイの頭を撫でてやり、キッチンでお茶の準備をすると、イブリンはティーポットやカップを乗せたワゴンを押してルカたちのいる部屋へと向かった。
「おつかれさま。そろそろ休憩にしない?」
そう云ってテーブルにトライフルとカップを並べ、ティーポットから紅茶を注ぐ。あー疲れた、とルカが伸びをし、フィルはありがとうございます、と微笑んだ。それに応えるように笑みを浮かべ、三人のほうを見たイヴリンは――テディが険しい表情をしたまま俯いていることに気がついた。
「テディ、どうかしたの? 疲れた?」
「あ、いえ……なんでも、ない、です……」
まったくなんでもないようには思えない答え方だった。イヴリンは眉をひそめ、軽くなったティーポットをワゴンに乗せながらそっとテディの様子を窺った。
昨日はロールケーキを前に坐るなり嬉しそうな顔をしていたのに、今日はサンデーグラスにたっぷりと詰まったトライフルなど、目にも入らないようだ。そして、ちらちらと落ち着きなく視線を泳がせている――ように見えた。だが、そうではないとすぐに気がついた。テディは、フィルのことを気にしているのだ。
なにかあったのだろうか。
ルカのほうはいつもと変わりなく、もう今日はこれで終わりにしよう、などとぼやき気味に云っている。フィルは笑いながらそれをやんわりと却下していて、別に不自然なところもなにも感じられない。テディだけが手にしたスプーンでトライフルをつつきつつ、ほとんど口に運ぶこともなくなにか考えこんでいるように、難しい顔をしていた。そして、やはり時折ちらちらとフィルのことを盗み見ている。
なんでもないことなのかもしれないが、何故か妙に気になった。あとでちょっと話を聞いてみようと思いながら、イヴリンはそっと部屋を出た。
ギルモア先生がお帰りです、と家政婦のパメラに教えられ、イヴリンはラップトップを閉じた。リビングを出るとすぐに楽しげな笑い声が耳に届き、そちらへ向かって歩いているとなにやら熱心に話しているフィルの声が聞こえた。
「――水族館や遊園地もあるし、本当に楽しいよ。もちろん海で泳いだり、ビーチで肌を焼くのもいい。美味しいシーフードも食べられるしね。もし行きたいなら、いつでも僕が連れていってあげるよ」
「楽しそうね、なんのお話?」
イブリンが声をかけるとフィルは振り向き「ああどうも! お茶とお菓子をごちそうさまでした。美味しかった」と笑顔で云った。
「いえいえ、おつかれさまでした……お口に合ったならよかったわ」
「今、ブライトンの話を聞いてたんだ。勉強が捗ったら、夏が終わらないうちに一度行かないかって」
「あら、いいわね。私も行ったことがあるけれど、とてもいいところよね……ノース・レーンで買い物するのも楽しいし」
何年か前に行ったイギリスでも有数のリゾート地の風景を思いだし、イヴリンはそう答えた。前を歩くルカはもうすっかりその気のようで、じゃあいつ行こうかとフィルに話しかけていた。エントランスまで来るとフィルが立ち止まり、改めてイヴリンに向かって挨拶をする。ではまた明日、またよろしくとお互いに言葉を交わしたあとフィルが屋敷を出ていくと、まだ話足りないのかルカがそのあとについていった。
ぐっと拳を握りしめ、テディがそれをじっと見つめていることに気づいたのはそのときだった。
そうだ、なにかあったのか尋ねるつもりだったのだと思いだし、イヴリンは「テディ」と声をかけた。ふたりを追おうとしていたのか、一歩踏み出した足を止め、テディは振り返った。そしてまたすぐにフィルとルカのほうを見やり、困ったような顔をする。
「テディ……フィルが、どうかしたの?」
単刀直入にそう云ってみる。テディははっとしたようにイヴリンを見、少し驚いたような顔をした。そして、またフィルとルカの後ろ姿を見る。ふたりは燦々と光が降り注ぐ曲がりくねった煉瓦道を、楽しそうに話しながら歩いていた。
エントランスに立っているテディの足許には、ポーチの屋根がまるで境界線を描くようにくっきりと濃い影を落としている。イヴリンはその境界線上に立ち、もう一度、しっかりとテディの目を見て尋ねた。
「ねえテディ、教えてちょうだい。いったいなにをそんなに気にしているの……なにか云われたの? それとも、フィルとなにかあったの?」
「え……いえ、なんでも――」
「なんでもないわけがないわ。あなたとは知り合ったばかりだけれど、フィルばかり気にしてなにか悩んでいることくらいはわかる。お願いよ、なんでも話して。あなたがここにいるあいだは、私たちはあなたの家族なのよ。あなたが心配なの」
そう云うと、テディは一瞬きょとんと大きな目を見開き――唇を震わせた。
すぐには言葉にできないようだったが、イヴリンはテディが話すのを待った。
「……フィルは……」
イヴリンは真面目な顔で、ただ頷いて聞いていた。
「フィルは、おかしいです……俺のほうが数学が苦手で、なかなか進まないのにルカのほうばかり見ているんです……。それに……その……」
そこまで云って、テディは云いにくそうに唇をきゅっと結んだ。
イヴリンは振り返って外を見た。ふたりは自転車の傍で立ち止まり、まだなにやら話し込んでいる。ルカたちがこっちをまったく気にしていないことがわかると、イヴリンはすぐにテディに向き直り、続く言葉を待っていると伝えるように、じっと目を見つめた。
ゆっくりと、テディはまた話し始めた。
「……教えるときに……触っているんです。肩とか……背中だけど……、隣に坐って教えればいいのに……べったり、背中にくっついて――不自然なんです。俺にはなんにもしないのに、ルカにだけ……」
――テディがいったいなにを云いたいのかがようやくわかり、イヴリンは驚愕した。
はっとして再度振り返りフィルを見る。フィルは、ルカと笑いあいながら肩に手を置いていた。その手が軽く叩くような、摩るような動きをするとイヴリンは目を瞠ったまま、またテディに向いた。
「ルカは、たぶんまったく気にもしてないし、気づいてもいないんです。でも……あいつはルカを狙ってる。ブライトンなんて、絶対に行っちゃだめだ」
見たところ不審な感じはしないし、あの程度のボディタッチは人懐こい性格の人間ならめずらしくもない。挨拶や言葉遣いひとつとっても、フィルは礼儀正しく明るい、気さくな青年だとしか思えなかった。
だが同時に、テディが思いこみでなんでもないことを大袈裟に云うような子とも、まったく思わなかった。今こうしているあいだも、テディはフィルと一緒にいるルカをずっと心配そうに見つめている。誤解である可能性はもちろんあるが――可能性というなら、フィルがペデラスティの傾向を持ち、ルカに性的な目を向けている可能性だって同じにあるのだ。
「わかったわ。テディ、話してくれてありがとう」
イヴリンがそう云うと、テディはまた驚いたような、意外そうな表情をこちらに向けた。
「大丈夫よ。あなたはもう安心して、ルカにも誰にも、もうなにも云わなくていい。フィルのことは、私に任せて」
イヴリンはそう云って、もう一度振り返った。
自転車に乗って遠ざかっていくフィルを背に、ルカが軽い足取りで煉瓦道を戻ってくるのを、イヴリンはテディと並び、微笑んで出迎えた。
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