Spring Term 「Out of Joint」

 最近、テディが明るくなった。

 少し前までは自分以外とあまり話さず、オニールたちと話していてもそんなに声をあげて笑うことなどなかったのに――昼食のあと、食堂を出ていつものメンツで駄弁りながら歩いているとき、ルカは楽しそうに笑っているテディに奇妙な居心地の悪さを感じ、眉根を寄せた。

 普通に喋り、楽しそうにはしゃぎ、笑う。なんでもないそんなことが、何故か気に懸かってしょうがなかった。テディらしくない、といえばそうなのだが、そんなふうに感じるのはテディに対して失礼な気もした。

 気に懸かろうがなんだろうが、明るく楽しそうに過ごしているのは普通はどう考えても悪いことではないのでまあ、とりあえず置いておいて――捨ておけないのは、たびたび授業を欠席するようになったことのほうだろう。近頃、テディは休憩時間にふらりと教室からいなくなったと思ったら、それきり戻ってこないことが多くなった。

 GCSE試験に向けて頑張っていた勉強も、このところあまり身が入っているように見えない。朝も、テディの寝起きの悪いのは元々だが、この数日は更にひどくなっていた。どれだけ声をかけて揺り起こしてもまったく目を覚まさず、点呼に来て一緒になって起こし始めたハーグリーヴスが、もう放っておけと根負けするほどなのだ。

「――あ」

 そんなことを考えながら、アッパースクールの校舎に向かって中庭を横切っていると、ふとテディが立ち止まり、声をあげた。並んで歩いていたルカはそれに気づくと二歩ほど先で足を止めて振り返り、笑顔で誰かに手を振っているテディを見た。その視線の先を追うと、シックスフォームの校舎の向こう側からこちら――テディへ片手を上げて応えている、ふたりの人影があった。どうやら喫煙中のそのふたりを見て、ルカはああ、と思いだした。

「ごめん、ちょっと行ってくる」

 そう云って自分たちから離れようとするテディに、ルカは訊いた。

「あれが前に煙草くれた奴か? ジェレミーとかいう」

「そうだよ。――じゃ、トビーもデックスも、またあとで」

 それだけ云うと、テディは足早に件の上級生シックスフォーマーたちのところへ向かった。エッジワースが「おう」と答え、その後ろ姿を見送り――なんだかなにかが腑に落ちないような、奇妙な表情をした。

「ん? どうかしたのか、トビー」

「うーん……どう……も、してないのかな……」

 エッジワースにしては歯切れの悪い返答に、思わずルカとオニールは顔を見合わせた。

「なんだろ……あいつ、なんか前よりノリいいし、すげぇ楽しそうなんだけど……なんつーか、そうじゃなかったときより近くにいる感じがしねえんだ。うーん、うまく云えねえけど」

「ヴァレンタインらしくない?」

 オニールが短くそう云うと、エッジワースは「ああ、うん。そうだよな」と頷いた。

 やはりふたりも自分と同じことを感じていたのだと知って、ルカはすっきりとしない表情でテディのいるほうを見やった。

 テディは上級生ふたりと一緒に、煙草を吹かしていた。

「……あれ、一緒に話してるだけかと思ってたけれど……ヴァレンタインも煙草吸ってるんじゃないか?」

 同じようにテディを見ていたらしいオニールが、驚いてルカの顔を見た。

「ああ、うん……煙草はまあ、知ってるけど……あんなところで吸うのはどうかしてるな。教師ビークに見られたらどうするんだあいつ」

 なにを話しているのやら、煙草片手に時折笑いあったり小突かれたりしている様子に、ルカは――あからさまに、機嫌の悪い表情になった。

「もう行こう」

「えっ?」

「ヴァレンタインを待たないのかい? ブランデンブルク」

 エッジワースとオニールが途惑っているのを尻目に、ルカはすたすたと芝生の上を歩きだした。

 授業はサボるわ煙草は吸うわ――煙草はまあ、自分も一緒に吸っているけれど――、あんな素行の悪そうな上級生たちとつるむようになって、テディは不良になってしまったのだとルカは思った。別に不良でもなんでもかまわないが、こんなふうに自分たちを放りだして別のところで楽しそうにしていることが、気に入るわけがない。

 それがただの我が儘とか嫉妬とか独占欲とか、その類いのものであることはわかっていた。友達は何人までなどという制限があるわけでもないのだし、自分以外に仲のいい友人ができるのも、自分抜きでその友人と過ごすのも普通なことだ。編入してきたばかりの頃のテディが、人見知りがひどく無口で無愛想だったことを思えば、むしろ友人が増えるのは喜ぶべきことだろうとも思う。たとえば、これがジェシだったらルカはなにも気にしなかったに違いない。

 だが、よくない友達と遊んで授業に出ないとか、勉強をしなくなったとなると話が別だ。

 自分たちは将来を誓いあった仲なのだ。しっかり勉強してGCSEでいい成績を収め、シックスフォーム課程に進み、同じ大学へ行って一緒に暮らそうと約束したのである。それなのに、今のあのテディの為体ていたらくはなんだろう。自分たちにとって勉強を放りだすということは、ふたりの未来を放りだすと同義なのである。

 ルカは今度の劇で主役を演じることになり、それにも真剣に取り組んでいる。連日の稽古で疲れ果て、それでも毎日の勉強は欠かさずしっかりやろうと努力しているのだ。もっとも、その所為もあってこのところテディと一緒にいられないことが多くなっていたのだが――だからといって、あんな連中とつるむようになるなんて。自分よりも劇に出ないぶん時間があるはずなのに、その時間を勉強ではなくあんな連中と遊ぶために使うなんて!

「……あとでちょっと説教してやらなきゃ……」

 小声で呟きながら、校舎に入る前にもう一度テディのいたほうを振り返る。すぐ後ろを歩いていたエッジワースとオニールもそれに倣った。が。

「あれ、あいつ、どこ行ったんだ?」

 ついさっきまで三人がいたその場所には、もう誰の人影もなかった。中庭には何人かの生徒の姿があったが、あの独特な色味の暗い金髪ダークブロンドはどこにも見当たらない。

 と、そのとき昼休みの終りを告げる鐘の音が鳴り響き、ルカはますますむっとした表情になった。

 テディはあの上級生ふたりと一緒に、また部屋だか外だかへ行ったに違いない。それなら今日はもう、教室には戻ってはこないだろう――またしても。

 ルカはくるりと中庭に背を向けて校舎に入っていき、昏く高い天井を仰いだ。

「……『この世のたがは外れてしまった……。ああ、なんという因果か、それを正すために生まれてきたとは!』」

 つかつかと教室に向かって歩きながら、本番さながらに声を張ってハムレットの台詞を云ったルカを見て、エッジワースは戯けるように両肩を上げた。

「うちのハムレットの箍が外れたぜ」

 オニールはなにも答えず、すたすたと前を行くルカに遅れないようにと歩きだしながら、やれやれと溜息をついた。

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